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『天気の子』にみる終わってほしくないセカイの緩慢なエントロピーと、『三体』が咆哮する「中国夢」の烽火

『君の名は。』に続く『天気の子』のブーム。
セカイはすごいことになってしまうが、日常はひたすら変わらない。変わらない中で物語は続く。今のふわふわとした豊かさが変わってほしくない気持ちは誰もにもある。

安倍政権で続く投票に行く意識を持った若者を中心とする高い支持も、このまま「豊かさ」が変わらないままでいて欲しいという、気持ちの現れなのかもしれない。人は安心を何よりも欲する。

美しい日本 豊かな日本
そのセカイ変わらないでくれ
終わらないふわふわとした世界に逃げよう

「クールジャパン」「2020オリンピック」「2025万博」「2030オリンピック」…「沖縄」… みんなこのふわふわしたままで平和な日本が好きで、このまま終わらないでいて欲しいと内心から思っている。
どこかで、終わるかもしれないことを感じながら。
まるで『hinomaru』の唄のように…

そして、苦しさを自己責任で背負いながら、そのふわふわした居心地の良さゆえ、そのままであり続けることにより、いつか終わりを迎えてしまうのだろう。

新海アニメは、天気を少し変えるくらいはできるかもしれないけど、このふわふわとした世界を救うことはか弱い力では無理だから、自分が生きることがことができる世界に逃げればいいというメッセージ。慎まやかなしあわせがあればいい。
しかし、リアルには、慎まやかにそのままで逃げる場所はない。
『Great Escape』の唄のように。

「ふわふわとした居心地のいい」日本がそのまま終わってほしくない。
安倍の世にも終わってもらいたくない。その先なにが待っているのか不安しかない。しょうがない。『天気の子』では、東京がつかいものにならなくなってもみんなまだしがみついている。

苦しさを全国民がそれぞれの「自己責任」で背負いながら、ふわふわした居心地の良さゆえ、そのままであり続けることにより、それはいつか終わりを迎える。
そのようなことが成熟した国民国家で起こるとは思いもしなかった。本来ならヤバいと思う国民であるエリートや政治家が多くの人と共に気づき直していくはずなのだが。

今を終わってほしくないと逃げられないでいる間に
お隣は400年後の宇宙人襲撃に向けて科学的長征で
立ち向かっている

ところが隣、中国はまさにヤバいと思う人民であるエリートやテクノクラートが多くの人と共に気づき直して凄いことになってしまった。
中共(政権)が、10億の人々が実感し誇りを持った「中国夢」を、緩慢なエントロピーに向かうわが国の一方で成し遂げてしまったのだ。
中国の国威が上がる最後の最後になって、短期間で腐敗を一掃、農村などの不公正を改め、中華の傘にある人民に豊かさを実感させた党官僚制が働いたのだ。
努力すれば豊かさは誰でも手に入る。スマホたのしい、高鐵便利!
日本やタイ、欧州に遊びにいける。何より安心して暮らせる、「中国夢」をつくってしまったのだ。

ふわふわと、芸人さんたちがオモシロいことしたら、アジアの子ども達に教育コンテンツが広がって、Netflix に勝てるかもと、終わらせたくない政権のもとなぜか沖縄でなけなしの100億円のファンドが突っ込まれ、基地移転後にお笑いとピースのキッズパークがアジア中の家族連れを引き入れるという「クールジャパン」の終わらない「日本スゴイ」を誰も疑わない緩慢さの中でである。

「中国夢」に届く少し前、『三体』というSF小説が中国の奥地の水力発電所技師の手によって生まれた。
その国が世界の絶頂を迎える時、国民の思考にガラスの天井がなくなり、その時代のトップをゆくヤバいSFが生まれる。
WW2の勝利直後大英帝国の絶頂に、アーサーCクラークは、モノリスを月に乗っけた。
第1回大阪万博の頃、小松左京は人類をとことん苛め抜いて、地球人ではないようにしてしまった。
そして、夏華文明の最先端が『三体』だ。

文化大革命でリンチ死をした学者である父の姿を目の当たりにした、若い学者が宇宙に地球の位置情報と人類のことを発信した結果、無理ゲーな環境(「三体」ワールド)で何度も文明を滅ぼされても不屈の三体人がそれを受信し、生き残りをかけて地球に400年かけて攻め込もうとする。
さあ、このままでは人類は滅亡する。地球防衛軍をなんとか400年後に間に合うように整備して、勝たなければならない!
実はそれが序章で、無限の時間の後、宇宙のエントロピー死を人類が乗り越えることができるか?という、宇宙ヤバいを凌駕したSFである。
こんなのが、宗次郎のオカリナがNHKスペシャル、中国はこんなにロマンチックだから仲良くなろうねスペシャル『大黄河』のような発電所で長年生きるエンジニアから生まれるのがすごい。
私のある親戚は、県庁職員で砂防ダムの番ばかりをしていて、エロDVDも飽きて、昇進試験の勉強ばかりして20代にして部長職の資格までとってしまったというのもすごいが、やはり中国はそれよりも成し遂げることがスゴい。
作者は、中国が強くなり、堂々と科学技術がわが国にあると、人民が誇れるようになった気持ちが、『三体』につながり、その大ブームになったと語っている。

片や「ボクたちのセカイが終わっても、キミと一緒にふわふわとした世界へ逃げられる」(終わらないでくれ)、片や「400年後来る三体人に勝つために、政体を変え一丸となってやり遂げる」(それもなんとなく西側秩序の対イラク連合のように地球防衛軍ができるのではなく、地面からエリートが選抜されかじ取りを任す今の華夏中華の理想的姿=共産主義の完全系だ)、もはや後戻りできない何かが東シナ海を隔てて対峙するようになった。

ふわふわとしたセカイが滅んだあと
残る「日本人」は「智子」さん

「三体人」と戦わなければならないとき人類を守れるのは、理にかなった指導で適切な人材をみつけ配置できる中共であると暗に語るのだ。セカイの終わりを信じない日本ではその存在ごと、着物や刀やニンジャや(たぶん)新海さんの画はまるでギリシア神話のように残るけど、なくなってしまう。

『三体』のまだ翻訳されていない最後の巻で、先に書いたそのものが登場する。次の巻で「智子」(まんま中国語)という粒子コンピュータを三体人が送り込むのだが、最後の巻では「智子」さん(まんま日本語)が重要な役割をする。ちなみに智子さんは人間ではない。着物をまとった美少女だが。
智子と智子、まさに東洋が生んだスゴいSFである。アルファベット圏にはわからないだろうなあ… 書いている僕は智博なので、まんま意味のネタ化が華人圏でできるのでおいしい。

多くの団塊から「戦争が(日本にきたら)海外に逃げる」と勇ましく聞かされた。より若い世代は愛するわが国から逃げるものかと思うようになった。豊かになったが殺伐とする今、そんなことになることも信じたくない、「ふわふわとした世界」に逃げて閉じこもっていたいという気分が増幅している。

わたしたちは壇ノ浦の海の下に終わらない
ふわふわとした世界をみるのか?

まるで雅を纏ったまま、屋島に逃れ、水中の都へと飛び込んだ平家とその公卿たちの姿を思い浮かべる。まさにその美学は『天気の子』のセカイとも重なる。美少女たちは、まさに、屋島で義経に扇を射よと誘う姫たちである。壇ノ浦では、結局多くの少女たちは生き残り、行き場を失い、関門に生き続き、赤間神宮に雅の残り香を残しながら、歴史から消え去っていく。

ふわふわとしたセカイが終わってほしくない。その思いは、わが国だけでなく、韓国や台湾の若者、そして香港の若者、はたまた中国のB站に癒しを感じる蟻族たちにも共通する。
『天気の子』は凄く刺さることだろう。既に公開前からじわじわと漏れ刺さっているのだが。

終わらないふわふわとした世界に逃げたいのは
中国夢をみることができない
お隣の若者たちにも共通している

宇宙のエントロピーよりも先に来る、ふわふわとした世界が終焉するエントロピーは間近なのだろうか?

私はこのままではいけないと考えている。



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