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邦楽とは物語詩の世界だ!

クラシック音楽ほどではないが、邦楽もけっこう馴染みがあるほうだ。
スタートは歌舞伎音楽。清元、浄瑠璃、長唄。
このあたりの江戸音楽は歌舞伎をみながら、結果、たくさんきいてきた。

次は日本舞踊を習った時。長唄で踊ることが多いが、お稽古中は、先生のチリトテチリトテ・チントンシャンという口三味線(この、チンなどの音(おん)は、そのまま三味線の楽譜読みとはこのときしったけど)と、歌詞でお稽古する。
その派生で、笛がいいな、と思えば、しの笛や尺八などを集中的にきき、 三味線も、太棹、津軽三味線、などきいてきた。

次の出会いは、先代猿之助さんのスーパー歌舞伎にはまって、長澤勝俊作曲、日本音楽集団の演奏による、和楽器によるオーケストレーション。
この幻想的な音楽が素晴らしくて、はまりまくった。
この時、引かれたのは十七弦のお琴。(通常は十三弦)

そして、ググっと間があき、能楽の囃子方の重鎮たちとお仕事を一緒にすることにより、能楽器の音にも触れるようになる。
幸運なことに、人間国宝クラスの方々の音を間近にきかせていただく機会をいただいたので、耳がここでぐ~っとこえた。
この頃までは、邦楽といっても、和楽器の音色を聞いているのが主だったし、「その独特の音色や調子、音階が邦楽だな。」と思っていた。
(江戸の一中節、端唄など、すべてはカバーできていないが)

そして、2023年の年初に琵琶の弾き語りをはじめて生で聞いた。
聞くならこの方!と思っていた筑前琵琶の人間国宝の旭翠さんの弾き語り。
舞台にただ一人すわり、語り、弾き始めた。 その音は、思っていたよりも小さい。 そしてその20分あまりの曲で沢山の気づきがあった。

琵琶の弾き語りというのは、 ホールや大勢の聴衆の前で演奏するものではなく、ごく少数の人が集う空間で演奏するものだということ。
なので、声を張り上げる、通すのではなく、目の前に居る人に語りかけるように語る。
それはまるで、子どもたちと車座になってお話をきかせるような感じである。
そう!まさに、琵琶の弾き語りは、お話を語っているのが主なのです。 琵琶の演奏はあくまでも効果音にすぎない。 琵琶の音楽がメインなのではない。というのが大きな発見であった。
そうわかって聞いてみると、琵琶の弾き語りをつかむことができた。

琵琶で有名なのは、平家物語の語りだが、まさに物語を語っているのである。
それは、西洋でもゲーテなどが書いてきた「物語詩」の世界だ。
その視点で、邦楽をきいてみると、大抵が物語りを語っているものが多い。
そして邦楽のタイプにより、「語り&演奏」を同一人物がしたり、別々の役割にしたりしている、といった違いがある。 ということらしい。
西洋のオーケストレーションで物語詩に音楽をつけたものはとても少ない。
つけたとしても、そのときは「音楽に置き換えた」になり融合することは少ないように思える。 (オペラや歌曲は、物語詩のジャンルではないし)
あるとすれば、中世の吟遊詩人がそれにあたる。 と、ここまで推察した時、知り合いの能楽囃子方の方に私の推察をぶつけたところ、
「まさにその通りですよ!」と言っていただけた。
「 能楽は、物語を「謡と囃子」によって表現しているのですが、あくまでも囃しかたはBGなのです。謡で物語るのがメインです。 そして、西洋に吟遊詩人が登場した同じ頃、日本で能楽が発生したのです。」と・・・
時同じくして東西で、物語詩を弾き語る形態が登場した。ということだ。
なんとも面白いことだ。

音楽の形態一つとっても、感性でとらえながらも、こうやって考察していくと、自分の世界が広がっていく。