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【#238】条件が悪くても(メッセージの断片集76)

4月21日(日)の様子

 霧雨の降る日曜日。霧雨の粒は半径0.1mmで、半径1mm以上の雨粒に比べて1/10ぐらいのようです。さらに言えば浮かんでいる雲の粒の半径は0.01mmで、雨粒の1/100とのこと。神の恵みの雨も、時には「夕立のように」という賛美のごとく、またある時には霧雨のような優しく包む時もあります。

 この日の礼拝ではTさんが誕生月ということで、どのようにして主イエスを信じて信仰を持たれたのかを証ししてくださいました。ユーモアがあり、また真摯に率直に語られ、大きな体のTさんの人生を導いてくださっている神の愛の深さが、それこそ霧雨のように伝わってきました。

 午後からは清里町での礼拝へ、4人で向かいました。この日はイースター礼拝ということで、主イエスが今も生きておられることを一緒に喜び、賛美と祈り、御言葉に耳を傾ける時を持ちました。薪ストーブの一番前で大きな猫2匹が、どーんと横になっています。彼らもリラックスしながら、一緒に礼拝をささげていたのかもしれません。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックするとメッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

主と深く交わる

 11-13節には、信仰者が判断を間違いやすい3つのことが記されています。1つは、「専門家の意見」です。確かに航海士や船長は海の専門家で、彼らの意見には耳を傾けるべきでしょう。しかし彼らの判断は利害関係が根底にあります。ここに至るまで足止めの期間があり、滞在費も多くかかっています。そして少しでも安全な港に行くことで、人命を優先しているというよりも、船を守りたい思いが色濃くあります。専門家の意見には耳を傾けますが、専門家だから全て正しいということではありません。

 次に多数決です。「みんなが言っているから」ということで、日本人はこれに弱いものです。しかし聖書は多数決が必ずしも正しいとは教えていません。出エジプト後、カナンの地に 12人のスパイ・斥候を送って探らせた時、素晴らしい土地だという点で12人の報告は一致していました。しかし10人はカナンの地の人々は巨人のようで、自分たちはイナゴのように見え、絶対に勝ち目はないと言いました。ヨシュアとカレブだけが、神の約束に立ちました。しかし大勢の意見、すなわち多数決によって、40年間も荒野をさまようことになりました。

 3つ目は、条件が良いということです。「南風が吹いてきた、これは主の御心だ!よし、行け!」と出帆しました。しかしすぐさまその条件は変わり、暴風に苛まれ、結局、船ごと失われていくことになります。順境だから良いということで進んだ結果、逆境によって希望を失っていくことになりました。

 人生の選択において、何を基準としているのかが問われます。時には専門家の意見にも耳を貸す時も必要もあります。多くの方のアドバイスも役に立つでしょう。その時の状況、条件なども選択を決める一つの要素になるかもしれません。しかし、キリスト者は主なる神と深く交わって、聖書を読んで、祈って、心からの礼拝を捧げて、その上で決断する、新しい一歩を踏み出すことが大切です。そうでないと、利害関係、損得勘定が根底に隠れていたり、その場の状況主義だと状況が悪くなった時に挫折してしまいます。主なる神と深く交わって選択をしていく時、他の誰かが何を言っても、どんなに条件が悪くても、主なる神が必ず私たちの人生を導き、守り、助けてくださることを体験するのです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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