オストロムから持続可能なコモンズ的DAOを探る

1,はじめに


Web3カルチャーにおいて、徹底的なパーミッションレスや真の分散化は神聖なものです。ですが、現在のWeb3で本当に完全な分散性を獲得しているのはごくわずかなプロジェクトのみと言えるでしょう。

そして、それは最近僕がリサーチを進めてるDAOにも言えることです。先日書いた『持続可能なDAOのガバナンスシステムを考察する』でも触れていますが、持続可能なDAOのガバナンスシステムを構築するためには構造化が最も重要であり、プロトコルファーストの戦略に沿って実力主義の組織であることが求められます。そのためには、DAOはある程度集権的にならざるを得ません。

では、真の分散的なガバナンスシステムをDAOに持ち込むことは不可能なのでしょうか?実現するためには、どのような条件を満たす必要があるのでしょうか?僕はそのためのヒントを「地方自治」の仕組みに求めました。

いくつかの書籍を探るうちに、経済学で「コモンズ」という概念があることを知り、その分野で有名な研究者エノリア・オストロムの存在を知りました。オストロムはコモンズ研究の第一人者として知られ2009年にはノーベル賞を受賞した女性経済学者です。残念ながら彼女が出版している『コモンズのガバナンス』は日本語訳版の出版がされていません。

そこでオストロムはじめ「コモンズ」について詳しく解説されている山本眞人著『コモンズ思想をマッピングする -ポスト資本主義ガバナンス』を参考書籍として、オストロムの「コモンズのガバナンス」は何なのか?そして、それを活用してコモンズ的なガバナンスシステムをDAOに持ち込むことは可能かを考察してみます。

2,オストロムの『コモンズの悲劇』批判


コモンズが語られる際によく引き合いに出されるのは、ギャレット・ハーディンの『コモンズの悲劇』と、エノリア・オストロムの『コモンズのガバナンス』という二つの書籍です。まずは、コモンズを探る前に簡単にこの2つの書籍について解説したいと思います。ハーディンの『コモンズの悲劇』は、「人々が集まり共用資源(コモンズ)を使うと、彼らは個人の利益を優先することで共用資源を枯らせてしまう」という主張を展開しています。


例えば、一つの大きな牧草地があるとします。もし、その放牧地を特定の農民が買って私有する場合は草が再生しなくなる事がないように、牛の数を制限して持続可能な牧草地を運営するでしょう。しかし、複数の農民が少しずつ集まって使い出したらどうでしょう?共有地では、自分だけが牧草の保全を考えて牛の数を制限しても、他の農民が無制限に放牧してしまうと自分だけが自制してても意味がありません。それどころか、資源の取り合いに参加しないと自分が損をするかもしれないので農民達は自制することをせず、結果として各農民がそこに何頭もの牛を放牧してしまい、土地が再生しなくなるまで草が食いつぶされてしまいます。ハーディンの『コモンズの悲劇』では、このような悲劇を避けるために、共有地を私有地に分割するか、公有化する必要があると主張しています。

このハーディンの『コモンズの悲劇』は、経済学、政治学を巡る文献として長い間「常識」としてよく読まれてきました。しかし、経済学者のオストロムが世界の共用資源について調べると、共用資源が持続可能な形で管理されてる事例は山ほどあることに気付きました。利用者が管理するのに適した構造やルールを作れば共用資源は持続可能であるため、ハーディンの主張は問題を単純化しすぎているという主張をしたのが、1990年にオストロムが出版した『コモンズのガバナンス』です。

それまでは、主流派経済学者の間では「孤立した利己的な個人」は自治能力が低く、分散的ガバナンスを作る能力を欠いているという見方が一般的でした。しかし、オストロムのコモンズ研究により、「天然の共有資源の管理」というテーマにおいては、必ずしもそうとは限らないということを明らかにしました。

3,持続可能な共用資源


ハーディンの「コモンズの悲劇」は、牧草地を例にして、利用者たちは相互不信から資源利用をほどほどに使うということができなくなるため、共用資源は枯渇するという理論でした。
それに対して、オストロムは共用資源の管理に失敗して「コモンズの悲劇」に陥る場合もあれば、自治機能が働き持続可能な状態が維持される場合もあると反論していました。

では、共用資源の管理に失敗する時と、良好な管理が持続する時で、それぞれどんな要因があるのでしょうか?

3-1.共用資源の条件


まず、オストロムの「共用資源」の定義を明確にしてみましょう。

主流派経済学者のポール・サムエルソンは、財を「私的財」と「公共財」に二分しました。私的財とは、(a)ある人が利用権を独占しやすく、(b)ある人の利用と他の人の利用が競合する財だとしています。そして、(a)(b)共に該当しないものを公共財と定義しました。

オストロムは、このサムエルソンの理論を参考に、(a)の条件を満たさず、(b)の条件を満たすものを「共用資源」としました。

※オストロムのコモンズ研究は、地下水、漁海、森林などの天然の共用資源を研究の対象にしています。他の領域の共用資源(フリーソフト等)が必ずしもこの定義に当てはまるわけではありませんが、この記事で「共用資源」と記載する場合は、上記の定義を満たすものを指していることとします。

3-2.持続可能な共用資源制度を可能にする条件


オストロムは、長期間にわたり良好な資源管理を続けられた共用資源の事例の分析を行い、その多くに共通する要因を八項目に整理して「長期持続型の共用資源制度の設計原理」を作りました。

[1]コモンズの境界が明らかであること
[2]コモンズの利用と維持管理のルールが地域的条件と調和していること
[3]共用資源の利用ルールに関する決定に利用者が参加できること
[4]ルール遵守についての監視がなされていること
[5]違反へのペナルティは段階を持ってなされること
[6]紛争解決のメカニズムが備わっていること
[7]コモンズを組織する主体に権利が承認されていること
[8]コモンズの組織が入れ子構造になっていること


設計原理の第一は「境界の明確性」です。これは、「誰が、どこまでの利用権を持つのか」がハッキリしているかどうかということです。
第二の原理は、「資源と利用者の地域的条件にうまく適合するようにルールが作られているかどうか」ということです。例えば、漁場であれば漁獲量で制限をかけるのではなく、魚の種類により漁の期間を限定するという方法がこれに該当します。
第四、第五、第六の原理は、ガバナンスに関することです。「段階的な制裁」というのは、違反者が見つかった時に何らかの制裁を与えなければいけませんが、悪質でなければ、最初は軽い制裁にとどめ、違反が繰り返すようなら徐々に重くする仕組みです。
第七の原理は、共用資源のうち中央政府の関係についてです。利用者が自主的にルールを作ることが、コミュニティの外の中央政府(地方政府など)に認められているかどうかということです。

さて、あえて飛ばしましたが、特に重要なのは第三の原理です。「共用資源の利用ルールに関する決定に利用者が参加できること」は共用資源の長期持続的な管理を実現してる事例では、利用者たちが協議を重ねて制度を改善してきた歴史があります。その背景にあるのは利用者同士の強い信頼関係です。主流派の経済学者が長らく「コモンズの悲劇」理論を常識として論じてきたのは、構造化されてない、または不十分なコモンズでは利用者同士の相互不信が起きることが前提にあったからだと言えます。しかし、歴史上利用者たちは問題にぶつかる度に協議を重ねて問題を解決するルールを作り出し、改善を繰り返すことで強固な分散型ガバナンスシステムを構築してきました。つまり、第三の原理を成立させるためには、互いの信頼関係がベースになることも大事な視点なのです。

さらに、第八の原理は、スケールの大きな共用資源の長期持続を実現しようとする場合の設計原理です。これは、利用者の小さなコミュニティが基本にあり、それが多数集まって、上位の協議機関が作られ、大きな領域の利用ルールを構築する、という多層的な構造が作られます。

これを次の節で詳しく解説します。

4,入れ子構造のガバナンス


前節では、オストロムの「コモンズのガバナンス」で書かれている長期にわたり持続可能に管理された共用資源の事例を分析し、それを可能にした設計原理8つを紹介しました。

そのうち第八の原理として挙げたのが、「入れ子構造のガバナンス」です。これは、利用者同士の小さなコミュニティを基本単位にして、そうした小さなコミュニティユニットが複数集まることで全体をの大きなコミュニティユニット構成します。例えば、それぞれ数人〜数十人ほどの小さなコミュニティa、b、c、dが集まってAになり、e、f、g、hが集まってBになり、i、j、k、lが集まってCになるとします。この調子で、A、B、Cが集まりXになり、D、E、Fが集まってYになり、XとYの合議制によりコミュニティの意思決定を行うというように、入れ子構造で何層かのガバナンス・システムが作られます。

この考え方の背景には、広域で共用資源の利用者が多数になると、利用者同士の協議でルールを作っていくことは容易ではないという理由があります。なので、もし利用者コミュニティがそれほど大きくない場合は、利用者同士が直接協議を重ねることで、地域の特性に合った利用ルールを作れる可能性は十分あるでしょう。

こうした「入れ子構造のガバナンス」で重要なポイントは、下記と上位の縦関係の構造が作られていても、基本ユニットとなる小さなコミュニティの自立性と固有性が妨げられることはないということです。つまり、縦型の構造だとしても、いわゆる中央集権組織のようなトップダウンの構造ではなく、ボトムアップの構造になっていることが「コモンズのガバナンス」にとって重要なことだと言えます。

5,考察:「コモンズのガバナンス」はDAOの参考になり得るか


ここから先は、オストロムの「コモンズのガバナンス」を参考に、コモンズ的なガバナンスシステムがDAOに活かせるかという考察を行なっていきます。

5-1.コモンズ的DAOの可能性


まず、整理しないといけないことは、DAOにおける共用資源とは何か?ということです。プロトコルDAOであれば、それは提供している「製品」だと言えるでしょう。そして、その製品の所有権を表すものがネイティブトークンなのだとしたら、そのネイティブトークンも同様に共用資源であると言えます。

ただ、ここで思い出して欲しいのがオストロムの共用資源の定義です。「(a)ある人が利用権を独占しやすく、(b)ある人の利用と他の人の利用が競合する財」という条件のうち、(a)を満たさず(b)を満たすものがオストロムの定義する共用資源でした。例えば、Ethereumを例に考えると、プロトコルとしてのEthereumは、ある人が利用を独占することは困難です。と言うか独占することに意味がありません。また、Ethereumの利用範囲や、その頻度を巡って競合し合うことはあり得ませんね。なので実はEthereumは(a)(b)共に条件を満たしていません。ですが、Ethereumは私有財でも公共財でもなく、やはり共用資源と考えるのが妥当ですよね。一方で、トークンとしてのETHはどうでしょうか?これも特定の誰かがETHを独占することは現実的に不可能ですし、そもそも皆が使うから価値があるため独占することに意味がありません。しかし、ETHをより多く保有したいというニーズは存在します。ETHは発行上限こそ決まっていませんが、ETHの供給量に対して需要が追いついていない場合、より多く保有したい人の間で競争が起きるため価格が上がるという仕組みですね。なので、ETHは(a)は満たしていないけど(b)は満たしていると言えます。

前提の説明が長くなりましたが、オストロムの「コモンズのガバナンス」は、あくまで天然の共用資源を前提にした理論である以上、プロトコル(製品)やトークンのようなWeb3的なデジタル・コモンズを持続可能に維持するための理論としては必ずしも合致はしないかもしれません。しかし、個人的には、DAOの形態や目的によっては、トップ主導型の構造よりもコモンズ的な構造の方が合っているということはあるのではないかと思いました。

特に、ソーシャルDAOやPFP系NFTコミュニティなど参加者の動機が、多様で複雑になりやすいコミュニティでは「コモンズのガバナンス」の設計原理が適用できるポイントは多いかもしれません。例えば、ソーシャルDAOにおける「製品」はコミュニティそのものになると思いますが、交流を促すために、様々な共通の話題や体験を意図的に作り出す必要があります。NFTコミュニティにおいてはキャラクターIPのブランディングの為に、外に向けた打ち手とコミュニティ参加者をとどまらせるための内に向けた打ち手が必要になります。つまりこれらのDAOは、様々なプロジェクトが自立的に同時進行で立ち上がる可能性が高いので、トップダウン型の組織では参加者の多様で複雑なニーズに十分に対応できない可能性があります。この場合は、「入れ子構造のガバナンス」などボトムアップ型の組織構造の方が機能するでしょう。

5-2.コモンズ的DAO実現のハードル


「コモンズのガバナンス」の原理をDAOに持ち込もうとするならDAO特有の課題もあります。まず前提としてDAOの参加者一人一人が自分ごとと考えて自立的にガバナンスに参加しないとコモンズ的DAOは機能しないため、エアドロップなどのインセンティブ狙いでDAOに参加してる人が多い場合はトップダウン型の構造の方が組織は機能する可能性が高いでしょう。

しかし、多くのDAOのガバナンストークンがあり、そこに参加する人にとっての動機が「個人の利益」になりやすい傾向があります。全体の利益ではなく個人的な利益を優先する人が圧倒的多数になると、参加者同士の信頼関係も築かれにくく相互不信が生まれやすいため、コモンズ的ガバナンスを採用するDAOは「コモンズの悲劇」に繋がりやすくなるということは想像に難くありません。つまり、コモンズ的なガバナンス・システムをDAOで機能させようとするなら、参加者に対して経済的インセンティブ以外に積極的にガバナンス参加する動機を与えなければいけないということになるでしょう。しかし、言うは易しです。それを実現するのは、簡単なことではありません。そのため、まずはDAOの多くの成功事例のように、中央集権的な組織構造を作って、段階的に権限をコミュニティに渡していく戦略が現実的かと思います。

月並みな結論になってしまいましたが、以上が僕の考察となります。

6,まとめ


というわけで、オストロムの「コモンズのガバナンス」の解説と、それを参考にコモンズ的なガバナンスをDAOに持ち込めるのかを考察してみました。

僕の現時点での結論としては、「公式の構造」「プロトコルファーストの戦略」「多様性と実力主義」が持続可能なDAOの基本的原理なのだとしたら、緩やかに中央集権化されることがベターではないかということです。

もちろん参加者一人一人がDAOの発展のために積極的にガバナンスに参加し続けられるのならば、コモンズ的な分散的ガバナンス・システムを構築することは不可能ではないでしょう。しかし、DAOの参加動機が「個人の利益」をきっかけにしていることが多いため、コモンズ的DAOを実現するハードルはかなり高いのではないかと感じました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?