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愛する対象が欲しい

簡単に言うなら猫を飼いたい。(直球)

私の人生において、猫という存在は30年近く居ました。ほぼ98%くらいですか。
中学生くらいだったか、親に不満がないはずなのに陰鬱な気持ちを抱えて、いつかの記事に載せた「連絡帳の言葉」という作品にある『アタシで遊ばないでよ!!』など幼稚な八つ当たりをした時期。
学校に行けばいじめ、家庭にいれば謎の暗鬱感、夢に逃げても悪夢、どこにも心の安全基地がない私は、『猫』が、唯一の安全基地だった。

ぬいぐるみは裏切らない。
人間なんかとは違う。
けれども、リアクションができない。

猫は。
まあ~気紛れなんで裏切らないとは言いませんが、当時の猫は私によく懐いていたため、気が向けば私の所へ来ました。
撫でてやれば喜び、布団を上げてやれば入ったり、布団の中は嫌だから足元にズム…とのしかかって来たり。重いよ。
昔から私のベッドはロフトベッドでしたので、下からの「上がっていい?起きてる?ねえ飼い主起きてる?」のニャーニャーはありました。
私が寝ていれば退室し、顔を出したり手をヒラヒラさせたりすれば上がってきました。
ベッドにいるかどうかの確認などいらないほど、既にベッドの住人でした。

猫は生きものです。
リアクションがあります。
ウザイくらい可愛がってマジウザイって顔されることもありました。猫なら許されるなぁ。
猫はリアクション出来る自我のある子です。
犬も好きっちゃ好きなんですが、飼い主を好きになる可能性が極めて高いから、なんか刷り込みみたいなんだよな。あと都市化でコンクリートロードになった道を散歩させるのもちょっと可哀想で。

まあおいときましょう。
そんな感じだったので、猫が家に居たのは救いだった時期があるのです。
もう本当に鬱で、あぁなんで生きてるんだっけみたいな気持ちの時でも、猫が「餌くれ」とニャアと言えば私はそれに応える。
そうだな、餌係が死んだら困るよな。
そんなことでも、私を繋いできたのは猫の存在もあるわけです。

で、今
猫が居ません。猫。プリーズ猫。

単純に、お金が無いから飼えないとか、賃貸だから許可がないと無理だとか、色々ありますが。
金は切実ですね。
うちは「生きものを飼うなら、死ぬまで責任をもって飼いなさい」という家です。
それは命なのです。
物ではありません。
病気になったり、怪我をしたり、色んなことがあります。
病気になれば病院につれていき、たぶん高確率で嫌がる薬を飲ませ、看病しないといけません。
怪我もそう。
高い木から降りれなくなってる自業自得猫もそう()
なんで降りれないとこに上がるんだよぉ…

面倒を見て、その命が終わるまでそばに居てやる。
それが飼い主の責任だと教わってきています。
今の私には1人では果たせないので()、ルームシェア相手を探しているわけですが
まあなかなか見つからないこと。
まあそれは今はおいとこう。

天寿をまっとうした猫らは、正月とお盆に帰省するんですが、今年は帰ってこなかったね。何がとは言えませんが、正月色々あったからでしょう。
座標が徐々に、私を裏切った人間が住む地に近付いているので、まあ…私から言えることは無いな。
あの子らは各々の土地に座すアチラサマに目を付けられたのです。知らん。
視野狭窄になった自分が言った言葉を呪うがいいよ。

こんな
誰かを悲しませる結果は欲しくないのですが

精神安定のために猫に触りたい
飼えないなら、飼ってる友人宅に行くとかしたい。
猫カフェは撫でて良くても抱っこは禁止なので~
抱きしめたい~

猫~~~

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