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「休日」

今日は休みだったが、海へも山へも行かなかった。いつもならクリスマス時期はちょうど北海道の山に雪が充分に貯まり初滑りに行ったりするのだけれども、今年は降り始めが遅かったので年明けまでスノーボードのスタートは待つことにした。

都内の天気は悪くはなかったので、近場の海でサーフィンでもよかったのだけれども、1日くらいは無計画にのんびりと過ごしてみる事にした。これは僕にとってはとても珍しい決断だ。

彼女のさやかから、この連休にどこか行こうと誘われたけれど、「多分、いないよ」と答えてしまったので、今日の予定は無くなったと伝えるべきなのだろうけれど、多分僕の事なら伝えずにあとから責められて謝る事になるのだろう。

僕の部屋は誰にも遠慮する事なく散らかっている。そう言えば数日前に“ミヤ”から喪中のハガキが届いていたことを思い出し、そのハガキを探す。

ハガキをみると、「祖母が亡くなった」という手書きの文字があった。それをみて僕は直ぐにミヤに電話をかけていた。ミヤは前に自分はおばあちゃん子でおばあちゃんが畑の野菜をたくさんくれるから食べ切れなくて大変と言い、金沢で貧乏学生をしていた僕に野菜を分けてくれた事があった。僕もおばあちゃん子だったから、2人で双方のおばあちゃんの話をして盛り上がった事もあった。

ミヤは電話に出なかった。

僕の祖母も今年の春に、死んだ。

去年祖父が死んで、お葬式の時に「おばあちゃん、これから一人暮らしになるから心配だね」と、両親と妹達とで話していたのに、すぐ翌月に風邪をひいて入院したと母からは連絡があって以降、何度か入退院をし半年後に死んでしまった。僕は出張で上海にいたために、お葬式には出られなかった。なので、自分のおばあちゃんが死んだ事がまだほんとうの事のように思えずに、考えないようにしていた。大好きだった祖母のあまりにもあっけない最期を受け入れたくなかった。お別れをしなければまだ生きているような気持ちでいられる。悲しくなることから逃げていた。

その、考えないように考えないようにしていた現実がミヤの喪中のハガキによって呼び起こされてしまった。ミヤが出なかった電話をなかなか手から離せずに、しばらく散らかった部屋を眺めていた。気がつくと1時間近くが過ぎていた。

電話が鳴った。ミヤからだ。

直ぐに出たかった。それでも躊躇する気もあった。コールが20回ほど鳴り続けた。

「もしもし、みや、電話した?よね?」

「あ、うん。元気?」

僕たちは宮川と宮田と宮のつく名前で互いに「ミヤ」「みや」と呼び合っていた。

そして互いに周りからは下の名で「類(ルイ)」「野々(ノノ)」と呼ばれているので、僕たちは僕たちだけで宮と呼び合っている。ミヤがそう決めたから、そうしているだけの事なのだが。

ミヤは結婚して苗字が変わったが、昔からの友達には宮田のままの姓を名乗っているので今の苗字がなんだったか覚えてない。

「おばあちゃん亡くなったってハガキをみてびっくりしてかけた。僕のおばあちゃんも春先に死ん、、、」

僕は初めて「おばあちゃんが死んだ」という言葉を口にした。涙が溢れそうになり鼻をすすったらその音がとても大きくて、まるで大袈裟に泣き噎いだみたいで恥ずかしいと思ったが、一度涙が出てくると止められなかった。

「うんうん。みやの気持ちがわかるよ。私もなんか実感沸かなくて泣くことさえ出来なくてさ、、、」

電話先でミヤも鼻をズズッとすすっていた。

僕は何というか、とても満足した。

ずっと密かに気になり続けている女の子の前で自分の弱い部分をみせたり、その子の弱みを知ったり、お互いを暗号のように特別な呼び方で呼び合ったり、そんなことで僕はちょうどよく充たされてしまうということを知ってしまった。

突然我に返った。僕はミヤと他にどんな事を話せばいいのかわからなくなったので、またかける。と言って電話を切った。

僕はこの充たされた気持ちが自分に不釣り合いな気がした。

もう一度散らかった自分の部屋を見渡し僕は

「今日の用事はなくなった。お腹が空いたからご飯を食べに出かけない?」

と、さやかにメールを送った。

しばらくもせずに

「何かあったな?まあいい。その事は触れないでおく。何食べようか?」

と、返事がきた。

僕はこの時初めてさやかにドキッとした。
さやかが食べたいものが食べたいと思った。

メールの返信にそう書き込んだが、恥ずかしくなり消した。

そして「なんでもいいよ」といつもの僕のような返事を返した。






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