ミュージカル『わたしは真悟』 -無理が通れば、新たな道理-

楳図かずおの強烈なヴィジョンを照射してくる原作マンガを夢中で読んだのは、もう30年も前でした。それを今、高畑充希と門脇麦主演、フィリップ・ドゥクフレ演出でミュージカルにするって、そりゃ無茶でしょ、と誰だって思うけれど、いやいや、納得の公演でした。

ネット世界に宿る神的人格っていう、『ニューロマンサー』や『攻殻機動隊』に通じるサイバーパンクなテーマを、楳図かずお師はより象徴的かつ詩的に描いているわけだから、むしろミュージカルっていう、ある意味現実ばなれしたフォームには適しているんでしょう(後づけの理屈ですけどね⋯⋯)。

子どもが持ってしまった恋の感情を成長とともに失ってしまうっていう、切ないラブストーリーなんだけれど、小学生のさとる(門脇)とまりん(高畑)が「結婚したい」「子どもがほしい」なんて普通に言い始めるあたりから、楳図ワールドが走り始めます。東京タワーのてっぺん(333という数字の象徴性!)からジャンプする「受胎」の儀式によって「産まれた」子ども(AI)が、ネットの中で「成長」してくっていう、くらくらするような展開にまっしぐらに突き進んで、物語は一気にコスモロジカルなサイズに拡大していきます。

この物語をミュージカルで上演する意義、言い換えるとミュージカルがこの物語に加えたものは、二点あるように思います。

一点目は、演出のドゥクフレの仕掛け。まず、ランドセルを背負った二人の主人公を成人した女優に演じさせることで、子どもでも大人でもない(あるいはその両方でもある)不思議なハイブリッドを、舞台上に生み出しています。子どもの表情や所作に時折大人のそれが垣間見える瞬間がスリリングで、子どもから大人へのはざまで奇跡を起こす主人公たちに、別次元のリアリティを与えている。

二人の子どもとして産まれるAIの真悟を、成河という俳優に「演じ」させたことも仕掛けのひとつです。真悟を擬人化しただけじゃなく、彼にアクティブでフィジカルな運動性を与えたことがドゥクフレらしい。成河・真悟が舞台の上下左右を縦横に動き回ることで、まるで『真夏の夜の夢』の妖精パックみたいに、世界に遍在しつつ世界を動かしていく存在になっていくんですね。

ときに空中になり海になり地下になる舞台を、驚きの発想で驚きの空間にしていくあたりも、ドゥクフレの独壇場。特に真悟が海を渡っていくっていう荒唐無稽なシーンが、あんなに幻想的でダイナミックな舞台になるなんて⋯⋯!

二点目は、トクマルシューゴ(音楽)と青葉市子(歌詞)っていう、今の日本の音楽シーンの上澄みみたいな二人がつけた音楽。ノマド的とも言える自由でジャンル横断的な歌とサウンドが、大きく世界が拡張していくような感覚と、胸が痛くなるような抒情をあふれさせます。カーテンコールで歌われる「333のてっぺんから!」っていう歌詞とメロディーが、耳について離れなくなっちゃったし。


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