見出し画像

【飲食店経営】過信と勢いだけで2店舗目の案件を受けた結果がココにあります

こんばんは
オリハです。

今回は
1店舗目で懲りずに2店舗目の案件を受け、オープンしたお話をさせていただきます。

さあどうなったか
いってみましょう!!


1.話は日常に突然舞い込んでくる


まだコロナ渦が全盛の中、突然、とある方からの連絡で全ては始まりました。

「お話したいことがあるので、事務所まで来ていただけますか?」

私は
「誰か有力な方でも紹介いただけるのかな?」
くらいの軽い気持ちで伺ったのですが、
なんとその先で

「建設中の施設でカフェをオープンしたい。そこを経営してもらえないだろうか?」

という提案をもらいます。

はいorイエスしか返答を持ち合わせていない私はそのお話を受けることとなりました。

2.実現したいことはあった

私はただの自分勝手な飲食店オーナーですので、現場にしか興味はありません。
このお話を受けたのは
「アフタヌーンティーをやりたい」
1店舗目では営業時間的に実現が難しい。
しかしそれを実現できそうな話が目の前にきた。
アナタならどうしますか?

私にあったのは1店舗を創業した経験と知識と想いだけ…
あと紹介者の
「社会貢献・地域貢献」
という理念にぜひ私もお力添えをしたい!!

そんなことくらいしか考えておりませんでした。

3.1店舗目とのギャップと現実に苦しむ

1店舗目は私が全てを決断し、好きに運営し、何でも決めることが出来ます。
違いは「施設の中というスポンサーの場所・設備の提供、そして制限がある
ということです。
地味にネックだったのは、
オール電化!!IHコンロ!!
謎の焦げ付きなど発生し、思い通りにいかない設備。
しかし私には謎の自信がありました。全ては勘違いだとも思わずに。

そして、施設側も提供料理の内容が気になるのか、メニュー表を送れと指示されるのですが、送ってみると全否定されることになります。
このあたりから暗雲が立ち込めるのを感じました。

それでも何とか折衝をしてオープンにこぎつけることとなります。

4.目論見が全て外れる

私の算段では
1店舗目の利益を全て2店舗目に流し込む
という覚悟のもと、運営していくと決めていましたが、このあても外れてしまいました。
コロナにより欠員となったりして、2店舗を運営する人員が確保できずに土台となるはずの1店舗目すらも営業を縮小せざるを得なくなってしまいました。

2店舗目の営業を最優先としていたのですが、
売上的には
毎日営業する2店舗目<週末営業のみの1店舗目
こんな地獄のような状況となってしまいました。
企業全体として考えた場合には、大幅なマイナスです。

何より施設の規約で、
表立っての集客の禁止
私はそんなの気にせずに集客していたら、実際に行政からの指導も入りましたので、私はお手上げ状態となりました。

悪いことは連鎖するもので、
資金繰りの悪化に加え、
1人しかいなかった社員の退職申し出によって事実上の運営も出来なくなってしまいました。
(店舗責任者は有資格者1人につき1店舗しかなれません。)

資金繰りに苦慮する中、アルバイトはもっとシフトに入りたい、1店舗目は閉めているので収益もない。

まさに地獄を自分で築いてしまったのでした。

5.経営の撤退をする

私の組織・資金力ではこれ以上経営をすることが出来ないと判断をしたため、施設運営側に経営の引継ぎを打診することとなりました。
相手方が承諾してくれたため、店舗とスタッフの存続は担保される形で帰結しました。

私個人の結果としては
0⇒1
は達成しましたが
1⇒100
の半ばで頓挫しました。

世の中では
0⇒1
が尊いこととされていますが
1⇒100
も相当に難易度が高いことだと身をもって体験した次第でございます。

6.総評

2店舗目を経営したのはたったの半年足らずですが、
15kgのダイエットに成功してしまいました。
そして、数百万のお金と社員を失いました。

私が得た教訓は

・1店舗だけの場合は自分自身が体を張ればなんとかなるが、2店舗となると物理的に人の力を借りなくては成り立たない
・しかし任せきりにしても成り立たない
・従業員は経営者の前だと一見殊勝なふるまいをするが、いなくなった途端に自分の利益を優先して行動する
・出資者のもとでオープンすると出資者(飲食経営素人)の影響力により思ったとおりに運営できない

なにより全ては私の経営者としての「器の小ささ」が招いた結果です。

2店舗目を開業しようとする方には、アナタの実績に対していい話が舞い込んでくるかもしれません。
しかし「自分の持ち味」を失くしてしまうことにならないかについては今一度立ち止まって考えてみてください。

諦めなければこうした出来事も成功への過程に過ぎない私自身は捉えておりますが、当時は苦しかったことも確かです。
家族にも顔つきがオカシイとも散々言われました。

この記事をご覧になった方においては、同じ轍を踏まないような参考例にでもなりましたら幸いでございます。

最後に誠に勝手ではございますが
こんな私に貴重な機会をくださった関係者の方々には心より感謝申し上げます。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?