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OK、余裕、未来は俺等の手の中

小説を書いている。
今書いているのは百合文芸3用の原稿で、いちおう今月中には仕上げる予定である。おかげで週一の連載が止まっているが、しょうがない。

アリとキリギリス、だ。アリもキリギリスもどちらの生き様にケチをつけることなんてできない。ただ、自分はキリギリスの側に立っていて、いつか餓死するまでこの怠惰とボアダムに付き合い続けるのだろう、という予感がある。

少し余裕を持てよ、と人に言うことは難しい。それができたらやっている、という人間にかける言葉は無念ながらない。せいぜい体に気をつけてくれ、とか、無理しないように、なんて無難なもので、それすらも相手は難しいと思っていたり、他人事だと思って、と思われていたりするのだろう。

でも、時間ができたら一度、一度でいいから試してみてほしい。それはたとえば音楽のアルバムを1枚スピンする間なにもせずぼんやりとすること、だとか。

優雅に在ろう。住居も仕事も趣味も人種も性別も年齢も、関係ない。ただ、小一時間でいい。なにもせず、ただ、在ろう。

僕はその瞬間こそが、人が最も人である、人間らしいってことだ、と確信している。

筋肉のように己れを鍛えるのが趣味の同胞には超回復、という言葉を思い出してほしい。趣味すら実益にするのでは成長にトレーニングの効果はなく、いつか壊れてしまうのだから。

怒るのも悲しむのもいい。人間らしい。しかしただなにもせずぼんやりとするのも人間である。

人間でいよう。人間、をやめずに済む方法を考えよう。
同胞に、ピースサインと握りこぶしを。

OK、余裕、未来は。


投げ銭してくれると小躍りしてコンビニにコーヒーを飲みに行きます。