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おまもり

昨年、おまもりを買った。
正確には、ひいらぎさんのおまもりブレス。
SNSで美しい商品写真を目にして以来、頭の中が深い蒼色の石でいっぱいになってしまい、入荷と同時に「ブルータイガーアイxラブラドライト」のブレスレットを注文したのだ。

人生の節目節目で、主に心が弱ったタイミングでおまもりを必要としてきた。
それは物だったり、言葉だったりした。
どちらもそのときの自分にぴったり寄り添ってくれて、役割を終えると離れていった。

5年前、スペインにパートナーを残し日本へ引っ越すタイミングで、ふと指輪が欲しくなった。それまでの人生で一度も欲しくなかったのに、突然肌身に感じられる「証」や「よすが」が必要だと感じた。パートナーはバルセロナの雑貨屋さんで私が気に入った、シンプルな指輪を買ってくれた。しばらく身につけていたけれど、サイズも合わない安物の指輪で、すぐ錆びてしまった。

転職に悩んでいたときは、占星術関連のサイトをよく閲覧していた。
曖昧なメッセージよりも、具体的なアクションを促すものを好んで読んだ。
宙ぶらりんな状態がきつくて、誰かに「こっちがいいよ」と示されれば、そんなに楽なことはないと思っていた。結局当時の仕事は強制終了となり、やけになって「おもしろそう」だけで選んだ仕事が居心地よく、現在も続けさせてもらっている。占星術には、手取り足取り助けてもらったわけではないけれど、おおまかなスタンスのようなものを示してもらった気がする。

冒頭のおまもりブレスは、仕事で災難と思えるような出来事が続いていた時期。「なにかに守ってほしい」と縋りたいような思いがあった。
凪状態となった現在は、つけたりつけなかったり。その日の服装で決めたり。勝手なものだ。

子どもの頃は、なんとなく、大人はおまもりに頼ったりしない、「心が安定した」存在だと思っていた。確かに子どもの頃より知識や経験が増えて怖いものは減っているけれど、心はぜんぜん安定しないし、人生にはコントロールできないことの方が多い。

古代より、おまもりやおまもりにまつわるビジネスが存在しているということは、それだけ人間社会に必要とされているということ。あまりに強い言葉や高額なセミナーはいくら心が弱っていても敬遠するが、「これを必要とする人がいるんだな」ということは理解できる。

元旦の震災で心がぎゅっと固くなってしまい、ニュースを見て辛くなっていたときも、神社でひいたおみくじが大吉で、受付の方に「大吉が出た方には、この一年のさらなる幸運をお祈りさせていただきます!」と鈴のついたお祓い棒を頭上でシャンシャンと振っていただき、なぜかとても安心した。なにか、大いなるものに守られている気がして。

その他にも、大きな木だったり、お花だったりに見守られている感じがして、ほっとすることがある。

願いが叶うという亀石を撫でて、わくわくした気持ちになったり。

今後の人生もしなやかにおまもり的なものを取り入れながら生きていくのだろうし、そんな自分も人間らしい存在として、受け入れていきたいと思う。

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