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干潮のときだけ渡れたモンサンミシェル。トンボロ現象の驚異

こんばんは、クラフトビア子です。花粉で目がかゆくて、しぱしぱさせながら書いています。

ビア子が学生だったはるか昔、ちょうど今くらいの時期に、友人たちとフランス・イタリアへ卒業旅行に出かけたのでした。その当時は花粉症は関係なくて、ユーロも安くて学生の貧乏旅行でもそれなりに楽しめたのが、今となっては夢のよう…。

またいつか訪ねたいのですが、もう少し円が強くなってもらえるよう、日々がんばりたいと思います。

その旅行では1か月ちかくかけて、各地を鉄道でまわりました。パリに始まり、モンサンミシェルに行ってから南仏を目指し、ラストはイタリアのベネチアから帰国するという、なかなか移動距離のやばい旅でした。

どこもかしこも印象が強くて、そのうちnoteでも書きたいと思いますが、最近思い出しているのはモンサンミシェル。

現地でみたトンボロ現象の迫力が忘れられず、日本でも見れないかなあと思っていたら、規模こそ違えど複数個所でトンボロ現象が見れるようだと知りました。

というわけで、今夜はトンボロ現象と、モンサンミシェルの思い出や日本で見られる場所について書きます。


海に浮かぶ島へ歩いて渡れる道が、一時的にできるトンボロ現象

ふだんは陸続きになっていない島と、干潮のときにだけ陸続きになる現象を「トンボロ現象」といいます。日本語だと「陸繋砂州」。漢字の方が字面から意味がわかりやすいですが、呼びにくいのでトンボロと呼ばれているみたいです(ビア子の説)。

フランスのモンサンミシェルはサン・マロ湾に浮かぶ島。パリからは電車やバスで4時間程度で行けます。世界遺産としてあまりにも有名な観光地ですが、このモンサンミシェルはトンボロ現象でも有名です。

干潟に囲まれているモンサンミシェル。大陸とは現在は橋でつながっている。

モンサンミシェルは修道院の島。中世にはカトリックの聖地として、たくさんの巡礼者を迎えてきました。

一方で、フランス革命の後には監獄として使用されたり、イギリスとの百年戦争では要塞として機能したりもしました。

1865年には修道院として復活し、現在も修道士が住んでいます。とはいえ世界的な観光地となっていて、毎年300万人が訪ねるのだとか。

ビア子が訪ねたときも、自分も含めて観光客が山のようにいて、島内はごったがえしていました。ディズニーランドの大人気アトラクションさながらの混雑ぶりでしたが、島内はどこを見ても歴史が感じられて興味深かったです。

モンサンミシェルのトンボロ現象は、想像を超える迫力だった

友人たちがしっかり潮の満ち引きが大きくなる日を選んでくれていたので、モンサンミシェルを訪ねた私たちは、刻刻と変わるトンボロ現象を島内から見ることができました。

潮が大きく引いたと思っていたら、恐ろしい速さで潮が満ちていきます。かなりの音を立てて海水が迫ってくる様子は、ちょっとこわいくらいでした。

かつての巡礼者たちは、干潟のぬかるみに足をとられるうちに、満ちてきた潮で命を落としたといわれています。干潟は一見するとのどかで、何も危険がないように見えるのですが、その泥に生き物の気配は感じられません。

自家用車でやってきた人のために駐車場もあるのですが、一段低くなっている場所に停めた車は速やかに高い場所へ移動させるよう、繰り返しアナウンスが流れていました。

「いや、まだ全然大丈夫なのでは」と思いながら島の入り口を眺めていると、びっくりするようなスピードで海水が上がってきて、そのうち昼間に歩いていたところも水につかってしまいました。

潮の満ち引きの原理を知らなかったら、聖書の一場面のように「海が割れた」「海が閉じた」と考えても仕方がないほどのすさまじさです。

夜はライトアップされます。日が落ちたあとも水が迫ってくると、なんだかこわくなります。

島内に宿泊施設もあるので、せっかくだからと一泊しました。暗くなっても水の音が聞こえてきます。

食事は島内のレストランでとりました。オムレツが名物なんですが、夜だし卵料理があまり好きじゃないので、羊のソテーと豆のつけあわせをいただきました。豆のつけあわせのせいかもしれませんが、なんだか中世ヨーロッパの食事のように(おそらく当時よりはるかにおいしいのだけど)見えてくるので不思議です。

ちなみにモンサンミシェルの名物の卵をつかったガレット(クッキー)は、お土産として大量に売られていました。いまは日本のスーパーでも普通にみかけます。

ホテルは暖房がしっかり入り、簡素で快適な部屋でした。が、いま自分は流れの速い海水に囲まれて、日本から遠く離れたフランスの海に浮かぶ要塞の島の中にいるという意識が、眠ろうとすると立ち上がってきます。

かつて巡礼のためにこの地を訪れた人は、どんな気持ちで夜を迎えたのでしょう。

冷たい石造りの要塞を厳しい潮の流れが取り巻いて、来た道はもう沈んでしまっている。戻りたくても、もとの世界に引き返すことはできない。明日の朝には潮が引いたとしても、いつまた水が来て、大陸を再び踏むことなく命を落とすともしれない。

モンサンミシェルは華麗で、ディズニーのお城のようにも見えます。観光地として大人気で、人があふれ、陰気な気配はないように思えます。

しかしこの島の歴史や激しい潮のめぐりを目の当たりにすると、そんなに浮薄な場所でないことがよくわかりました。

こうした自然の厳しさと宗教や歴史の堆積が融けあった場所というのは、日本にもいくつもありそうです。モンサンミシェルのように、激しい潮の満ち引きから信仰の対象になったりしているのでしょうか。

日本にはいくつもトンボロがあり、信仰もされている

日本でもトンボロはいくつも見ることができます。

たとえば江ノ島。

写真左手の方に見えるのが、江ノ島と陸地をつなぐ橋。この橋の横手にトンボロがあらわれることも。


行ったことのある方も多いかと思いますが、車も渡れる橋が整備されていて、いまでは江ノ島へいつでも歩いて渡れます。トンボロは毎日起きているわけではなく、年に数回のようですが、橋の横にトンボロが現れます。トンボロのことを知っていて、しっかり見ていないと気づけなさそうですね…。

古くから江ノ島の岩屋から信仰が始まり、弁財天が祀られています。江戸時代にはトンボロの道を通って参拝が盛んにされたようです。

ほかにも鹿児島の知林ヶ島。鹿児島湾に浮かぶ無人島で、3月から10月の潮の満ち引きの大きいときには、歩いて渡れる道が出現します。

知林ヶ島のトンボロ。800メートルほどの道が出現します。

島の南北からの海流がちょうどぶつかることで砂れきが堆積し、このように道があらわれます。潮の満ち引きの加減によって、7時間ほど道がのこる場合もあれば、2時間ほどで道がなくなってしまうこともあります。

西伊豆の堂ヶ島という地域にある三四郎島も、トンボロがみられます。ちょっとアクセスしづらい場所ではあるんですが、昨年から潮位表をみては旅行計画を練ろうとしています。

いずれのトンボロも、モンサンミシェルに比べると割合のんきで、悲壮感の少なめな信仰を受けているように思えます。

潮の流れの速さが全然違うからなのか、なんなのか――。

日本のトンボロを訪ね、いつかモンサンミシェルも再訪して、違いを考えてみたいです。そのときはまた、noteに書きます。

それでは、また。



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