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「何もしない」をやる

こんにちは。
haRu*☽です。

少し前に、大好きなご夫妻とランチしていた時のこと。。
ご主人がこんなことを話してくれました。

「不登校の子どもは、学校に行っていないのではなく『学校に行かない、をやっている』そうなんですよね」と。

不登校のお子さんを持つお母様たちの中には「学校に行っていないなら、家のこと(食器洗いとか)をやってほしい・・・」と思う方もいらっしゃるそうです。
きっとわたしも同じように思ってしまったかも。。

ですが、その子にとって不登校とは「学校に行かない、をやっている」ということなのだそうです。

この話を聞いた時に、表面的に見えていることばかりが「やっている」ことではない、と氣づかされました。

おとなだって心が疲れた時は、体が疲れたら体を休めるように、心も休ませますよね。。

それは再び動き出すための、大切な「何もやらない、をやる」時間です。

わたしにとっても、何もやらないをやるって、すごく大切。。

起業歴は長いのですが、なんせエネルギー配分を考えて動くことがとっても苦手なので(動きたい時は動けるだけ、もしくは持てるエネルギー以上に動いてしまって、ある日突然パタンと止まってしまうの、、笑)、めちゃめちゃ動いている時と、動きたくても動けない時を、繰り返しながらお仕事してきている感じがします。

社会的な刷り込みなのか「動いていること(行動できていること)=良し」という思い込みがあったので、動けなくなった時の自分自身を責めてしまったことが本当にたくさんありました。

ほかにも「誰かの役に立っていないわたしは価値がない」という思い込みもあったと思うんですよね。

でも「何もできない」時間を過ごしたことが「わたし、という存在そのものを慈しむ」心を育ててくれたように感じるんです。

だって、本当に何もできない時って、食器洗いさえできません。笑

こんな時間をわたし自身は、最初は「何もできないわたし」(動きたくても動けないわたし=ダメ)と捉えていたけれど、ただ存在するだけで愛されるわたしを受容できてゆくほどに「何もしないわたし」(何もしないことをわたしが選択している=OK)と捉えてゆくようになりましたね。。

何もしない、をする、って、人生の長い時間の中では本当〜に大切な時間だと思います。こういう時間を過ごしてきた人が、自然とわたしの周りには多く集まるのだけど、みんな自分自身の人生の捉え方が美しいんですよね♡

不登校のお子さんも「学校に行かない、をやる」時間を自分で選んでる。

そう思うとすごくそこにはパワーを感じるし、そのお子さんが「何もしない、をやる」時間に見えない領域で起きていることが、のちにどんなふうに表に現れて「見えてくる」のかも楽しみです。

走りっぱなしな人や、疲れていることさえ感じなくなってしまった人たちも・・
リラックス上手な人や、定期的にオフの期間をとっている人たちも・・
どんな人にもきっと「何もしない、をやる」時間って大切なのだろうなと感じました。

わたしも、強制終了みたいなパターンではなく、これからも「何もしないを、やる」時間を自分で決めて取ってゆこうと思います。

  haRu*☽





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