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séi - watcher 048 ひとりの時間

   ひとりの時間

 昼前。いつもより少し早く目覚めた俺は、ベッドの上で違和感を感じながら、いつも通りストレッチと瞑想をする。
(…そうか、周いないんだった)
 違和感の正体はそれだ。いつもより静か過ぎる。
『シエンおはよ~』
 間延びした周の声が無いだけで、この空間はとても静かだ。
 身形《みなり》を整え、白湯を一杯ゆっくり飲んでから、ランニングウェアに着替える。
 玄関を出てから、雨がしとしとと降っている事に気付く。
(フード被って走ればいいか…)
 周が居たら風邪引いちゃうよ、なんて言われて止められるんだろうな…と考えながらも走り出す。

 結局、後で何か言われるのも面倒だから、いつもより早めに切り上げて戻る事にした。汗と雨に濡れて少し冷えを感じたので熱めのシャワーを浴びる。人目を気にせず過ごせるのは気が楽だ。
 プロテインにココアパウダーと蜂蜜を少し混ぜて飲み、一息ついてから銃のメンテナンスをする。

 この国は銃社会ではないから抜く事は滅多に無い。俺の場合、積極的にヴァンパイアを狩っている訳ではないし、ほぼ護身用だ。
 念の為法儀礼を済ませた、二十二口径L R弾の亜音速弾を装填してあるが、この国に来てからは【下】にあるシューティングレンジで撃つぐらいで、警邏中に使った事は無い。
 ウッズマンのマッチターゲットとP210-7は、どちらも親父から譲り受けたものだ。
 俺の親父はガンスミスで、親父の作る銃やそのパーツを盗みに来る奴が多かった。親父が納品の為に留守にしていた時も来た。
 母さんはその時殺された。それがきっかけで、親父は俺を然に預けた。それまでも仕事の合間に体術や射撃、ナイフの扱いを教えられていたけれど、預けられるその日ギリギリまでみっちり仕込まれた。
『済まねぇな、シエン。教えられる事は教えた。自分の身は自分で守れ。』
 今でも親父の悲しそうな厳つい髭面を思い出す。
 息災かは知らない。…知らなくていい。

 警邏をするのに二挺も必要ないから、普段はどちらかをショルダーホルスターに、もう一方を枕の下に忍ばせている。
 刹の一件があってウッズマンをしばらく枕にしていたから、ほんの少しホコリっぽい。
 本当は仕事ではリボルバーを使いたいところだが…、組織が用意している弾は精度が良いのか、射撃練習をしている時に不発やジャムを起こした事は無かったし、親父の銃が一番手に馴染んでいるから、これでいい。
 マガジンを抜いてチャンバーを確認し、バレルを掃除する。
 メンテナンスはあっという間に終わってしまった。

 部屋の掃除も簡単に済ませ、雨が入り込まないように少しだけ窓を開けて換気をしながら筋トレをする。
 体幹の鍛え方が足りてないから、重点的にやっていたらもう三十分経ってしまった。でも、全体的にはいつもより時間は掛かっていない。
 大分集中していた気がする。それだけに、普段如何に気が散っているかがわかって、溜め息が出てしまう。
 時刻は十四時半…喫茶店に行くには早過ぎる。
 物事が淡々と片付いてしまって時間を持て余してしまう。
 今日は監視の任務も無いから時間はまだたっぷりある。
 早めに夕飯の準備でもしておこうかと思い、冷蔵庫を開けたが、ズラリと並んだプリンが目に入って即閉じた。
 もう見慣れちゃいるが、十個も並んでいるのは目に毒だ。
 折角の貴重な一人の時間なのに、あいつを想起させるものが俺の精神を浸蝕し休む間を与えてくれない。
 夕飯の準備は後にしよう…。冷蔵庫の中身は把握したから、何を作るか考えながら、ハーブシガレットのストックを作る事にした。

 シガレットケースの中の一本にマッチで火を点け、吹かした煙を鼻に通す。火を点けなくても俺は充分香りを楽しめるが、今は別だ。
 ラベンダー、マレイン、ローズマリー等をグラインダーで細かくして、ロールボックスで巻いていく。
 作業に集中して、幾分気が紛れる。

 こうしていると、両親を思い出す。
 親父がヘビースモーカーだったのを見兼ねて、母さんが親父の体を気遣って作ったのが最初だ。
 母さんは植物を育てたりするのが上手だった。口が利けない人だったけれど、母さんが思っている事は親父もわかっていたみたいだった。

『おう、何だ?これ吸えってのか。』
 母さんはいつも空みたいな色の目で俺を、父さんを見ていた。
『…うめぇじゃねぇか。わかったよ、今度からこっちにする』
 母さんが訴える事に対して、父さんはたまに文句を呟く事はあっても口答えする事はなかった。

 シガレットケースに納まる最後の一本を巻き始めた時、自分が鼻歌を歌っている事に気付いた。両親を思い出していた所為だろう。

 歌詞があるのかはわからないが、母さんが時々その旋律を口笛で奏でていた。それに合わせて、父さんが鼻歌を歌っていたのを、俺は母さんの手伝いをしながら聴いていた。
 セレナーデのような、民族音楽のような、独特の旋律。
 口が利けない母さんの言葉に、父さんが応えているようだった。

 煙が目に染みたのか、少し霞む。
 フィルターのギリギリまで吸ってしまったのを揉み消す。
 さて…そろそろ夕飯の準備をするか。

 バゲットが半分残っていたから、それに合わせてスープとサラダを作る事にした。
 休みの日の内に小口切りにして下味を付けておいた鶏もも肉を解凍している間に、ジャガイモの皮を剥いて一口大に切る。玉葱を粗微塵に切ろうとしたところで解凍が終わった。
 少し深めの中鍋にオリーブオイルを垂らし、玉葱とおろし生姜を香りが出るぐらい炒めたら鶏肉を加えて更に炒めていく。
 肉に焼き色が付いたら、水を加えて煮立つまで強めの中火にかける。その間に冷凍いんげんを一口サイズに手折り、サラダ用のトマトを切っておく。
 煮立った鍋の中にジャガイモを入れ、弱めの中火で煮込んでいく。
 レタスを二枚切り取ってナイフは片付け、洗ったレタスを手で千切りながらジャガイモに火が通るのを待つ。
 ドレッシングはオリーブオイルとレモン汁、塩、胡椒を少しでいいか。
 ――はたと気付く。そうだ、甘夏があった。
 片付けたナイフを取り出す。
 ジャガイモに火が通ってきたので顆粒のコンソメを振り入れ、いんげんも加えてもう少し煮る。
 甘夏を一つ水洗いして、少しだけ皮を薄く剥いておき、房の皮を切り取ってレタスとトマトに混ぜ込む。
 薄く剥いた皮を細かく刻んで、オリーブオイルと塩胡椒に混ぜてみる事にした。
 スープの味をみて、ローリエとオレガノのパウダーと、白胡椒を少し足し、オーブンの予熱を始める。
 ローテーブルを拭き上げ、サラダとカトラリーを先に置いておく。
 オーブンの予熱も終わり、バゲットを硬くならない程度に焼く。
 シンクを少し片づけてスープを器に装い、焼き上がったバゲットを平皿に載せ、ローテーブルに運ぶ。
 ほんの少し早い夕飯だけれど、食べるとするか。

 一人食卓に着き、手を組んで『いただきます』と唱える。
 『いただきます』と唱えるようになったのは、この国に来てからだ。
 母さんがいた頃は、心の中で感謝をしながら手を組んで、それから食べ始めるのが常だった。
 俺はこの言葉が気に入っている。祈るよりも短いのに、その言葉の中には尊びと感謝が込められている。それも食材となったものに対してだけでなく、料理を作った人や、食事をともにする者へ、食材の為に手間をかけてくれている者や食材を提供してくれる環境へ、あとは…居るのかはわからないが、神へ、その有難さを表すものだ。

 スープをひと啜りしてから、サラダを口にする。
 …不味くはないが、おろし金で皮を擦りおろせば、もう少し香りが立ったかもしれない。
 でも普段おろし金なんて使わないし、これだけの為に買っても無駄な気がする。食堂のロビンに頼めば貸してくれるかもしれない。また作る事が無ければ、頼む事もないけれど。
 ロビンはその厳つい容姿からは想像出来ない、繊細な味付けや盛付けをするから、手の込んだ料理を作らない俺としては、ロビンの料理ひとつで学ぶべき事が多い。『簡単で美味しいのが一番よ』なんてロビンは言うけれど、何か一つぐらい手の込んだ得意料理を修得したいところだ。
 しばらくゆっくり会話もしていないし、今度ダーツでもしながら映画の話や料理のテクニックを教わったりしたいな…。
 そんな事を考えながら食べていると、サラダはもう空になり、スープも器に残り半分の量となっていた。

 夕飯を済ませ、片付け終えて時刻を見たが、日没まではまだ二時間以上はある。
 何で、こんなに落ち着かないんだろう。
 クリーニング屋はすぐ近くにあるから、寄ってから行っても大して時間はかからない。
 煩わしいから、もう着替えるだけ着替えてしまおう。
 部屋着を脱いで、糊の利いたシャツを纏い、センタークリースがくっきりとしたトラウザーズに足を通す。
 タイを締めてボディーアーマー仕様のベストを身に着けてから、年季の入った革のショルダーホルスターを装着し、背抜きのジャケットを羽織る。今日は少し肌寒く感じるが、動いている内に暑くなるだろうし、大丈夫か。
 洗面所で、クリームタイプのワックスを使い髪を後ろに掻き流せば、仕事の時のいつもの俺だ。

 手を洗って、鏡の中の自分を見つめる。
 いつもの俺の筈なのに、違和感が消えない。
「…何なんだ、もう…」
 気持ち悪いその感覚を無視して、ウッズマンをホルスターに納め、汚れたスーツを持ってアパートを出る。

 またミルクティーでも飲んで、このザワついた感覚を少しでも落ち着けよう。
 クリーニング屋で用事を済ませた俺の足は、予定と予想より一時間早く喫茶店へと向かって行った。

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