見出し画像

ぬるっと始めてしまうクセがどうにもならない





スペイン語を勉強してます!

自問自答ファッションとは少しそれてしまうのですが、先日こんな記事を上げてました。

スペイン語の文章と、その日本語訳を併せたものです。

実はスペイン語を勉強していて、本当に久しぶりの関連noteだったんですが、あまりにもぬるっと投稿してました。

自問自答ファッション方面から覗きに来てくださったら、その脈絡のなさにびっくりさせてしまうかもなぁ、と思い至り。(自問自答ファッションも、ぬるっと開始してるかも……)

スペイン語を勉強し始めた経緯なんかを振り返ってみようと思います。(確認してみたら、前回のスペイン語記事は去年の9月ですってー……? 遠き日よ)



もう何年も前になるんですが(はっきりとは覚えてない)、なんとなく他言語をできたらいいな……と思っていたところ、こちら星読みのyujiさんの記事を見かけました。

言葉を学ぶことはその国やエリアのことを深く、根底から知ること。そして言葉を学び、実際に使っていくことは自分の中にもう一人、人格を作っていくようなことにもつながっていくと思うのです。それは別の視点をもてるということでもあり、母国語では表現できないような感情、感覚、観点をもてるということでもあります。

なんともうまく説明ができないのですが、

母国語以外の言語をつかえるようになると、多角的な視点を持てるようになると感じるのすで、先ほどお伝えしたように、translationのスキルが最初からそれなりにあったほうが"星語"の翻訳も早いんじゃね?

っていうことなのです。

星語を翻訳するなら、翻訳がそこそこできる人がやったほうがわかりやすいんじゃね?みたいな。w

「外国語を学ぶことの効能。- 占星術にもプラス」より抜粋



ときどきnoteに関連記事を上げていますが、私はホロスコープ(占星術)にも興味があります。「星を読むにも役立つのだったら、何か語学を始めてみようかな」と思ったのがきっかけでした。

ここでまっすぐ共通語の英語に行かないのが、私らしいなあと個人的には思います。


もちろん英語が話せれば、ほぼ世界中の人とコミュニケーションが取れるわけですし、「できたらいいなあ!」という思惑があるんですが……。私にとっては学生時代の延長的のような圧迫感(?)が拭えないのか、なんだか英語を勉強するということに対して義務感を覚えてしまうんですよねぇ。

「英語できたらいいなあ!」のあとに、「やらなきゃいけない!」という謎の深層心理が潜んでる気がして。なんかそのモチベーションがね、ちょっと苦しい。

それで、私だったらどんな言語を勉強したいのか、考えてみたんです。
今思えば、そこでも安定の「決めきれない」が発動しまして!


イタリア! 町並みやベネチアングラス、いいよね!」

「呪文みたいに聞こえるドイツ語、かっこいい……!」

「エスニック料理も好きだし、ベトナム語とかやってみる?」

アラビア語の響き、好きなんだよね!」

「いっそのこと、推しと関係ある言語に挑戦するか?」


などなど……。

考えられるかぎりの言語を片っ端から上げてみて、悩む悩む。その中で、ひときわ突出してたのがスペイン語だった。



おいしそうな料理はもちろん、スペインの荘厳な建築。ドレープたっぷりの民族衣装。日本原産じゃないのに、映像で見かけると奇妙な哀愁を感じてしまうイトスギ。


アルゼンチンタンゴの雰囲気。
ちっちゃいアコーディオンみたいなバンドネオン。フィギュアスケートのプログラム曲として、たびたび使われることでもお馴染み。

\ Libertango / Astor Piazzolla リベルタンゴ / アストル・ピアソラ /



パラグアイ
のアルパ(ハープ)。
「上弦の月」「下弦の月」と言うけれど、輪郭がくっきりと冴えた月のような音色。

\【千本桜】アルパ(ハープ)&ベース Arpa Paraguaya & E.Bass /



トリニダード・トバコ共和国
が発祥とされるスティールパン。こっちは、ほわほわポップなレインボー綿飴みたいな音。どんどん外へ広がっていく。

\ Under the Sea (The little mermaid)- Steel pan cover |Ravoidn  “Steely” Rhoden / 



メキシコ
にある、静かに澄み切った青い水中洞窟「セノーテ」。
マヤ文明や森林に覆われた遺跡。かと思えば、街はすんごいカラフル。



毎年のように新種が発見されるという、コスタリカの生物多様性。
開放的な部屋の中をアリの群れが大行進するのは勘弁してもらいたいけど、「幻の鳥」と呼ばれる美しいケツァールの聖地になっている。


こまかく色分けされたペルーの民族衣装。
自然信仰による風習や、ちょっと怪しげな市場。

雨期になれば鏡のように空が映り込む、ボリビアのウユニ塩湖。
細い通りが迷路みたいに入り組んだ、土壁の街。

南米の乾燥地帯。標高の高いところにある湖に、空が地面を擦るように流れていく雲。
ケーナやサンポーニャなどの伝統楽器が心地いい、フォルクローレ。

\ Leo Rojas - El Condor Pasa(Videoclip) /


「カリブの海賊」で有名な(?)カリブ海
なんかよくわかんないけど字面と響きだけで、もうテンション上がる。

Hip-Hopやラテン音楽など、たくさんの音楽が混ざっているという、レゲトンのリズムやダンス……。



気になったもの、懐かしさを感じるようなもの。

そのほとんどの在処はスペイン語圏だった。

スペインは世界へ進出した歴史がありますので、広く公用語として使われているのは当然とも言えます。

……にしても、これだけ重なるなら何かあるんだろう。そんな理由でスペイン語に決定したのです。


こうやって書き出してみると、

・音楽
・ダンス
・町並み
・自然
・異文化
・異国情緒
・民族衣装

この辺りが共通のキーワードとして、上がってくる?
お、アウトプット大事。


どうしても義務感が先に来る英語と違い、スペイン語の方は完全に趣味なので「やらなきゃ!」よりは「やってみたい!」の感情

しばらく間が開いてしまっても、「やりたくなったら、またやる」でいいし。
スペイン語を取得してそれでどうするかとか、これといって予定も計画もなく。まったくのノープラン。(それはそれでどうよ。ただ、やってる)

そんなわけで、「英語が先なんじゃないか?」という心の声や内なる正論をまるごとスルー。のんびりスペイン語を勉強してます!

……まあ、そんな感じだから?
お察しの通り、上達は遅い。

辞書とにらめっこしながら伝えたいことを文章にするんですが、引いたそばからもう単語忘れてるし。

文法メンドクサイし、動詞の活用が多過ぎ……。ここ冷静に考え出すと、かなりやる気が失せるので、あまり考えないようにしてる。まずは出逢った例文から。

もう少し本腰入れてやっていれば、今頃はもうちょっと上手くなってたかもしれない。ちょっぴり悔やみもするけど、だからこそ続いたとも考えられる。言ってもしょうがないね。

聞き取りよりも書くことに重きを置いちゃった感はあるので、会話がなぁ……。書き上げた文章をスペイン語でそらんじられるかって言ったら、たぶん話せない!(えー……)

そもそも、あれで正確なのかもわからない。(えー……)

なんならミスってるとこに気づいたけど、直し始めるとキリがなさそうだから、次の投稿で気をつける。(えー……)

ひとまずは、書きたいことを書いてみる。

それで改めて思ったのは、私は「書く」ってことが好きなんだな、ということです。

もちろん、日常会話ができるくらいスペイン語が上達したらいいな、とは思っている。だけど、表現手段としては「話すこと」より「書くこと」の方が馴染むというかね。好きなだけ推敲できる、ってことも大きいと思うんだけど。

とはいえ、今後はもう少し「会話」にも目を向けよう。発音やアクセントにも力を入れていきたい。


体内異種コミュニケーション

実は先日のスペイン語での投稿で、個人的な気づきがあった。覚え書きとしてアウトプットしておこうと思う。

以前の投稿では、確か内容を日本語で書いてから、それをなんとかスペイン語に改変しようとしていたと思う。例えるならば、「日本語のガワにスペイン語を無理やり詰め込む」みたいな感覚。

でも、今回文章を書いてみたら、スペイン語で伝えたいことを書いて日本語に翻訳する、っていうような逆転現象が起こってまして。「覚え始めたスペイン語の中に入る日本語を見つける」と言ったらいいのでしょうか。

ふたつの言語の互換がスムーズになった?

スペイン語と日本語の間にある摩擦が、弱まってきてる気がする。

異種コミュニケーションが進んでいるんだろうか。

こういう感じが重なると、言語習得に近づくのかな。ちょっとは進歩していると思いたい。

たぶん、当初よりは進歩してる!
言霊はあると思うので、まぁまぁイイコトも書いておく。

自分が言いたい日本語を「これって、スペイン語でどう書く(言う)の?」って文章にする機会を持つと理解度が進む気がするので、ときどきデタラメなスペイン語の記事が上がっていると思います。

最近は、ふと聞こえてきた言葉を「スペイン語だったらどうなるかな?」ってフレーズ変換に挑戦するようになりました!(わかる範囲で!)


スペイン語ってどんな言語?

スペイン語と日本語では、似ている部分があると言われています。勉強していて感じたことをまとめてみました。

わりと母音がはっきりしている。

→ 日本語のように母音を強く発する言葉なので、リスニングはともかく、こちらの言いたいことは汲み取ってもらえそう。

たまに、ものすごくカタカナに聞こえる。

→ これには上記の、母音をはっきり発音する傾向が関係してると思う。あと、「テ」「ケ」「メ」といった1音の単語が多いので、それらが巧妙に組み合わさると擬音にしか聞こえてこない。その場合、単語が短すぎて口が回らない……。次に言いたいことを用意する時間が、圧倒的に足りなくなる。

単語はつづりのまま読むことが多い。

→ これは超ありがたいんですが、ほとんどの単語は素直にそのまま読めることが多い。(たまに変則あり。やめて)
発音自体も日本語と似てたりする。

ちなみに"Wi-Fi"で言うと、スペイン語ではそのまま「ウィー・フィー」となる。これ、よくない?


こんな感じで。
日本人が勉強するのに意外な親和性もあります。


避けられないトラップ

しかし、個人的には動詞の活用の多さや、文法の難しさに現在進行形で苦労している!

……だってね?

英語の「行く」は"go"ひとつで事足りるけれど、スペイン語では、誰が「行く」かによって単語がそれぞれ違う

「動詞の原形」を変化させた形が、6通りも存在するのです!(動詞の活用)

たとえば「私」や「君」だったりと、主語が「誰なのか」によって選ぶ動詞が変わってきます。

つまり、この分岐を間違えてしまうと「私」って言ってるつもりが「君」だったりして、「誰が『どうするか』の内容が成立しない"」というトラップが発動してしまうのだ!

このほかにも、日本人にとってはまったく馴染みのない罠がたくさん存在しています!

スペイン語では、名詞がすべて「女性名詞・男性名詞」という性で分けられている。(「中性」というものもある)


え、言葉に「性」があるの……?


そうなんです!

それによって、英語で言うところの「The」に相当するような「定冠詞」や、「形容詞」の組み合わせが変わってくる。

「女性形・男性形」の罠。

まんまとこれに引っかかります。
わりと頻繁に。

いらないと思うけど、例を上げてみましょう!

たとえば、「」だったら……

これは男性名詞で、"perro"(ペッロ)という。
それが性によって、こんなふうに変化してくれる

オス犬→ El perro.(エル ペッ
メス犬→ La perra.( ペッ

など。

生き物みたいに実際の性や、その象徴から分別されている(と想像できる)単語もあるけど、現場はそんなに簡単じゃない!

ファッション」で言うなら、こういう名詞がある。見て欲しい。

スカート」→ "falda"(女性名詞 / ファルダ)
ドレス、ワンピース」→ "vestido"(男性名詞 / ベスティド)


多様性。

基準がわからない。

大抵の名詞は、"-a"で終わるものは女性名詞、"-o"は男性名詞なのだが、これを鵜呑みにしてしまうと、たまに逆転してる名詞とか、どれとも一致しない不規則な名詞が出てくる。(やめて)

生き物ならともかく、無機物の名詞に割り当てられた性に対して、「なんでこれが"女性"なんだ??」とか、ツッコミは日々絶えない。

\ ホワイ!? スパニッシュ ピープル!? /(大声)

オス馬が" caballo "(カバジョ)なのに、メス馬は " yegua "(ジェグア)ってどういうこと!?

"-a"と"-o"の法則どこ行った!?

もう"caballa"(カバジャ)がメス馬でいいじゃん!?

なんで、"caballa"(カバジャ)が「」!?
法則、関係なくなってるよ!?

そもそも、なんで魚なの!?

\ ホワイ!? スパニッシュ ピープル!? /(大声)


……リアルでそんな感じ。

たぶん、大昔に馬の仕事をしてた人が「オスか、メスか」を聞き違えたり、書面になっても"-a"か"-o"かの紛らわしさで、別の馬を連れてっちゃったりして、

「ちっげーよ! この馬じゃねえよ! オスじゃなくてメスだよ!」

みたいなことが頻発したんだろう。


「──諸君、どうだろう。この問題を解決するために、馬業界とはまったくつながりのない海の生き物に"caballa"(カバジャ)の名を譲るというのは?」

「! Que maravilla !(素晴らしい!)それならオスとメスを取り違えることは、なくなるだろう!」

「では、新たにメス馬を何と呼ぶ?」

「"caballo"(カバジョ)とは響きが違ったものがいい!」

「異議なし!」

──こうやって馬界の権力者が始めたことが、広まっていったんじゃないかと想像してる。(妄想)

そして、" yegua "(ジェグア)が「メス馬」に就任&定着。(→イマココ)

なんで「鯖」が"caballa"(カバジャ)を襲名したのかまでは、わからない。


空間をまろやかにする言葉

言語は楽しいけど難しい。

第一言語として使っていると、「どうして」とかあまり考えずに自然に話してるもんね。言われてその不思議さに気づくみたいな。

とにかく第二言語を勉強し始めると、いろんなことが謎でしかない。

たくさんの言語が存在しているが、「性別に由来する言葉や言いまわしを見直していこう」という取り組みが世界的にあるようだ。航空機内のアナウンスでも、特定の性別を思わせる呼びかけはしないようになってきているらしい。

先ほどご紹介したように、多くの言語には「性」として単語そのものに「女性形・男性形」が存在している。言葉の成り立ちにも深く関わっているので、完全に変更していくのは難しいのかもしれない。

それでも、その心遣いは空間をまろやかにする気がする。

語学の勉強はスローペースですが、こうやって他言語に触れる機会を持つと、その対比として「日本語」という母国語についても少し考えるようになる。

日本語は、主語がなくても通じて、ものすごく曖昧な言いまわしをする。

自分も相手も「行間を読みまくる」と言っていいような日本語。そして、それを身につけている日本人は、世界的な言語コミュニケーションの中でも特殊な部類なんじゃないだろうか。(日本語を翻訳するのは、ちょっと大変らしい。こまかいニュアンスが変わってしまうことがあるそう)

──うん。

なんか日本語いいよねぇ、と思った。
(ほら、主語ないよねぇ……。でも通じるよねぇ)


「言語」が生まれて、育まれていく不思議

言葉について、ちょっと面白いことを思い出したのでアウトプットしておきたい。

ずいぶん前、言語学者を取材するドキュメンタリーを見た。
とある部族で使われている言葉を調べるために、彼らと一緒に過ごすというものだ。

その部族では「今日」「明日」と訳せる言葉はあるが、その先の「未来」を示す単語はないらしい。

彼らは言った。
「そんな先のことは、わからない」

数字に関しても、彼らは独特な感性を持っていた。その部族では、「片手で数えられるくらいの数」しか存在していない。

あるのはいくつかの「数字」と、「たくさん」という言葉。
だから母親は、「自分に何人の子どもがいるのか、わからない」と言う。

これにはちょっとびっくりしたが、彼女はこう続けた。

「でも、顔はわかる」

あ、と思った。

……だよね?

彼女には「たくさん」の子どもがいて、その「顔はわかる」。

(それで充分なんだろうな)と思った。
ちょっとの「数字」と、「たくさん」さえあれば、なんにも困ることないんだ。

子どもたちの「顔はわかる」から。

木には「たくさん」の実がなっているけど、彼らはよじ登ったりしない。熟して落ちてきたものを拾って食べる。

時が来れば、木の実は自然と落ちてくる。
木の実がなければ、川で魚を捕る。

何も問題はない。

数えきれない数はすべて「たくさん」で良くて、その成果を喜ぶ。

「明日」より先のことは、わからない。

あるもので生活がまわっていくから、いくつかの「数字」と「たくさん」という言葉があれば充分。

"時"を待って、自然が運んで来るまま生活する。

この時間軸のゆったりさ、惹かれるけど日本だとなかなか難しい。

けど「生き物」としては、たぶん結構大切なことなんだよな、という心の動きがあった。

明日以降の予定もあるし、木の実が落ちてくるのを待ってたらお腹すいちゃうし、数字にだって追われてる。(楽しみな予定もたくさん!)

私だって「自分のことがわからない」なりにも我が巣穴を掘り下げてきてるし、そこに埋まってた欲求や欲望によっては、想像もつかない方向へ爆走する可能性だってあるだろう。(それはそれでイイ感じ!)

部族の人に流れているような時間軸には惹かれるけど、実際「密林の奥地で暮らしていきたいか?」っていったら、たぶんそうじゃない。

(あ、"ウリア"の診断では「Noエリア」って出てたから、「住もう!」と思い立ったら住めないこともないのか?)

Noエリア

環境に左右されることがないのでどこに住んでも大丈夫だ。

全体が自分である君は、全体を知るまで自分がわからないんだ。

それから、一か所にとどまる事や、何か一つに執着することもやらないでくれ。
不活性化するぞ。

ウリア研究所 NOエリア


ただ、なんていうか「今いる環境・状況」によっては、忘れがちになってしまう。生きているのに、自分が「生き物」だってことを。

「生き物としての本来のリズム」みたいなものを越えた動きをして、苦しくなってしまう。

こういうの、いい悪いじゃないし、それぞれ価値観も違うし、文化や環境の違いというものも確実に存在している。……それでも、「生き物としての生活」とはかけ離れ過ぎてしまって、しんどくなることも少なくないんだろうな、というのは想像つく。

なので、「生き物」としての「リズム」の中に自分は生きているのか、ということは意識していきたいな、と。

"言葉"っていうのは、使っている人たちの価値観や概念、生活様式で発展していくのかな。必要に応じて増えたり減ったり。

たとえば、「今」に重きを置いて、「明日」より先の「未来」を示す言葉が存在しない人たちがいる。その一方、先のことに目が向きがちで「100年後」「1000年後」……いくらでも「未来」の言葉が存在する私たちがいる。(環境問題だったり、「未来」を意識するのが大切なこともあるけれど)

そう考えると、"共同体への意識が強く働く印象のある"日本で、その言語(日本語)が「主語なくても通じて」「曖昧に」「行間を読みまくる」感じ(察する・共感)になっていったのも、なんだかわかるような気もする。

隣人や状況を慮って、そういう言葉に育まれたのかもしれない。


第二人格、出現!?

私は、日本語も好き。
曖昧にしておく良さもある。

だけど、自分のことがよくわからない自覚が出てきた今では、そうした「曖昧さ」と、何をするにも「私は!」「私が!」と主体性が言葉に組み込まれている他言語のエネルギーを体内ブレンドすることで、自己認識の手助けになるかもしれないという気がしている。

下書きを読み返していたらなんと、冒頭のyujiさんの言葉とつながったことに気がついた。

言葉を学ぶことはその国やエリアのことを深く、根底から知ること。
そして言葉を学び、実際に使っていくことは自分の中にもう一人、人格を作っていくようなことにもつながっていくと思うのです。
それは別の視点をもてるということでもあり、母国語では表現できないような感情、感覚、観点をもてるということでもあります。


これってもしや、スペイン語の練度が上がったら、「ラテンの第二人格」が出てきて、ゴリッと主体性も増したりするのか??(陽気な浮嶋、爆誕?)

確かに、日本語で「なんて○○なんだ!!」みたいに感情豊かに表現することって、そうないですからね。スペイン語で書いてるときは、そういう文法の感嘆詞だから、なんとも思わないんですが。日本語訳をするときふと我に返って、ちょっと照れくさい想いをするのに気がつきました。

一旦落ちついて、マイルドな翻訳を探しちゃうんですよね。自分の、日本人テンションとのズレで。スペイン人的な視点と、日本人的な視点がスイッチする瞬間がある。

……なんか、かなり脱線した。


スペイン語の響き!( トラップ解説再び )

よかったら、そんな情感豊かな(?)スペイン語の歌を聞いてみてください!

\ Janes - La Camisa Negra (MTV Unplugged)/
(2004年)

こちらは、コロンビア出身の歌手が歌う「追憶の黒いシャツ」。(もともとのタイトルは、ただ「黒いシャツ」。)

当時日本でも流行っていたらしく、耳に残るメロディーなので、もしかしたら聞き覚えがある人もいらっしゃるかも。「恋人が心変わりをしてしまい、自分の喪に服すように黒い服を着ている」という感じの歌。

比較的ゆっくりな曲調なので、聞き取れるようになりたい。
南米のスペイン語だから、ちょっと発音や単語が違う可能性あるんだけど。


いい感じに「黒いシャツ」が出てきたので、ここで「名詞の性」についての案件を、あと少しだけ掘り下げてもいいですか!?

曲のタイトルにもある「シャツ」は、女性名詞で"camisa"。(カミサ)

生き物の性だけじゃなく、フォークにもお皿にも、なんでも「女性」か「男性」かが適用されます。(ね? なんで "女性" なの?? って、思いませんか?)

これね、とってもややこしいことに、関連する修飾語なんかも、名詞に合わせてすべて変化してくるんです!

どういうことかって言いますと……


黒いシャツ

黒い」はスペイン語で"negro"。(ネグロ)
一方の「シャツ」は、お伝えしたように女性名詞

この「シャツ(女性名詞)」を説明するために修飾語がかかってくると、「黒い」という形容詞も女性形にしないといけないんです!

なので、"negro"の語尾が女性形の"-a"に変わって、

黒いシャツ】: "La camisa negra"(女性形 / カミ            ネグ

↑こういう微調整が入るんです。

この活用が!
リアルタイムでラグなくスムーズに組み合わさらない!!(私が)

先ほど「(男性名詞)」の単語でオス・メスの違いをお話ししましたが、犬の性別がオスの場合や、特に指定がなく「(一般的な)黒い犬」と言いたいときには、こうなります。

"El perro negro"(黒いオス犬 / エル ペッ ネグ

だけど、「うちで飼ってるのは、『黒いメスのワンちゃん』なの!」みたいな感じで性が限定されるときは、

"La perra negra"(黒いメス犬 / ペッ ネグ

同じ「黒い犬」なのに、オス(男性名詞)とメス(女性名詞)の違いで、文頭につく定冠詞や形容詞の語尾の活用が微妙に変わってくるの、ご覧いただけるでしょうか!?

こういうのを、全部!
名詞の性」によって、揃えていかないといけないんですよー!!(ジタバタ)

……って、ことが言いたかった。


スペイン語の巧妙な罠の一部である(?)。


話を戻して、お次の曲。

こちらは、ラテンの情熱がガッツリ入った感じの……つまりは、わりと直接的なお誘い&ダンスの歌なので、好き好きわかれるかも。(すみません!)

\ Luis Fonsi - Despacito ft.Daddy Yankee /
(2019年)

国によっては放送が禁じられたりもしたようで。(宗教観的にね)
"Despacito"(デスパシィト)は、「ゆっくりと」という意味。

リズムがよきです。ジャスティン・ビーバーがリミックスしたことで、さらにヒットしたそうで。日本が誇るメジャーリーガーの彼が歌ったことでも、話題なんだとか。

なんか私、"Despacito" の方が部分的に聞き取れる率高い。(ので嬉しい!)

個人的な感覚なんだけど、英語で例えるなら "Despacito" はイギリス英語みたいに一語一語をはっきり発音してる気がする。

「追憶の黒いシャツ」は、単語の前後を混ぜて発音してるように聞こえる……。どちらかというとアメリカ英語みたい。やはり地域差なんだろうか?? 単語の切れ目がわかりにくくて難しい。(単にリスニングに問題ある可能性が大)

こちらが、feat.ジャスティン・ビーバー


この動画は、サムネイルで固定されていて日本語訳も出てこないので、映像なしで"Despacito"の曲だけ聴いてみたいという場合は、ビーバーさんのリミックスがおすすめ!

この歌のおかげで、覚えられたフレーズがある。
(忘れずにいてね、私)

これ!

Ma´s despacio, por favor.
もっとゆっくりでお願いします。

ちょっと語尾は変わってるけど、ゆっくり話してくれるようにお願いする言葉。「例文」を読んでくれるスピーカーはゆっくり話してくれますが、通常会話のスペイン語ってかなり早口だから。

! Ma´s despacio, por favor !
もっとゆっくりでお願いします!

……こいつを連発することになりそうだ。
こんなふうに、スペイン語の歌を聴いたりして、耳を馴染ませてます。


ときどき、ぬるっと始めてます!

過去の投稿をちょっと遡ると、笑えるくらいその片鱗が見えてくるんですが、そのとき、そのときの興味が向かう先だったり、関心事が見事に分散しがち。(自分が思っている以上に天秤座みが強いためか?)

それでも自問自答ファッションとスペイン語は、じっくり続けていくつもりです!

ここで、あともうひとつだけ動画をご紹介!

ひとつの言語を学ぶだけでも大変なのに、世にはなんと10ヶ国語以上を習得された方もいるそうで! 語学習得のコツについてのインタビュー動画がありました!(意識してみる)

もし語学に興味がおありなら、参考にされてみるのもいいかもです。こちら、たっぷり30分以上あってちょっと長めなので、お時間に余裕があるときなどにどうぞ!


今後も思いつきの記事がぬるっと投稿されるかもしれませんが、「あやつ、また迷走しているな♡」と温かく見守っていただけたら嬉しいです!

(どうしても一貫しない傾向にありますので……)

「スペイン語もやってます!」みたいなことを、さらっとお知らせするだけのつもりだったのに、まぁまぁなボリュームになるっていう。いつものことですな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?