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バンクーバー生活の2年間を振り返る

こんにちは、kureaです!

ワーホリでバンクーバーに滞在中で、今年の2月で3年目になりました。いい節目だと思ったので、これまでの2年間のバンクーバー生活を振り返り、備忘録としてここに残しておきたいと思います。思い出やその当時の気持ちを思い出しながら書いていたら6000字を超える超大作になってしまいました。キャリアに奮闘する社会人の海外生活が気になる方は読んでみてください。


最高のカナダ生活のはじまり

到着した日にカナダプレイスから撮った写真

2022年2月11日。カナダのバンクーバーに到着しました。バンクーバーは雨が多いと聞いていましたが、私が到着した日はどんよりとした曇り空。バンクーバーらしい天気に迎えられて、初めての海外生活にワクワクしていました。

カナダに着いたばっかりの頃は毎日が本当に楽しかったのを覚えてます。私は平日の午前中だけ英語のクラス(ESL)を取っていたので、最初の1ヶ月半は語学学校で英語の勉強をしました。学校で勉強するといっても、ガリガリ勉強するような授業でもなかったので、友達に会いに行くために学校に行くような感覚でした。英語は大学を卒業してからはほとんど勉強していなかった(渡航前の3ヶ月間のオンラインの英会話だけだった)けど、友達との会話はほとんど問題なくできました。仕事もオンラインでできるフリーランスの仕事を続けていたので、仕事に困ることもありませんでした。「パソコン1台で仕事もできて、海外に住めるなんて最高!」と心から思っていた時期でした。


ベースメント生活と海外での体調不良

1ヵ月で出たベースメントの部屋

バンクーバーに来て2ヶ月が過ぎた頃、今まで住んでいた学生寮(カナダの学生寮が気になる方はこちら)からシェアハウスに引っ越しをしました。今まで住んでいた学生寮が新築の家みたいな綺麗さだったので「ここを出るのは嫌だな…」と思いながら、当日は友達に手伝ってもらい引っ越しを終えました。

新しいシェアハウスに着いてまず思ったことは、部屋が暗い。内見をした時は、冬の午後6時くらいだったのもあり、日当たりがどうかなんて考えていませんでした。そもそもベースメント(=部屋の上のほうに小さい窓があるだけの地下の部屋)の概念がほとんどなく、気にもしていませんでした。ただでさえ、冬は雨も多く、日照時間が短いバンクーバー。引っ越して早々「こんなところで生活していくなんて考えられない!」と思い、越して来て3日でオーナーに今月末に家を出ると伝えました。

次の家探しをしなければいけない焦りもあるのに、同時に来た体調不良。しかも語学学校の期間が終わって、カレッジ(留学生のための専門学校)の授業も始まるタイミングで熱を出し、1ヶ月間止まらない咳に苦しみました。コロナの検査をした結果、陽性ではなかったものの、この時期はまだカナダでもコロナに感染する人もいたので、咳をしながらクラスメイトと話すのが申し訳ない気持ちでした。日の当たらないベースメントへの引っ越しとカレッジの勉強、そして体調不良。いろいろと重なり精神的にとても辛かったです。


夢の実現とこれから

グランドキャニオンに行ってきた!

ベースメントからの引っ越し先が決まり、その後、2回も引っ越しを繰り返すなどいろいろありましたが、ロサンゼルスやラスベガスなどたくさん旅行もして、なんだかんだ毎日楽しく過ごしていました。

バンクーバーの夏が終わり、少しずつ寒くなってきた10月下旬。ふと、これからのキャリアについて考え始めました。「今の仕事は私じゃなくてもできる」「もっと責任のある仕事がしたい」そんなことを考えていました。基本的に(退職もカナダ留学もあっさり決めちゃうくらいには)ポジティブ人間なので、あまり悩んだりはしないのですが、この時は自然と涙が出ていました。

2020年8月末に退職をしてからは、がむしゃらに勉強と仕事をして、開業届を出し、気づけばフリーランスで仕事をしながら海外で働けるようになっていました。退職からここまで2年ちょっと。自分にとって変化の大きい期間だったし、充実もしていました。「好きな時に旅行にいける働き方がしたい」と思って、デザインや動画編集の勉強を始め、気がついたら2年前に理想としていたところに自分が立っていました。フリーランスになった時も、海外で自由な働き方ができるようになった時も、意外とその瞬間は何も感じないもので、後で振り返ってみたら理想が現実になっていたという感覚でした。そんな理想が現実になったことを実感した時がこの時期でした。「じゃあ次の目標は…?」と同時にキャリアについて悩み始めた時期でもありました。

この時、私が出した結論は「今の仕事でできることを増やす」か「やりがいのある仕事をする」の2択。今の安定した仕事のスタイルを変えるのはやっぱり勇気のいることで、実際に行動に移すのも、人からどう思われるのかも怖くて不安でした。結局、自分が何もしなければ何も始まらない、考えてるだけじゃ何も変わらないと思い、勇気を出してクライアントに相談したり、やりたい仕事にアプライするなど、この状況を打破できることはやってみました。でも自分が今できることをやったからと言って、自分の思い通りになるはずもなく、結局、現状を変えることはできませんでした。でも「やってみたけど上手くいかなかった」という事実が分かっただけで少しスッキリしました。(たぶんここで何もしなかったら、ずっと同じモヤモヤを抱えてた。)


カナダでの仕事探し

日本語学校の発表会

ここで私のカナダでの仕事探しの話をしたいと思います。私は渡航する前からフリーランスのお仕事があり、もともと1年だけの留学の予定だったこともあり、最初は「興味がある仕事があればパートタイムでやってみたいな」くらいの気持ちでした。そんな訳で、Coopの座学期間中の半年は特に仕事探しはせず、座学が終わり、時間ができたタイミングでパートタイムの仕事を探し始めました。そこまで真剣に探していなかったので、仕事は見つかりませんでした。また、このタイミングで2週間の韓国旅行に行ったため、そのまま私の仕事探し第一弾は終了しました。

韓国から戻り、引越しをきっかけに新しい家の近くでカフェの仕事を探しました。バリスタ未経験でしたが、1週間程でカフェから採用してもらい、週2~4日程度、一日5時間だけカフェで働き始めました。また、週1で日本語教師の仕事も決まり、カナダ生活2年目はフリーランスの仕事をメインにローカルのカフェや日本語学校で日本語教師の仕事をしていました。

前の話に戻りますが、カフェや日本語学校の仕事はあったけど、自分的に納得のいく仕事ではなかったため、キャリアについてはずっと悩んでいました。カナダでパートタイムの仕事を始め、今できることはやってみたけど、現状何も変わっていないので、根本的なキャリアの悩みは変わらず、年が明けました。そこで今度はカナダでやりがいのある仕事を探すことにしました。教育関係の仕事に興味があったのとこれまでの経験もあったので、学校を中心にアプライすることにしました。この時はフリーランスで受けているお仕事も極力減らしたくなかったので、カナダでの仕事はパートタイムで探していました。ですが、学校などのオフィス職でパートタイムなんて簡単に見つかるはずもなく、カナダでの仕事探し第二段もフェードアウトしていきます。


ノリと勢いでワーホリ取得

ロードトリップの時

カナダでの仕事探しも上手くいかず、時が過ぎ、気づけばバンクーバーに来て1年が過ぎようとしていました。3月には今の学生ビザの期限が切れるので、帰国するかワーホリを申請するか迷っていました。もともとカナダ留学は1年間だけのつもりだったんですが、特に日本に帰ってやりたいこともなかった(カフェや日本語教師の仕事もしていたけど、メインのは日本のフリーの仕事もあったので、帰国しても仕事も大きな変化はない)ので、せっかくならバンクーバーの夏を楽しんでから帰ろうと思い、ノリと勢いでワーホリビザに切り替えました。

3月にビザの切り替えをして、翌月には1年2ヶ月ぶりに一時帰国をしました。カナダの友達も日本旅行に行く予定だったので、私の一時帰国もタイミングを合わせて2週間の一時帰国を楽しみました。バンクーバーに帰る前には1週間台湾に寄り、人生2回目の台湾旅行をしました。

この年の2月、3月にカレッジで出会った日本や韓国人の友達はほとんど帰国してしまい、友達作りに苦戦していたので、友達の紹介でmeetupに参加。ここで新たな繋がりを作ることができ、その友達とは今でも仲良くしています。今考えると留学時代はクラスメイトや1年などの短期で滞在している人と仲良くなりがちですが、最近では現地の友達やカナダ歴の長い人との交流が増えてきました。新たな友達も増えて、ビクトリアに出かけたり、バンフまでロードトリップをしたり、バンクーバーの夏はまたあっという間に過ぎていきました。


帰国

どうでもいいバンクーバーの風景

バンクーバーの夏が終わる8月末に1年7ヵ月のバンクーバー生活に終わりを告げ、日本行きの航空券を購入しました。人生楽しいだけじゃ満たされないようで、楽しいの裏でこれからどうしようと考えている自分もいました。このままフリーランスの仕事を続けていくのか、メインは日本円での収入なのに物価の高いバンクーバーで過ごす意味はあるのか、海外に住むという夢が叶ったならフリーランスを辞めて就職するのもアリなんじゃないか…など。いろいろ考えた結果、日本に帰ることを決めました。

バンクーバーの夏を満喫しながら、新卒の就活でもしなかった自己分析をして、就職エージェントに登録して、カジュアル面談を受けて…。着々と帰国後の準備をしていました。帰国の日が近くなると、もうバンクーバーには戻れないんだという実感が湧いてきて、車の中から見えるバンクーバーの景色を見ながら自然と目から涙が流れていました。この時は日本に帰るワクワクよりもバンクーバーを離れる悲しさの方が大きかったです。そんなこんなで時間は過ぎていき、9月27日、バンクーバーを出る日が来ました。働いていたカフェを辞め、携帯を解約し、カナダの銀行も閉じて帰国しました。


2ヵ月の日本滞在とバンクーバーシック

家族とお好み焼き

成田に着いたのは28日の夕方。空港まで母が迎えに来ていたので、成田から東京行きのバスに乗り、一緒に帰りました。家族と再会して、毎日一緒に晩ごはんを食べて、友達とディズニーに遊びに行って。もちろん楽しいことはたくさんあったけど、心のどこかでずっとやっぱりまだバンクーバーにいたいという気持ちが消えませんでした。1年半も住んでいれば自然と愛着も沸くみたい。気づけば頼りになる友達、遊びに誘ってくれる友達もいて、バンクーバーの生活が心地よくなっていました。今更バンクーバーに戻りたいと言っても、私のビザは残り3ヵ月半。たった3ヵ月半で自分に何ができるのか。3ヵ月半だけのために戻る必要があるのか。

日本に戻って来たけど、バンクーバーに戻りたい気持ちが消えず、日本でのキャリアを前向きに考えることができませんでした。どうせ日本にいても何も前に進めないのなら、今やりたいことをしよう。バンクーバーに戻って、3ヵ月半、後悔のないように過ごそうと決めました。そして再びバンクーバー行きの航空券を買ったのは、日本に帰国して1ヶ月後のことでした。

そこからは日本からバンクーバーでの仕事探しを始めました。残り3ヵ月半のビザで雇ってくれる会社があるのか、自分でも無謀だなと思いながらもカナダでの仕事探し第三弾がスタート。幸いにもいくつかの企業から面接の連絡をいただきました。ということで、日本で再出発の準備をしつつ、2ヶ月間の日本滞在を経て、12月1日、期待と不安と一緒にバンクーバーに戻ってきました。


カナダ現地企業に就職

人生初の企業勤め

日本にいる間、日本から履歴書を送っていたので、数社から面接のオファーを貰っていて、バンクーバーに戻ってから5日後には、そのうちの一つの会社の面接がありました。面接の結果は金曜日までに連絡するとのことでしが、金曜日になっても連絡が来ることはなく、ほとんど諦めていた時でした。土曜日の夜にメールが一通。「あなたを採用したいと思っています。」の文字。信じられなくて文字を直視できなかったのを覚えています。

そして12月中旬からフルタイムで働き始めました。今回、新しい人を募集していたのは、一人辞めてしまうからだそうで、初日は引き継ぎをしてもらいました。覚えることが多すぎて、「ここで本当にやっていけるかな」と本気で心配しました。私が働いているのは日系の企業なので社内の人は全員日本人なのですが、仕事をする上で英語は必須です。私は履歴書にも英語力に関して何も書いていなかったし、面接もオール日本語で英語力に関することは何も聞かれなかったので、てっきり英語力は求められていないと思っていました。が、実際は英語ができないと仕事にならないという環境でした。バンクーバーに来て2年、初めてもっと英語を頑張らないといけないと感じました。覚えることも多く、責任も重大。不安でいっぱいなまま2023年が終わり、年が明けました。(ちなみに私の日本での職歴は日本語学校とフリーランスのお仕事だけだったので、企業で働くという経験をカナダで初めてすることになりました。)


セカンドワーホリを取得しバンクーバー3年目

ビザを切り替えにアメリカへ

ビザが残り3ヵ月半しかなかったのにも関わらず、フルタイムで採用してもらい、現地の企業で働けるようになった私ですが、まだ大きな問題が一つ残っています。それがビザ。私のビザはこの年の3月中旬までだったので、それ以降、カナダに残りたい場合はまた別なビザが必要になります。そこでビザについて調べていたら見つけたのがセカンドワーホリ。セカンドワーホリを取得するまでの詳しい内容は別の記事に書いたのですが、セカンドワーホリは通常のワーホリのように申請すれば必ず取れるという訳ではありません。そしてビザ取得の費用もかなりかかります。

私はSWAPという団体を通して、セカンドワーホリを取得しましたが。取得までは本当にビザが取れるのかドキドキの毎日でした。私は12月にSWAPのWaitlistに登録しました。1月以降、SWAPから連絡が来た人のみ、ワーホリの申請ができるという流れなのですが、SWAP経由でワーホリを申請した前例があまりなかったため、どのくらいの確率で、どのタイミングで連絡が来るのか、どんな基準で選ばれているのかなど分からない事がたくさんありました。結果、2月8日にSWAPから当選連絡を貰い、3月9日に新しいワーホリビザに切り替えをすることができました。


これから

2024年2月にバンクーバー生活2年を迎え、3年目に突入しました。最初は1年の留学で日本に帰るつもりでしたが、未だにバンクーバーで生活をしています。この2年で学んだのは「人生って本当に何が起こるか分からない。」ってこと。

今後は、日本語教育やキャリア、クリエイティブ制作(動画編集やグラフィックデザイン)に興味があるので、自分の興味がある分野でキャリアを広げていけたらなと思ってます。バンクーバーで一緒にお仕事したいよって方がいたら声かけてください :)

今日、28歳のバースデーという節目にカナダ生活2年間の振り返りnoteを投稿します。



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