ぼく と 星野源

以下、駄文

 2011年のとある日、父親が音楽雑誌を買ってきた。表紙には長期療養から復帰しアルバムをリリースしたばかりの桑田佳祐がギターを抱いて座っていた。その時僕は小6、もうすぐ中学になろうかという頃だった。その裏表紙に灰色のスウェットを着た男の人がシングルをリリースするという広告が掲載されていた。その時はなんとも思っていなかったが、振り返ればそれが僕と星野源の出会いだったらしい。

 その音楽雑誌は表紙と中の桑田佳祐の写真をパラっと見ただけですぐにどこかに(たぶ父親の部屋に)いってしまった。そしてそのまま何もなかったように中学生になり、吹奏楽に現を抜かし、ひたすら読めない五線譜を睨みつけながら学校から借りたぼろぼろのサックスを吹き続けていた。先輩と後輩の板挟みにうまく立ち回れず、顧問から配布された参考音源のCD-Rを部員の誰かに割られたり、楽譜を捨てられたりしていた中2の頃、お昼の給食の放送でセカオワと出会い、今まで昭和歌謡と吹奏楽定番曲しか聞いていなかった僕の音楽生活ががらりと変わった。セカオワがレギュラーをしているからという理由でラジオを聞き始めた。同じころにスマホを手にしてTwitterを始めた。そこでいろんなバンドを知りロックキッズになっていった。セカオワが特集されていると教えられた雑誌を本屋に買いに行った。あの日父親が買ってきたものと同じ雑誌だった。少ないお小遣いで雑誌を買い隅から隅まで読みつくした。「おかえり!星野源!」というページがあった。(へぇ...この人は帰ってきたのかぁ...)と思った。

 ラジオのリスナーとTwitterを通じて友達になりいろんなことを教えてもらった。今はこのバンドがかっこいい。次はこのバンドが来る。雑誌は毎月増えていった。誰よりも早く、隅から隅まで読みつくした。場外乱闘までしっかり読んだ。学校にはいない音楽の話ができる友達が手元の小さい光の中にはたくさんいた。

 ある日その友達の一人がギターを弾きながら歌った。「これは誰の曲?」と聞いた。一度ラジオで聞いたような気がするなぁと。「星野源の化物って曲だよ。もうすぐ新しいシングルが出るんだって。」とても好きな曲だし新曲っていうのも楽しみだなぁと思って調べてみた。「地獄でなぜ悪い」という新曲がすでに出ていたことを知った。聞いてみた。途中まで聞いてすぐに家を飛び出して家の近くのCD屋さんに向かいそのCDを買った。初回盤を買った。CDは聞き倒しDVDは何度も見た。すげぇ好き。この人超かっこいい。僕は星野源とやっと出会った。

 そこからはもうひたすら星野源を調べつくした。友達との電話中トイレに行きたくなったら「わっ!すごい!アルバムのCMっぽい!アルバムのCMっぽい!すごい!といっトイレに行きたい!すごいトイレに行きたい!t」と言ってトイレに行った。(文章にするとマジで意味が分からない)「地獄でなぜ悪い」をリリースしたタイミングで2度目の療養に入っていたので新しい情報はほとんど入ってこなかった。その分知らない過去の彼をいっぱい調べた。

 しばらく経って僕は高校生になった。行きたい高校に落ちてそんなに行きたくない高校に入り吹奏楽からは足を洗うことになってしまった。星野源は白いスーツとかっこいい曲でまた帰ってきた。「Crazy Crazy/桜の森」は多分黄色と赤のCD屋さんで買った。またCDを聞き倒しDVDを何度も見た。RECドキュメンタリーが好きで好きでしょうがなかった。かっこいいなぁとどこで何を言うか暗記するぐらいに見た。その頃からお小遣いの使い道が増えすぎて音楽雑誌を買わなくなったりCDをあまり買わなくなったりしていた。でも星野源は絶対買っていた。

 しばらくして星野源がめっちゃ売れた。そのあとのアルバムもめっちゃ売れた。ツアーをやると知った。めっちゃ頑張ってチケットを取った。狭い小さい香川のホールに星野源が来た。星野源はその日誕生日だった。めっちゃ頑張って取ったチケットは2階席の一番後ろだったが、星野源はかっこよかった。音楽は最高だった。踊った。バラバラに踊った。嘘をついて放課後の課外をサボって行って本当に良かった。そのころ僕は星野源に似ていた。クラスの女子に「パーマ当ててる星野源に似てる」と1回言われただけで普通に全然似てないけども、10代特有の全能感も手伝ってシンパシーを超えてもう同一人物だと思っていた。(タイムマシンがあったら迷わず殴りに行きたい)

 痛いエピソードを思い出した。月曜深夜はオールナイトニッポンをすごく悪い音で聞いた。1年経ったか経たないかで火曜日に移動した。星野源が新しいドラマに出演してその主題歌に新曲を書いたと知った。解禁日はラジオの前で正座して聞いた。イントロでもうこの人はやばいと思った。ラジオの録音から曲の部分を切り取り、過去のPVのダンスシーンを張り合わせて自分だけのMVを作ったりした。なんでそんなことしてたんだろう。で、ちょうどそのころ僕はAO入試で東京の大学を受験しようとしていた。面接で「なぜこの学科を?」と聞かれ、星野源がラジオで「恋」を解禁したときに話した、タイトルを「恋」にした理由をちょっとアレンジして、ほぼそのまま話した。それを聞いて面接官がどんな反応したかは忘れたけど、何かさらに質問をしてきて、それに上手く返せなかったことはなんとなく覚えている。そのやり取りを受験後昼休みに弁当を食べながら喋った。その時の僕は汚いので星野源の引用とは言わなかった。後日、音楽番組に星野源が出たとき、サングラスをかけた司会者に同じ話をした次の日「てっぺいが話してたことと同じことを星野源が言ってた!すごいね!!」と僕を星野源に似ていると言ってくれた女の子に言われて「まぁ思考まで似てきちゃうよね...どうしても...」とか言っていた。マジ痛い。今からでも殴りに行きたい。書きながら画面殴りそうになった。

 ダンスがすごく流行った。隣のクラスの嫌な奴らが「今は星野源の時代だよね~」と大声で話していた。別に何も思わなかった。いやマジで。ほんとに。僕が先生に嘘をついて星野源のライブに行ってたころには「今は○○の極み△△だよね!星野源?よくわかんない」とか言っていた奴らだったのに半年で言うことが変わっているなぁとか全然思わなかった。ほんとに。若かった。童貞だった。

 上京した。恋人もできた。童貞でもなくなった。星野源はまた大きなツアーに出た。そのツアーの追加公演であるさいたまスーパーアリーナでの公演のチケットが奇跡的に取れた。その前の日に当時の恋人と大喧嘩をしたまま話もできず、かなり沈んだ状態で新都心に佇んでいた。会場中がピンク色に染まった景色をみてここまでピンクだと怖いなぁとか思っているとライブが始まった。大塚明夫と宮野真守のボイスドラマから始まった。歌謡曲役の大塚明夫は「もうどうせ俺みたいなジャンルは死ぬ!」と叫び、J-POP役の宮野真守は「死にません!続きます!」と叫んだその瞬間、大型ビジョンにはツアータイトルがバーンと映し出された。チカチカするステージにマリンバとともに星野源がせり上がってきた。僕は号泣した。理由はよくわからないけど気づいたら号泣していた。涙がぶわっと。隣の人の迷惑にならないように声を我慢してウッ...ウッ...と泣いた。2曲目は「化物」だった。さらに涙が止まらなくなった。こんなかっこいい人他にはないと思った。僕はその時音楽を辞めていてただのリスナーだった。ギターも諦め歌詞も書かなくなった。歌謡曲はずっと好きだったけどその良さを分かち合える人は少なかったし、J-POPも大好きだけど結局ドラマの主題歌になってテレビで「今話題の」と言われなければ、ユーチューバーたちが踊らなければ、かっこいい星野源もよくわからないと言われてしまう世の中なのかと勝手に憂いていた。ただのリスナーが。そんな中でこのライブのオープニングを見せられたときは、星野源が肩をポンとたたいてくれたような気がした。ただ理由はよくわからないまま泣いた。星野源がいれば、大丈夫だなって、ただのリスナーは思った。

 本当に大丈夫だった。しばらくして出た白いアルバムはめっちゃ売れた。星野源はドームを回った。東京ドームでの僕は泣くことはなかった。かっこいい星野源が作るちょっと小さい音にムッとしながら踊った。(東京ドームってホント音小さいよね)ドームなのに派手な演出は最後のアンコールだけ(あれを派手な演出と言える僕はもうかなり調教済だと思う)で、ただひたすら音楽していた星野源はかっこよかった。僕はまた音楽を始めた。僕は全然、星野源じゃないし。

 なぜこれを書き始めたかというと、星野源が結婚したから。あまり驚かなくて普通に祝!!という感じ。多分今年中にあるだろうなと思っていた。ただ相手がガッキーだとは思ってなかった。年下の一般人で職業は看護師とかだと思っていた。やっぱりちゃんと大人になったら結婚を選ぶのかなぁとか思った。ただ何があっても変わらない、何なら進化してめっちゃ強くなっていく星野源だから、結婚してもそんな関係ないやろ、とか思ったりもしている。ただ今僕は普通にしっかり一人でそんな予定がないから、そんな事深く考えてるならちゃんと授業に出て課題を出してちゃんと今年中に卒業しろと言いたい。と同時に、源ちゃんおめでとうございます、今までもこれからも大好きですよと、言いたい。

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