誰も私の為の涙は流さない





私、コロナ後遺症が突然発症して
何日も一睡も出来ない程の咳と気道の収縮
夜中が来ると毎日首を絞められているみたいに苦しくて、息ができなくて

病院に行ってレントゲンまで撮ったけど「風邪」という診断が下りて
何日も効かない風邪薬飲みながら苦しんだ結果
最初の病院での診察が誤診で、もう今は手遅れな程に肺が傷だらけになってしまっていると呼吸器科で診断を受けた
「こうなったらもう二度と治りません」って言われた


酸素がうまく吸えない身体になって
夜に出歩くと発作で呼吸が出来なくて
毎日咳が止まらなくて果ては肋骨が折れて
薬の副作用で両手の震えが止まらなくなって

毎日走り続けて得た筋肉も無くなって
ゾンビみたく身体を引きずって歩くようになって


そうなって初めてお父さんに病気の話を伝えに行ったら
「その咳が(俺や人様に)移らないなら別に良い)」
お母さんに伝えても一日二日後くらいに「お大事に」って返信されて
会社では「で、それいつ治りますか?」って
言われて


病気のことをお客さんや仲間に伝える時も
私には笑顔で振る舞う以外に選択肢無かった
辛さを自ら矮小化矮小化して、辛いけど心死んでないよ!って痛々しい振る舞いするしか無かった
バレバレの嘘を吐かざるをえない
恥ずかしいこと
恥ずかしいこと




小さい頃
病気の振る舞いをすると父親にため息を吐かれた
嫌な顔で「風邪じゃねえだろうな?」って言われて育って
だから病気は人に言ってはいけないという認識がある

大人になった今でも、病気になった時の上手な振る舞い方がわからない
だから親にも心配してもらえないんだと思う

私は心配されたい
だけど心配=迷惑を掛けることと変換されてしまう
「心配掛けてんじゃねえ」と怒鳴られて育ったから
人に心配は掛けちゃいけない
このループの中で私は
利害関係無しの心配をいただけた事が無かった


みーちゃんだけだった

みーちゃんも腎臓が悪くて苦しい思いをしているのに
私の病気に付き添ってくれた
絶対私の咳うるさい筈なのに、私から逃げないで腕の中に居てくれた
折れた肋骨の上に乗られるのは痛かったけど
じっと離れずにゴロゴロ言ってくれた

なんにも無い時には別の所で寝る事もあるのに
私が苦しんでいるときは必ず私が寝るまで腕の中に居てくれた

みーちゃんは唯一「病気治してくれないとこっちが迷惑」って思ってない
純粋に私を心配してくれた




私はありとあらゆる人達と話をしてきて
一方的にみんなに好意を持っていて
でも相手は自分に好意を持っていないとどこかで感じてしまう

そんな事は無いんだろうし
無いからみんな友人で居てくれているんだろうけど
でもどこかで拭えない

その人にとって自分が何かしらの価値を作れているから友人で居てくれると感じてしまう
私が病気になる事は、相手にとって不都合があって
だから病気になった自分は価値が下がったガラクタだと思ってしまう
何かを誘って断られると「欠陥のない状態のお前にしか用は無い」って言われているように感じてしまう

でもこれわかる人居ると思う
同じ基底欠損仲間がいると思う

交友関係の中でこの薄暗い感情が奥にある人は少なくないと思っている
私はこれが表出してきているから、本当に毎日辛い思いをしている
必死で抑え込んでいる

ただある種、相手が私を嫌いでも
それでも私はあなたが好きだよが出来てしまう
私自分のそういうところは嫌いじゃない
私は人より人に無関心になれない

嫌われたくないくせに
嫌われてもいいから突っ込んでいこう私この人好きだからっていう
そういう振る舞いはできてしまう








みーちゃんが死んでから
不思議な人に私は出会った

正確に言うとみーちゃんが死ぬ前から会っていた
動物病院の獣医さん

会っていたけど、私はみーちゃんを挟んで
みーちゃんの治療の話しかしていなかった
みーちゃんの主治医さんとしか認識してなかった

ものすごく論理の人で、一切の感情の部分は出てこなくて
無駄な話は一切しなくて、でも腕前は本当に良くて
私がみーちゃんの治療方針が決められなくて泣き続けてた時も
何にも言わずに、結論を急かさないでずっと待っていてくれた
本当に動物と飼い主を大事にしてくれている先生だというのは知っていた


その先生が、私が首括ったの知ってメールや電話を何度もしてくれていた
警察に通報までしてくれた


メールで「生きて、夢の中でみーちゃんに会って欲しい」と言われた
私はそのメールを見て、初めて「この言葉は本心だ」と感じた

それまでにも色んな人から私は気遣いの連絡や、直接押しかけられたりもして
色んな言葉を言われたけど
私側にバグがあって、どうしてもどの言葉も受け取れなかった

「お前に死なれると困る」
友達や親ですら、私は全ての言葉がそんな風に聴こえてしまって辛かった


それは私が、みんなの弱い部分を知っているからだと思う

昔友達が自死した時に、私はひたすら友人を見殺しにしてしまった自分の辛さにばかり向き合って泣いた
友達に向けた涙じゃなくて、友達を失った自分の悲しみを癒す為の涙だったと思う

だから自分がかつての友人と同じ場所に立った時に
「私の苦しみは誰も汲み取ってはくれない」
と思ってしまった


みんな「来たいから来た」と言っていて
それは私にどんな言葉を掛けて良いのかわからないから
私がどんな言葉で苦しんでしまうかわからないから言っていて

わかってる、わかってるんだけど
私はどこかで自分の苦しみを誰か少しでもちぎり取って海に流して欲しいと思っていて

でも不可能なの
私がみんなの弱さを知っている限り、みんなは私の為の涙は流せないの




私は先生の事を何も知らない
先生も私の事を何も知らない
知らないのに、というか知らないから
「生きてほしい」という言葉が本心に聞こえた

だってみーちゃんが亡くなって、私は新たに猫を飼うつもりも無いって伝えているから
もう先生の患者になる事もないのに
私を救っても先生に得は無いのに
私は猫でも犬でもないのに
先生は私に生きて欲しいと言ってくれた


沢山の命を救ってきた人の言葉は重くて
私の命もみーちゃんの命も同等の価値として見てくれて
みーちゃんを救った手で私に生きて欲しいとメールを打ってくれた

先生の情は、神様の情だった
私にとっては、どこの誰よりも一番「生きて良いのかも」と思えるメールだった


私は先生が好きで
まっすぐ歩いて命を救い上げていく生き様に畏怖を感じてしまう
神様は信じていないけど、生き仏に一度救ってもらったと思っている









一昨日の夜に、私は昔の死んだ友人と話した
と言っても私の心の中の友人とだけど

もう何年越しになったかわからない
初めて私は友人の為に泣いた

やっとわかったから
どれだけ辛い思いで死んでいったか
今やっとわかったよって

ごめんねあの時に辛いのわかってあげられなくて
自分のためにばっか泣いてごめんねって
時間掛かってごめんね

あの時に今の自分が居たら
もしかしたら救ってあげられたかもしれないのにな



いつも私は
取り返しがつかなくなってから知るんだ

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