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オリンピックで思った③(改革が必要なもの。部活動、マスコミ、選手自身)<終>

アイドルは恋愛禁止と言う連中で、その理由を誰もが納得する説明を出来る人間がいるだろうか?有名人が婚約発表すれば、新婦になる方が仕事を続けるかの有無が記事となる。現代日本において、結婚と同時に専業主婦になるって極めて稀なケースではないか?共にくだらない化石みたいな理想を掲げているとしか思えない。

さてスポーツ界に目を向ければ、いわゆる文武両道や仕事との両立で競技を続ける選手に対して、やや色目使い的な紹介がされるのが珍しくない。学生の本分は勉強であり、職場に行けば仕事をするって普通ではないのか?
しかし、日本ではその普通が求められていない気がする。トップアスリートであり、しかも勉強や仕事が出来てしまったら困ると潜在意識で思っている大人が少なくないのだろう。

その困る大人の代表者達が教員でありマスコミである。大多数の教員の理想は自分色に生徒たちを染めることであり、それが出来れば教員の仕事は楽であり偉そうに出来ますから。そして、マスコミは『◯◯に感動』と感動ポルノを演出しておけば、自分たちの理想通りに仕事が出来るのである。
例えば、夏の高校野球に対して「酷暑での試合に反対」とか「投球数は1試合◯◯以下を厳守」みたいなことを高校生が科学的エビデンスを持って声を上げ、受け入れられなければ予選出場を辞退すると抗議したら教員もマスコミ(特に夏の高校野球は朝日新聞社)は困るのである。

実は、アスリートが”世間を知らない筋肉バカ”であることを社会が望んでいるのではと私は思っている。

しかし、アスリート当人たちはこれで良いのだろうか?
結果を残しているときはチヤホヤされるが、結果が悪ければ人間は離れて行く。そして、選手の看板が役に立たなくなれば「自分には社会人経験が無く勉強して来なかった」と嘆き自己否定に陥る繰り返しで…。

アスリートには勉強して世の中の情報をキャッチし、社会から無風状態にならない位置に自ら意識して身を置いてほしい。そして、ラグビー元日本代表の平尾剛氏が下記の記事でおっしゃるように、社会人としての責務を果たせる人間になってほしい。
陸上競技の新谷仁美選手の発言が歯に衣着せぬと話題になるが、彼女のように発言することが普通でなければ、日本スポーツ界の将来が明るいものとはならないだろう。

私は間違いなく近々にアスリート冬の時代が到来して、”世間を知らない筋肉バカ”が淘汰されると思っている。そのためにも、先ずは自分で意識して社会から無風状態にならないようにすることが不可欠である。
そして、茨の道ではあるが教育や指導の現場、特に部活動のあり方について抜本的に改革すること。また、感動ポルノと前近代的なやり方のマスコミにアスリートはもちろん、読者や視聴者からNoを突きつけることも必要だと私は考える。

日本のスポーツ界は五輪を契機に発展するのか、それとも旧態依然の体質から脱却出来ずに衰退していくのか今が別れ際である気がする。


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