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映画技法講座11「クレショフ効果」

 前回、観客を感情移入させるテクニック、サブジェクティヴ・トリートメントについてお話ししました。そのサブジェクティヴ・トリートメントを駆動させるには次の両輪が必要でした。

○観客が主人公のフリ——POVショット(その人物の見ているもの)
○主人公が観客のフリ——見ることしかできない(目的の人物のクロースアップ)

ラバーハンド

 そして、この「見ることしかできない」目的の人物のクロースアップをえるために、ヒッチコックが絶対に必要としていたのが、「何も表現しない中性のまなざしで見る演技」です。

 それよりも、わたしの気にいらなかったのは、ポール・ニューマンの演技だ。きみも知ってのとおり、ポール・ニューマンはアクターズ・ステュディオ出身の俳優だ。何も表現していない、いわば中性のまなざしが、わたしには、シーンを編集する為に絶対必要だったが、ニューマンはそんな、何も表現しない中性のまなざしで見る演技をいやがった。
   
             ヒッチコック/トリュフォー『定本 映画術』

 なぜ、ヒッチコックは「アクターズ・ステュディオ方式で、例のごとく顔をちょっとそむけながら、思いいれたっぷりに演技」することを嫌ったのでしょうか。
 前回紹介したのは、ラマチャンドランのミラーボックスでしたが、今回は鏡像の代わりにラバーハンドを用意した実験(〜2:10)を見てみましょう。

 もしこのラバーハンドが、ブラシの刺激に「アクターズ・ステュディオ方式で、例のごとく顔をちょっとそむけながら、思いいれたっぷりに演技」したとしたら(『失くした体』、『アダムス・ファミリー』の意思を持った手のように、ラバーハンドが刺激に反応して大きく動いたとしたら)どうでしょう。そのような実験がなされているかどうかは寡聞にして知りませんが、おそらく被験者の反応は鈍くなるのではないでしょうか。
 

 映画ではレフ・クレショフが、ラバーハンドの代わりに、俳優、イワン・モジューヒンのアーカイブ・フッテージから特に無表情なクロースアップを選び、似たような実験しています。その結果得られたのが、クレショフ効果と呼ばれるものです。
 ここでは、クレショフの実験と同じことをヒッチコック自身が実演している動画があるので、それを見てみましょう。

 POVショットの赤ん坊を抱いた女性、ビキニの女性が、いわばリアルハンド(私たちの目)に与えられる刺激です。必要なのは、リアルハンドに同じく刺激を与えられるラバーハンド(目的の人物のクロースアップ)を見ること、そしてラバーハンドが自分の手に似ていなくても——ヒッチコックの顔が自分の顔に似ていなくても、それが「何も表現しない中性のまなざし」であれば、私たちはその顔に「表情を刻む」ことができるのです。
 これがクレショフ効果であり、サブジェクティヴ・トリートメントです。

名優アンソニー・ホプキンス

『羊たちの沈黙』(ジョナサン・デミ)のメイキングで、ハンニバル・レクターを演じたアンソニー・ホプキンスが、次のように言っています。

無駄のない動きは効果的だ。しかめっ面などする必要もない。カメラがすべて表現してくれる。

 ヒッチコックの求めた「何も表現しない中性のまなざしで見る」だけの「無駄のない動き」。「クレショフ効果」という言葉を使わずして、まさにその説明になっています。名優たる所以でしょう。しかし、より興味深いのは、アンソニー・ホプキンスが、クラリス役、ジョディ・フォスターの演技を評する箇所です。

クラリスという人間を分析、解体しようとした時の彼女の反応は見事だった。私には真似できない。内に秘めた強さで持ちこたえようとしながら、泣き崩れそうにも見え、さらにそれも隠そうとする。実に見事な演技だ。

「クレショフ効果」を知悉し、それを使いこなすアンソニー・ホプキンスが、ジョディ—・フォスターのそれには全く気づいていません。彼女の「無駄のない動き」に「内に秘めた強さで持ちこたえようとしながら、泣き崩れそうにも見え、さらにそれも隠そうとする」表情を刻んだのは、外ならぬ観客、アンソニー・ホプキンスそのひとなのです。



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