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ヤンキーでもなくケンカもした事ないただの若者川尻達也が格闘技に魅了され格闘家を目指すまでの道のり②完結。

ざっと①のおさらい。

ケンカもした事もない普通の中学二年生の私がプロレスと出会い、『となりの格闘王』を読んでプロレス→格闘技に興味が広がり、『佐竹を倒す』と高校で空手部に入ろうと決意。

後半は空手部から何故か陸上部に入部した高校時代、陸上競技にハマっていく理由、大学一年生の時に格闘家川尻達也が生まれるきっかけとなった二つの出来事など。
そこまで書きました。

続きです。

格闘技の魅力にハマり、格闘技をやりたい気持ちが再び芽生えた私。
それでも当時は格闘技のジムなど簡単に見つかるものではなく、興味はありながらもなかなか一歩踏み出せず悶々と数ヶ月が過ぎていきます。

1998年の3月頃。
大学二年生になる前の春休み、バイトをしていたカラオケボックスでバイトの人達と「格闘技をやってみたいんです」なんて話をしていました。
そしたらある先輩が『俺の知り合いでキックボクシングやってる人がいるから紹介してあげるよ。』と言ってくれました。
早速紹介してもらい話してみると、『毎週土日に土浦武道館で練習してるから見学に来なよ。』とのこと。
やっと格闘技が出来る喜びと同時に怖さが出てきます。
格闘技ジムに見学に行くって凄く勇気がいりますよね。
私もそうでした。
怖い人がいたらどうしようとか。いきなり殴られないかなとか。

確か1998年3月21日か22日だったと思います。
ドキドキしながら土浦武道館に見学に行くと、入り口で話しかけてくる明らかに不審な空気を漂わせたおじさんが…。
知る人ぞ知るスリム新空手創始者でありスナックブスのマスター金沢勝美氏(通称ブス先生)でした。

初めて会った金沢先生が喋ることは眉唾ものの事ばかり。
『めちゃくちゃ凄いやつがいて〜とか、誰も敵わない〜とか、世界一で〜、とかヒクソン・グレイシーにも勝てる〜』とか。
これ後になれば全然大袈裟でもなく真実だったんです。

格闘技の知識が少しばかりある私は「そんなはずねぇだろ。このおっさん嘘ばかり言ってるな。茨城県の片田舎の土浦市の武道館にそんな奴がいるわけねぇだろう。アホか。」
心では馬鹿にしつつ、適当に相槌をうちながら武道場に入ります。

意外とたくさんの人がいました。
男性が多いですが女性も数人います。
そんなに怖い感じも激しい感じもしません。
皆楽しそうに格闘技をやっていました。

しかし一人明らかに他の人とは違う近づき難い異様なオーラを出し睨みつけるように叫びながらミットを殴ってる人がいました。
そう。
私の格闘技の師匠であり、今や茨城県龍ケ崎市の市議会議員にもなられた桜井"マッハ"速人さんです。

金沢先生の眉唾ものの話も、後のマッハさんの活躍を知れば全然大袈裟ではなかったという事は理解してもらえると思います。

マッハさんの存在に圧倒されつつ入会を決めます。
ちなみにほぼ同時期に入会したのは現在T-BLOOD代表であり今も一緒に練習する岩瀬茂俊さんです。

K-1に憧れていた私は金沢先生が指導するキックボクシングクラスに。
岩瀬さんはマッハさんが指導する総合格闘技クラスでした。

初めての格闘技。キックボクシング。
女性のローキックがカット出来なくてボコボコに蹴られまくって落ち込みました。

この時点では佐竹を倒すとかプロになりたいなんて想いはなく、ただ単に格闘技を楽しんでいました。

ある日練習に行くとマッハさんに話し掛けられます。
色々話してるうちに今度試合があることを知り、しかもタイトルマッチだとのことでした。
これは観なくてはとチケットをお願いしてマッハさんの試合を後楽園ホールへ観に行く事になりました。

1998年5月13日 修斗 Las Grandes Viajes 3
【修斗ミドル級王座決定戦】
この日この大会が、この後20年以上も続く私の格闘家人生を決定づけます。

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ヤンキーでもなくケンカもした事ないただの若者川尻達也が格闘技に魅了され格闘家を目指すまでの道のり②完結。

川尻達也

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41歳ファイター 弱さを乗り越えた強さ。 そんなものに憧れます。 サポートしていただけたらモチベーションマックスで更新頑張ります☺

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川尻達也

格闘家 修斗/PRIDE/やれんのか!/DREAM/K-1/Strikeforce/ONE/UFC/RIZIN
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