ルールに縛られる

電車に、中学生が部活のため乗ってきた。

私の周りは左右2人ぶんずつ空いていた。しかし中学生4人は私の前に立った。私を挟んで座るのが気まずいのかな?と脇に寄るも、座ろうとしない。「座ったら?」と促すと、『部活で、他に立っている人がいる時は座らない決まりなんです』と隣の車両に乗っている同じ部員をチラチラ確認しながら話した。

おそらく、立っている人がいる=座れない人がいるから、中学生は譲るべきだ→空いていても座らないという構造なのであろう。

しかし、その中学生が通路の真ん中に立っていたため、後から入ってきた男性は狭そうに中学生の後ろを通っていた。中学生はその男性のことを見もしなかった。

さて、譲るべきであるという常識に基づいて作られた、元から座らないという中学生のルールは正しいのであろうか?

電車の席を空けておくことは、「座っている人をどかす」というよりも後から来た人が罪悪感なく座りやすい。その点で私は賛成である。

しかし今回、座らないルールを守るが故に電車内を移動する人の通行を妨げてしまっていた。電車内はスペースが限られている。中学生は自分たちのリュックなどを足元に置いていたため、咄嗟に通路を空けるという行動に移りにくい状態であった。

中学生達は「立っている人が1人でもいたらどんなに空いていても席に座ってはいけない」というルールに縛られているのではないか。

共同体として暮らすことにおいては少なからずルールを設定するべきであるとは思う。そのルールは、共同体に暮らす人全員が諍いおこさず心地よく過ごすためのツールであって、我慢を強いるような「クサリ」であってはいけないと、私は思う。

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