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夜、暗殺者の夜にて

裸のラリーズ。
そのショッキングなバンド名は伝説としてずっと耳にしていた。

最初に気になったのはムック『目かくしプレイ』を読んだときに出てきたから、だっただろうか。単体で気になった、というよりは面白そうなバンドがたくさん載っているムックだな、ぐらいの中の一つ、だったように思う。

ある日、JOJO広重のコラムを読んでいてその名前に再会する。アルバム『Mizutani』。名前ばかりが伝説化していく中、そういうのが居たっていい、とさらりと流す姿はなんだかひどく格好良かった。

僕が初めてそのサウンドを聴いたのはまさかの、ツタヤレンタルで裸のラリーズを扱い始めたことがきっかけだった。

それこそJOJO広重がそのコンビニエンス性に皮肉の一つも言っている中、僕は慌てて近所のツタヤに走った。

当時のツタヤはなんだかおかしくなっていて、ドイツのプログレとか、フィリー・ソウルだとか、変な特集を組んでは珍しい音源を全国で借りて聴くことができるようにしていた。担当に影響力のあるマニアがいたのだろうが、当時は本当に、田舎の音楽オタクにとっての救いそのものだった。

2枚組を20組、40枚一気にレンタルが開始されてすぐにまとめて借りた。どんな音楽性なのかもよくわからず、とにかく聴いてみた。

ぶっ飛ばされた。

シンプルにうるさいのだ。美しいギターノイズ。誰かにとってのヴェルヴェッツが、マイブラが、僕にとってはラリーズになった。

正直な話、海賊盤だからとかそういうのはどうでも良かった。とにかくギターのノイズに埋め尽くされた部屋の中、僕はひとり恍惚としていた。

だから僕はきっと、ラリーズのことを特別に好きなのだと思う。しかし、とはいえ、何かそこに伝説的な、宗教的な何かを感じるほどの夢も見ていなかった、ようにも思う。

ただひたすら格好良いノイズが続く最高の録音、がマニアによって権利など知ったことかと大量にリリースされている状況はなんだか楽しく、伝説、というよりは昭和音楽のドタバタを感じさせた。

僕はひどく醒めた、つまらないユーザーでしかないのかもしれない。けれど僕はこれからもずっとラリーズを聴くし、ずっとしびれ続けるのだろうと思っている。

水谷孝という人のことを僕は何も知らない。その音をいくつ知っているのか、何も知らないに等しい。

ただ、格好良いものは格好良い。そういうことだと、理解している。

伝説はこれから解体されていくだろう。しかしそのサウンドが格好良いということまでは、永遠に解かれることのない魔法として其処に在るのだ。

投げ銭してくれると小躍りしてコンビニにコーヒーを飲みに行きます。