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成熟した考え?その落ち着きどころ

冬の間、うつうつした日々を過ごしておりました。
ある日、自転車でお気に入りの服やさんへ向かうとき、
ゆるく風が吹いていい気分の軽い瞑想状態で、
ふと降りてきたキーワードが「まちづくり」。
これぞミッション!
目の前の霧がはれるような感覚で、もう降ってきたことがピンときて
自転車をこぎながらも大笑いしてました!

この楽しい感覚のまま、服やさんへ着き、
「来る途中、ある思い付きがおりてきたのよ」というと、
「その話を聞かせてください」といわれ、、
(余談ですが(ああ、こういうことばをすっといえる人は
すばらしいんだよなぁと思い)
「いつか、すこしずつやり遂げたことも話させてください」と
いいました。

それ以降、たびたび思う教訓があります。
わたしがやりたいことに取り組んで、結果がでようとでまいと、
ただただ取り組むことをやっていると、わたしがハッピーで
元気になるよなってこと。

ちなみに、「わたし」のところを「あなた」に置き換えて読んでみて
もらえます? なんだか、そうそうって共感できそうですか??

見返りだとか、コスパだとかそういうことばかり考えてしまうことが
あって、まっすぐ人生に向き合うことができてなかったなぁと。

グリーンペトリファイドウッド いま感じたことを生かしていきたいというときに。
大人の線引きはちゃんと持ったうえで、やっちゃうのは、かっこいいしそうありたいな。

。。さて、ここで気づいたこと

自転車にのってたときのようなただの日常で、この人生でやりたかったこと
思い出せたのって初めてで、大げさに言えば雷に打たれたような?感覚
これもしかするともしかして、今って秘密のとびらがあっちこっち開いてるのかもっ?て思いました。
特別なヒーラーさんに会ったときやクリスタルヒーリングのときや、スピリットの声をきくヒーラーさんにきくようなレベルの内容だったし。
そうならば、ほんとお得です。日常を生きるための現実的部分は残るけれど、あとはできるだけ人生について向き合うことに時間を作ろうと、シンプルに、まっすぐにです。

最後に、生きるテーマって、わたしはしょっちゅう忘れてしまいます。今回は、ふとした瞬間で思い出せたのだけど、実はそれをすぐ行動できてないのですよね。下手したら、できないまま死んじゃうってなるかも。いやだなぁ。
最近、すこしずつで、今日もできたなって日が増えてる気がしますが。
難しいのだけど、「わたしの庭、いきたい世界」を探してみたり、未完成ながら表現してみたりを続けたいな。

とある場所で出会った彫刻家さん。可動産を売っていました!
これも、まちづくりをイメージできる出会いだったなぁ

繰り返しこの意図につながる瞬間がくるとき感じることは、
わたし生きてる、ちゃんとやってるって喜んじゃうの。
未来につながる何か平行生(ヘイコウセイ)を生きるという感覚は、
パワーのいる作業みたいです。

これは、わたしの庭のイメージ。ちいさな結晶がたくさんあって、
ひとつの世界を作り出している。

水晶ポイントの中に街の世界観をみつつ
こうしてみるとやっぱ石って象徴という存在でもあるのかも。
ちゃんと出会ってくれた、つながる世界観があって
あ、これわたしやっていいのかもしれない、と妙な安心感がありました。

次回は、こんな世界を残したいを石で表現するシリーズを
書いてみたいです!