同窓会に行った話

僕の中学時代はなんだか可もなく不可もなくどちらかというと不可の方が多いぐらいのなんとも言えないものだった。

ただひたすらに音楽が好きで唇が切れるまでサックスを吹き続け、たまに・・・いやなにかにつけて部員とぶつかったりしていた。・・・うん。不可しかなかったわ。楽器だけ吹ければそれで満足だった僕VS「ちょっと男子ぃ!」系とにかく真面目にやりたい女子の争いに終わりはなかった。

中でも同じサックスパートのOさんとは一番喧嘩をした。コンクールに出ないとかいう話にまで発展した。3年生、最後の夏のコンクールの直前なんか一触即発なんて言葉じゃ足りないぐらいに彼女は僕を憎んでいた(と思う)し僕は罪悪感を抱きつつも自分の好きなようにやりたいように楽器を吹いた。

最後の最後まで僕たちは意地を張りあっていた。別れの時、僕は行きたい高校に行けず、中学のすべての人間と連絡を断ち切り雲隠れ状態だった。部活で後輩が開いてくれたらしい送別会に参加せず僕は家ででんぱ組を聞いていた(サクラあっぱれーしょんが僕を支えていた時期が一瞬だけあった。)せいでやりたい放題のまま逃げた奴という不名誉な称号を得た。Oさんは僕の行きたかった高校に無事合格し吹奏楽を続けたのに、僕は行きたくなかった高校に通い選択したコースの都合でやむを得ず吹奏楽から足を洗った。

そんな僕の中学卒業公演から約5年が経って夢眠ねむのでんぱ組卒業公演から数日たったある日、僕はスーツ姿で古川未鈴の生まれた香川にいた。あれだけ嫌った故郷の成人式に出席した。その日の夜には同窓会も控えていた。自分でも驚いたが招待してもらったのでびくびくしながら割といいホテルの宴会場へ向かった。すれ違う同級生が「おまえ・・・山内か!?ほんまに山内か・・・!?」という望みどおりの反応を見せてくれたのでご満悦のまま受付に向かうとそこには僕を招待してくれた幹事の野球部くんとその隣にOさんがいた。彼女はすぐ僕に気づき笑顔で手を振った。「よかった!来てくれた!!」その時僕の心をしめつけていた鎖がスッと解けていった感じがした。理由はわからないけど。とりあえず野球部くんに少々高い会費を払い宴会場に入るとそこは懐かしい顔ばかりでただひたすらに「久しぶり」「覚えてる?」「懐かしいなぁ」「今何やってるの?」を連呼するだけの空間と化していた。

会費の分だけしっかりお酒と料理と思い出話を堪能しふと会場の隅に目をやると熱心に料理を食べるOさんがいた。「久しぶり。さっき手振ってくれたの、うれしかった。いろいろあったのに優しいなぁって。」とかなんとか言った気がする。彼女は「確かにいろいろあったし怒ってたし嫌な奴って思ってたけど、時間が経ってみると山内もいっぱい考えてることがあったんだろうなって思うし今となってはいい思い出だよ。一緒に吹奏楽できてよかったよ。」と答えてくれた。5年という時間はとても大きかった。中学の部活の事は今でも夢に見てうなされるし苦しい思い出だった。でも彼女の中では「いい思い出」として保管されていた。なんだかおもしろかった。

「高校に上がってから私たちの演奏聞きに来てくれたことがあったでしょ?」彼女にそう聞かれた。僕の事を落としてくれた高校で吹奏楽を続けた彼女が羨ましくて、でも妬ましくて、傷つくことが分かっているわざと見に行くことが何度かあった。そんなこともあったかなぁなんてとぼけていると彼女が続けた。「私がソロを取ったとき、山内は腕組んで怖い顔で見ててさ(笑)怖くてめっちゃ緊張したけど吹き終わったら拍手してくれたのが嬉しくて。あの時も話したかったのに探しても見つからなくて。遅くなったけど、ありがとう。嬉しかった。」僕の青春ゾンビが無事成仏した瞬間だった。彼女はしっかり5年間という時間を重ねていたみたいだけど、意地で東京に出てきて、未だに乗り換えを間違えるくせに無理して標準語で喋って、ろくに授業も出てないくせに東京の大学生を名乗る僕はどうなんだろう。

その日は記憶がなくなるまで飲んで、気づいたら母が運転する車の中で大学の同じサークルの同期と電話をしていた。なんでそうなったのかは本当に覚えていない。いや本当にもう何がどうなったのか。あの会話からの記憶がきれいさっぱりない。ただしっかり財布からお金は消えていた。何があったんでしょうね。2次会には行けたのかしら。

課題のレポートも書かずにこんなところで2000字程度の日記を書いてしまうぐらいには、行ってよかった、同窓会。僕の記憶の中よりもちょっと大人になって優しくなった同級生と会えたのは、もしかしたら僕もちょっと大人になったからかもしれないと書きながらちょっと思った。つまり僕もどうにか5年という年月を重ねられたのかな。


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