見出し画像

【#229】心は燃える(メッセージの断片集73)

3月31日(日)の様子

 「イースターの朝には白百合を活けましょう」という賛美がありますが、みぞれのような雪が降っているイースターの朝でした。北見から40分ほどさらに内陸に入った陸別町から来られている夫婦によると、陸別町ではかなり積もって車が滑ったそうです。さすが日本一寒い町です。

 それでも、イースター礼拝は新しい方々も集われ、あたたかい喜びのひと時となりました。午後からはイースター祝会ということで、昼食と差し入れられたデザートも堪能しながら、豆知識も身につくイースタークイズ、春の日差しを思わせるピアノ演奏、目隠しが面白かったイースター福笑いなど、楽しく和やかな時を過ごしました。

 Tさん&Aさん夫妻は昨年のイースターから北見の礼拝に集われ、今や欠かせない存在です。この日はご自身とイースターに関するクイズを作ってきてくださり、パワーポイントも凝っていて、とっても盛り上がりました。

 紋別でも和やかなひと時となったようです。ベトナム出身のCさん、中国出身のEさんが、久しぶりに集われたとのこと。国際色豊かですね。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックすると、礼拝メッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

キリストが共に歩まれる

 弟子たちは目が遮られて、共に歩いて下さっている方が主イエスだと気づきませんでした。私たちも感覚的に、実感的に、主イエスが共にいることを理解できない時もあります。「神様がいるなら、どうしてこんなことが起こるのか」など、キリストが共にいるという実感が持てない時もあるでしょう。

 しかし、この弟子たちのところに主イエスご自身が近づいてきて、一緒に歩いて下さったのは事実でした。弟子たちは後になってそのことがよく分かりました。同じように私たちの実感、感覚では分からなかったとしても、主イエスが共に歩いて下さっているという事実を、私たちも後になって気づくこと、分かることがあるのです。そしてキリストが共に歩んでくださっていることを知る時、私たちの心は燃やされていくのです。

聖書の御言葉を聴く

 エルサレムからエマオまでの約11キロ、歩いて2時間ぐらいの道のりでしょうか。主イエスが話される聖書の言葉によって、失望しきっていた二人の弟子の内側を照らす光が差し込まれていきました。

 聖書は、単にこうしなさい、これはしては駄目ですよ、そういう道徳訓ではありません。神の言葉は命の言葉で、私たちの人生を照らす光なのです。主の言葉は信仰と希望と愛を与えます。聖書の言葉は、約束であり、私たちの暗くなった心を照らし、生きる力を与えるのです。

▲ 多くの画家、イラストレーターが、エマオの途上の「心が燃える」様子を描いています。

生活の場にキリストを迎える

 聖書の言葉を聴いて、「良いお話しをだった。それではまた来週〜、サヨウナラ〜」ということではありません。この弟子たちのように、イエス・キリストを呼び止めて、自分の家に招くのです。主イエスと上辺だけの付き合いではなく、挨拶だけの関係でもなく、自分の人生に迎えるのです。日常の生活に、私たちの家庭に、職場に、生活の真ん中に主イエスを招くのです。主イエスの声を聞き、祈り、語りかけ、共に歩むのです。その時、確かに「主だ!」「主イエスは生きておられる」と、復活の主イエスによって、心が内に燃える体験をさせていただけるのです。

 二人の弟子は、主イエスにお会いした後、「すぐさま」エルサレムに戻っていきました。エマオへ向かう時は夕日の中で、その光を見ることもできない暗い思いをしていました。しかし今はもう夜道になっています。それでも、明日にしようとは思わなかったのです。「この喜びを伝えずにはおれない」と、今度は夜道を光り輝く思いでエルサレムに戻っていくのです。小走りをして、もしかしたらスキップをしていたかもしれません。こういう心が燃える歩みを、私たちの生活の只中で復活の主はさせてくださるのです。

▲ 少し燃えすぎているような・・・

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?