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江戸時代の伊勢参りの入り口『宮川』

伊勢市の人がバスケットをするなら!
ラブリバーという公園にはバスケットゴールがあるのでそこに集まります。

そのラブリバー公園のすぐそばに『宮川』という川が流れています。

地元民なら誰しもが慣れ親しんだ川

それもそのはず伊勢を出るにはこの宮川を越えない大阪や名古屋には向かうことができません。

なので、江戸時代は大阪や江戸から来る場合は必ず宮川を渡らなければならなかったためたくさんの船頭さんが往復し旅行客を運んでいました。

当時、宮川には
上の渡し・下の渡し・磯の渡し
の三箇所の渡し場があったそうです。

その中で、現在の宮川橋近くにあった下の渡し場は、桜の木が多かったことから別名「桜の渡し」と名づけられました。

春は一面桜色になった宮川を見ることができ、夏は宮川の花火大会というのが7月ごろに行われ、その際にはこの桜の木の下にたくさんの出店が並びます。

地元の中高生のデートイベントとしてよく使われていましたね笑

そんな、現在の伊勢市の中高生から夏祭りのデートイベントや市内に唯一あるブックオフに向かうために超える川と思われている『宮川』なんですが

実は三重県南部を流れる約91kmある一級河川で、伊勢神宮の禊ぎ(みそぎ)川です。

宮川は古くは、
「大川」「度会の河」「五十鈴の河」など、さまざまな名前で呼ばれていました。

「豊受宮(外宮)の禊川」が縮まって「豊宮川」、さらに縮まって「宮川」となったと言われています。

なので宮川は、伊勢神宮がご鎮座する「聖地」伊勢と俗界の境界とされていたようで、時の権力者の力も伊勢までは及ばず、豊臣秀吉も伊勢では「太閤検地」を行いませんでした。

すごいですよね。笑

そんなこと全く知らず、小中学生の頃は宮川で釣りをしていました。
(宮川の下流では一回も釣れたことがありません…上流に行くとハヤとか鮎が釣れるんですけどね)

神聖な川ですので、伊勢を訪れる旅人は宮川で禊をしてケガレを祓ってから、神宮へ参拝する習わしだったということです。

現在でも、桜の渡し付近には当時の渡しに寄せて「渡場」が再現されています。

今日の宮川には今は船ではなく鉄道が走っていますが
再現された渡場では情緒あるJRが見れるベストスポットです。

今の伊勢の入り口は伊勢市駅、宇治山田駅ですが

江戸時代伊勢の入り口にも訪れてみて当時の人のイメージを膨らませてみてはいかがでしょうか?


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