39歳にて

39になった。早生まれなので同学年の友人などは今年40になる。

いろいろあった。あって欲しいことは殆ど無く、無くてもいいことばかりあった。まあ、それしか覚えていないというのはあるだろうが、覚えていられるような、人生の転回点となるような良いことは無かったといえる。

少し前まで、そのことが耐えられなかった。自分にはもっと良いことがあってよい。けして良い人間では無いとはいえ、もう少し幸不幸のバランスが取れてもいいのではないだろうか。

最近、そういった気持ちがどうでもよくなりつつある。特に何かしら心境が変わるイベントがあった訳では無いが、だからこそだろうか、擦り切れてもう不幸を嘆く気持ちもないと思えばいくらか気が晴れるような、ネガティブなんだがポジティブなのだかわからないような心持ちである。

若い頃、自分は特別な人間になることでしか生きられない、と思っていた。歳を重ね、そうなれないかもしれないと思い始め焦った。今となっては、どうでもいいというか、特別な人間ならずとも少なくともこの歳までは生きられた、という諦めにも似た苦い達成感がある。

それがたとえば創作に於いてプラスかといえば、少なくとも僕にとってはマイナスだと言えるだろう。わかりやすくやる気に直結するというか、『別に書かなくてもいい』という思いは強まってしまった。

自身に恵まれたものがあるでなく、かといって自慢するほどの不幸も持つことなく、ただ粛々と凡人として生きていくのみだ。

やりたいこと、やらなければいけないこと、やらなくてもいいこと、そういったものは概ねやれたのではないだろうか。

この先の人生に希望も絶望もなく、諦めながら歩いてゆく。多少の揺らぎを残しながら。

そうやって自分を真ん中に置かなくなれば見えるものもまたあるのではないだろうか。もう少し、たとえば人のために出来ることもあるのではないか。つまらない人間である僕にしか出来ないことが。

やはりポジティブともネガティブともいえない心持ちであるが、まあこういうのはチョコレートみたいなもので、カカオは70%くらいあっても美味しいものである。

さあもう小説なんか書かなくてもいいぞ、と自分に言って僕はどうなるのだろう。いや、僕はやはり何かをものしてみせるぞとなるだろうか。なれるだろうか。

誕生日にあたって最初に聴いた音楽はエリック・ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』であった。トニー・ウィリアムスが叩き出す多角的なリズムのモデルに合わせてスウィングする演奏を聴きながら、今これを書いている。

僕は色んなものを手放した、少なくともそう感じている。漫画を読むことも、小説を読むことも、映画を観ることも、かつてのような熱量を持って出来なくなっていった。

最後に残ったのは音楽だ、と考えている。音楽を聴くことについて僕は未だに情熱を維持出来ているし、音楽についての文章ならば熱意を持って読むことが出来る。

そして、そのことについて語れる友人が居る、ということも特筆しておかなければならないだろう。いつだって僕は縁に恵まれ、生かされているのだから。

来年の、5年後の、10年後の自分はどうなっているだろう。どうなっていたって良い。今なら、そう思えるような気がしている。ポジティブにしろ、ネガティブにしろ。

if the world is black and white
my life can be compared to a draughtboard
I love the both
a chequered life of mine
friends are never going to kill me
I can trust him
but they can die before my turn comes
they can leave me behind
the music never die, but it kills

pre-school「Black and White」


投げ銭してくれると小躍りしてコンビニにコーヒーを飲みに行きます。