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人生一度きりに実感が湧かない

「人生一度きり」
だから楽しまないと!
やりたいことやらないと!

そう言われてもね。
無理してやりたいことやらなくたって、楽しく生きられていますよね。人生一度きりだから頑張るという理論がどうも頭の中で結びつかない。

今朝、一通のLINEが家族のグループに送られてきました。
「おばあちゃんが年明けから施設に入ります。一緒に過ごす最後の年末年始です。(略」と。
寂しい気持ちになりながら、なんと返信したら良いかしばらく悩み、前向きな気持ちに見えそうなスタンプを一つ送る。

それからしばらく、二階にある自室で休日を満喫してあっという間に夕方。お腹すいたなーと階段を降りると、夕陽が差し込む和室が目に入る。
そこには祖母がいつも座っているであろう小さなこたつと椅子。あと何時間、共にいられるのだろうか。小さな頃手を引いて散歩してくれた祖母、車のドアに指を挟んでびえびえ泣く私を心配して大慌てで氷を持ってきてくれた祖母。『なんでこの記憶。笑笑』
クセの強い、でも暖かく懐かしい記憶が蘇る。

幸せなことに、身内が全員存命の私は、家族と会えなくなるという世界線を理解せずに育っている。でも、もう会えないのかな。

たまに考えるんです。あと何時間家族と会えるのか。何年生きてくれるとして、そのうちのどのくらい私が実家にいてetc.
逆算してこのくらいか。まだあるな。安心。
こんな感じ。
でももう、片手で数えられるほどの時間しか一緒にはいられないかもしれない。ついにこの時が来てしまったのかと現実を見る私と、縁起でもない、祖母はまだ生きるしまた会える!と理想を語る私で葛藤する。
でも、大切な人っていなくなってしまうのだな、と。その実感だけは沸々と私の中で形を成していったのよ。

一階のキッチンで朝兼昼兼夜ご飯のカレーを温めながら、冷蔵庫にあった柿を剥く。久しぶりにまな板使ったかも。人のためじゃないと人間ってまじで何も動かないんだな、なんて思いながら柿を八等分に切る。

私自身は人生一度きりであろうが明日◯のうが正直このまま寝て過ごすけれど、大切な人がいつまでも生きていてくれるわけじゃないんだなと。そしてもう大切な人がいついなくなってもおかしくない年齢になってきているのだなと。

それは嫌だな。
私が幸せを、笑顔をあげられないまま、大切な人がいなくなってしまうのは嫌だ。
美味しいものも、楽しいことも、たくさんあげたい、共有したい。その笑顔がないと私は◯ねないなと。言っていることの寒さに嫌悪しつつも、今の自分を真剣に見つめ直す。

だらだら寝ている場合じゃないな。
早くお仕事を成功させなくちゃ。
大切な人はいつまで私からの贈り物を受け取れる状況にあるかわからない。みんなが元気なうちに、楽しめるうちに。

怠けている場合じゃない。
今日も一日、頑張るぞ。

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