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『仁義なき戦い』には本当に仁義がなかった

戦後、広島全土を巻き込んだヤクザ史上最悪と言われた抗争は、1960年代には山村組と打越組の抗争に発展し広島中を震撼させた。

後に、抗争の当事者でもある美能幸三(1926-2010)が書いた獄中手記を元に『仁義なき戦い』は制作された。

手記は当初公開用に書いたものではなく、自らの弁明のために書かれた。深作欣二が監督を務め、手記を書いた美能幸三の役を菅原文太が演じた。1973年に公開され、その後も「仁義なき戦いシリーズ」として続いていく。

「当時のヤクザは仁義なんかで動いていない。あるのは利害関係だけ」

ー 美能幸三


今回僕が観た『広島死闘篇』はシリーズ2作目にあたり、美能の組があった呉市ではなく広島市を舞台にした外伝的作品だ。そのため主役は、山中正治(北大路欣也)と大友勝利(千葉真一)のふたりで、1950~55年の闇市を舞台に、それぞれが在籍する村岡組と大友組の抗争が描かれている。

闇市とは、敗戦から連合国軍による占領期(1945~52)に誕生した公的には禁止されていた流通経路を経た品が並んだ非合法の青空市場のこと。前年からの農作物の不作・民衆からの寄付を募るほど破滅的だった軍備投資・ABCD包囲網による輸入品のストップにより日本国内は食料品を含むあらゆる物資が不足し深刻化していた。次第にアメリカからの援助物資が入るようになるがそれも充分ではなく、闇市は各地にできていった。

闇市では食料・生活用品のみならず、操縦士たちが使用していたピロポンやヘロイン、メチルアルコールを混ぜた密造酒、さらには玉音放送前日から日本が敗北すると知った上層部が私腹を肥やすために売りさばいた軍部物資や寄付で得た公共の資産も流通した。闇市価格は降伏後半年で公定価格の34倍にもなったと記録されているが、多くの人が困窮を生き抜くために利用した。

昨日まで「日本民族は他に類をみない家族意識によって助け合い団結している」と教えこまれたのが、一夜が明けたらその同胞から容赦なく金を巻き上げるあからさまな弱肉強食の世界となった。その闇市を取り仕切ったのが各地のヤクザで、地元警察機関や地方議員は彼らと癒着した。

今でいう悪徳転売業者とそれらをシマと取り仕切るヤクザ組織。良く言えば、軍国主義下で教えられた価値観を徹底的に粉砕するに足るエネルギッシュな場所でもあった。


「わしも、格好つけにゃならんですけん」

北大路欣也扮する山中正治。
モデルは広島抗争の中心人物でヒットマンとして殺人を犯しまくった伝説的人物、山下正治。
山中は“特攻隊崩れ”で、戦争で行き場を失った暴力を抗争にぶつける。初めの殺人のシーンと、組に尽くし騙され追い詰められての自決のシーンで「予科練の歌」を口笛で吹いたり、自分のマグナムを「俺の零戦だ」とホステスに自慢げに見せびらかす。村岡組組長の姪で特攻で夫を亡くした靖子との悲恋が描かれる。
自決後の葬式では「男の中の男やった」と都合よく賛辞を送る周囲に、参列した美能(菅原文太)の苦虫を噛む表情は、人を売らずに潔く死を選べという軍人の教えに分かりやすい懐疑を観客に投げかける。


「わしらうまいもん食うてよ、マブいスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの。それも銭が無きゃできやせんので。ほんじゃけん、銭に体張ろうゆうんがどこが悪いの」

千葉真一扮する大友勝利。
欲望のまま無軌道な性格。ファッションもほかと比べてティアドロップサングラスをトレードマークとしたりアメリカナイズな風貌。
組織に翻弄される山中とは対照的に、敵味方関係なく組織に喧嘩を売っていく。自由で刹那的で、ネジがぶっ飛んだ系の魅力がある。やりたい放題を尽くしたうえになんだかんだで最後まで生き延びてしまうのも、山中と対照的。


『仁義なき戦い』にはヤクザ映画によく見られる仁義が本当になくて、とにかく始終利権の奪い合いをしている。個人は組織に利用され、使い捨てられる。巨大な暴力の渦のなかでは正しさなど行動理念にならず、ブザマに組織に使われバタバタと無駄死にしていく。そこには虚しさ以外なにも残らない。「そうしなければ生き抜けない」というような描写もない。

とはいえこれは商業映画であり、芸術映画の類ではないので嫌々ながら観てしまうような観客を共感させ楽しませる要素がなければ、これほど長く語られるものではない。それは山中と対比した大友のキャラのぶち壊れ具合によるドライな暴力エンタメ性だけではなく、「空っぽの権威を身を呈して守る」という馬鹿らしさに戦争を重ねてせつない感傷に浸るだけの、そのウェットなエンタメが受け入れられる下地がこの時代にあったのではないかと思う。

『広島死闘篇』が描く舞台は1950~55年。
1945~52年が日本が連合国軍に占領されていた期間、日本が朝鮮戦争に駆り出されるのが1950~53年、ベトナム戦争が1955年に始まり1975年に終結している。敗戦を経て新しい日本の民主化の理想と平和を語らいながらその一方でアメリカに追従して東西冷戦に加わり緊張を高めていった時代に、その20年を振り返るような時間感覚だ。(それはちょうど今イラク戦争を振り返るような長さでもある)

映画が公開されたのは1973年。
傷ついた日本の生産力のはけ口としてアメリカに与えられた東南アジアへの経済圏を利用して戦後の賠償という形で経済進出していった。1970年には大阪万博が開催。テーマは「人類の進歩と調和」。1968年・1971年にはベトナム戦争でのソンミ村事件・トンキン湾事件がアメリカの謀略に利用された事件であることが暴露され、反戦への気運が高まっていた。田中角栄が総理大臣を務め「日本列島改造論」が発表・出版された。日本の経済的アイデンティティが回復していった時代だった。ファッションではジーンズやベルボトム、男性の長髪が流行していた。
対照的に山岳ベース事件・あさま山荘事件(1971~72)が起き、新左翼運動や学生運動は退潮していった。


『仁義なき戦い』を語った深作欣二監督の「暴力を描いて、暴力を否定する」の言葉通り反戦のメッセージがあったことは疑いがないが、そこに見られる暴力の否定が「日本人に破壊的な影響を与えたから」「組織に騙された俺たち」という被害者意識を超えず、侵略の直接的な犠牲が目に入らない点において、これは実は戦争中に軍国主義者が搔き立てた意識と構造的に変わっていない。この映画の描いた虚しさがその枠を越えているとは思えなかった。

映画内の描写においても少し疑問が残る。山中が自分のマグナムを「俺の零戦だ」と自慢しホステスが黄色い声をあげるシーンや、村岡の娘で山中と恋仲になる靖子が、亡き夫が特攻隊員でそれを理由に家族から再婚を阻まれるシーンが描かれているが、現実には復員兵が数年後にやっと帰国できたと思ったら妻が自分の弟と結婚していたといった話や、兵士が戦地でした残虐行為が情報として世間に伝わっていたことで軽蔑されたりと、当時ラジオの投書などで復員兵の帰国後の肩身の狭さを嘆いた記録が残っている。これらの演出が脚色ではなく、ヤクザ組織が本来保守的な組織なのでそういった世間から隔離された価値観が色濃くあった可能性はあるが、少なくとも時代描写と素直に飲み込むには一歩距離を置きたいところだ。

小説家の坂口安吾(1906~55)は降伏後の退廃を目の当たりにするなかで『堕落論』(1946)を発表し、戦争が心理的に魅力があったことを素直に認め、同じだけの情熱を持ってそれを否定した。退廃し不道徳であることこそ真に人間的であって、そこから人々は「個々人の」武道や天皇制を編み出さなくてはいけない。真の主体性を獲得しなくてはいけない、と語っている。

彼がこの映画を観たらどんな感想を持つだろうかと夢想する。

こちらの記事は、トーク配信「三軒隣」で2021年12月23日に話題にしたものです。毎週木曜日の夜にTwitterのスペース機能を使ってMCを週替わりしながら配信しています。

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