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séi - watcher 047 影の光景《ヴィジョン》 1

   影の光景《ヴィジョン》 1

 然と打ち合って体の感覚を摑んだ私は、対極のような二人を見送った後、然に休むように言われ床に就いたのだけれど、感覚が開き過ぎているようで、なかなか寝付けなかった。
 空が白んで漸《ようよ》う瞼が重くなってきて、やっと眠れる、そう思った時だった。

「あ゛っ…!」
 胸が握り潰されているような苦しさが急に襲ってきて、呼吸を忘れる。
 これ…は。
 ――落ち着け。
 また。
 ――呼吸を思い出せ。
 私の知らない光景が過る。
 ――この緊拍《きんぱく》は、私のものではない。
 見るのが辛い。でも見届けなければ。
 ――この思いも、私のものではない。
 申し訳ない。申し訳ない。許してくれ。
 ――私のものじゃないのに、苦しくて、苦しくて、涙が溢れる。

 誰かが拘束されている。まるで磔《はりつけ》にされているみたいだ。
 体の数ヶ所に何かを刺した。轡《くつわ》を噛み締めて、それに堪えている。

 その後の展開を予期しているかのように、苦しさが増す。
 苦しみを抱えながら、その誰かを励ますように見詰め合う。
 アカと金色のその瞳は、ゆるりと癖のある黒く長い髪の間から覗いていた。

 ――識《し》っている。
 気付いた瞬間、その両目が苦痛に見開かれ歪む。
 苦悶の声が噛み締めた轡の奥から響き、汗が滲んで伝っていく。

 ――これは、今、起こっている事なの?彼に何をしているの?
 金属で出来た轡にチューブが繋がれ、輸血パックが更にそれに繋がれて、チューブを伝って血が轡へ流れていく。
 その血を、喉を鳴らしながら嚥下する彼の顔は、恍惚と上気していき、こっちまでドキドキしてしまう。
 それに、この血のにおい…識っている。

 血のにおいに気を取られて、暴力的な光景に切り替わった事への反応が遅れた。
 アカ。
 厩《うまや》と気付けないぐらいに、そこは血塗られていた。
 アカにアカを塗り重ねていたソレの首根を掴み上げる。
 憎悪を超えてすべてを殺し尽くさんばかりに歪んだ金色の双眼と睨み合う。
『止めとけ、そいつらはもう死んでる。それ以上やったってお前のお袋さん喜びゃしねぇよ、怖れる事はあってもな』
 金色の双眼以外、アカがこびり付いているソレは、然の言葉で放心状態になった。
 ――ソレは、私が知っている影なのだろう。

 また切り替わった。昏い。
 あの場所を思い出して、身震いしてしまう。
 昏い中に、金色の双眼が視える。
 虚ろに見えるその目が、憎悪と殺意を抱えているのがわかる。
『少しは頭が冷えたか?』
 木の枝のようなものから枷を外していく。
 力なく垂れるそれは、腕だ。それでも力を振り絞って、震えながらこちらに向かって延びてくる。
 その手が届く所に、然は輸血パックを置いた。
『お前が生きたいならその機会をやってもいい。この血の持主に従うなら飲み干せ。それを承諾せず命を抱える覚悟が無いなら死ね。』

 ――何なの、これは。強迫じゃないか。
 然の光景なのに、冷ややかで何も感じ取れない。
 細った影の伸びた爪がパックに穴を開けて、中身が溢れ出る。
 識っているにおいが充満する。
 影は這いずって、床に拡がっていく中身を、ずぞぞと音を立てて舐め啜っていく。
 然は、影が嗚咽を漏らしながら血を啜り尽くしていくのを見て、『動けるようになったらまた来る』とその場を後にした。

「う……」
 気持ち悪い。
 然に振り回されないようにって言われたのに…。
 光景《ヴィジョン》はもう消えた。けれど、影が嗚咽を漏らした時、安堵したのを覚えている。
 こんなの、視たくなかった。然に疑念を覚える。然が解らない。
 ――彼は大丈夫なの?
 彼が無事か心配で、私は眠るなんて出来なかった。

 お腹が空いて、朝食を食べに食堂へ行ったけれど、彼らの姿は見当たらなかった。
 食後少し経ってから検査と体力測定をした。
 握力は強い方だと思っていたけれど、見た事が無い数字が出た。
 跳力も人間が跳べる高さじゃなかった。本気を出せば、もう少し高く跳べた気がする。持久力も、言わずもがな。
 でも、ボールを投げるのはそうはいかなかった。筋力は上がっているようだけれど、精度は低い感じ。ちょっと悔しかった。
 竹刀を振っていた時は体の延長のようで扱い易かったけれど、間接的に力動を掛けるのが多分下手なんだろうな…。

 体力測定を終える頃には時計も昼過ぎを指していた。
 動いた分お腹も空いてしまったので、また食堂で舌鼓を打つ。
 この食堂のご飯は美味しい。調味料でごまかさず、食材が持つ味を引き出そうとしているのがうかがえる。
 厨房で、一言で言えばバイキングみたいな、赤ら顔で筋肉質な大柄の人が作業しているのが見えるけれど、あの人が作ってくれているのだろうか。
 鯖の味噌煮も美味しいし、この里芋の柚子味噌も良い塩梅。
 あれ?もしかして味噌を何種類も使い分けてるの…?なんて考えつつ味噌汁を啜って里芋をまた頬張っていると、斜め前の席に誰かがするりと座ってきた。
「随分おいしそーに食べてるね~。それなぁに?刹っちゃん。」
 え、周さん!?
「んぐっっ!」
 驚いて里芋が喉に詰まった。
「うわぁ、大丈夫!?お水お水…!」

「…ごめんね。驚かせちゃったみたいだね、大丈夫?」
「私は大丈夫です。」

 ――ん…?私は?
 刹っちゃんの言い方に引っ掛かりを覚える。
 刹っちゃんは物言いたげな、少ししょんぼりしたような顔で魚をつついている。
 俺が大丈夫か、間接的に訊いている…のか?
 刹っちゃんに関連して心配されるような事は、直近では黒猫刹っちゃんが飛んできた事ぐらいだ。
 でもあの時刹っちゃんは俺ではなくシエンを心配していた。シエンが俺の下敷きになってしまったし、その所為で擦り剥いて滲んだ僅かな血のにおいを嗅ぎ取ったのだろう。
 他に何かあるとすれば、然しかないんじゃないか…?
 折角釘を刺したのに。
 可能性があるとすれば、然の記憶を視ると言っていたから、その記憶の中の俺を視たかもしれないという事。それも、刹っちゃんの表情から察するに、あまり視られたくないものを…彼女は視てしまったのだろう。
 可能性に気付いてしまった以上、確認するしかない。

「…ねぇ、刹っちゃん。何を視たの?」
 ギクリと音がせんばかりに箸が止まる。刹っちゃんの目は見開かれ揺れ動いている。
 困惑と虞《おそれ》の入り混じった顔で口をパクパクさせている、刹っちゃんらしい素直な反応に俺はやっぱり、と落胆して、もう一度彼女に質《ただ》した。

「何を、視たの?」
 笑顔だった周さんは、上がっている口角はそのままに目元を細めてもう一度訊いてきた。
 どうしよう。どうしよう。何て言ったらいいかわからない。
 そもそも然以外に話して良い事なのかもわからない。
 反応してはいけなかった。知る筈のない私が心配するのもおかしかったのに。
 答えられずにいる私を見て、周さんはごめんね、と溜め息を吐くと、食べ終わったら【上】に来て、と席を立って行った。

 話すしか、ないのか。
 せめて然の耳に入れて相談が出来ればと、フリージアさんに然が何処にいるか尋ねたけれど、仕事に掛かりきりで夜まで戻らないとの事だった。
 言わなきゃならない…避けられないのか…。

 考えを巡らす。
 私が視て感じたのは、然の記憶。
 でも、然の視点で周さんを視たという事は、然と周さんの記録でもある。
 然が感じていた事や周さんの死角を除けば、話しても大丈夫だろうか。
 もしかしたら、それを視た事を、話した事を、私の記憶から消されてしまうのかもしれない。
 ――下手に話したら、私自身を消されてしまうのではないか…?
 助けてくれた人達にそんな疑念を抱いてしまうなんて。
 自己嫌悪しながら、私の重い足取りは社務所へと続く通路を進んでいった。

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