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世間一般的22歳といえば学生から社会人、大学の卒業といった節目の歳なのでそれを失った私もひとつの節目として4年を振り返って書く。

4年前の今頃私は突然始まった某ウイルスの脅威に苛立ち、戸惑いつつ、音楽に満ちた4年間を心待ちにしていた。3年間の部活の集大成である定期演奏会が無くなったのは悔しくて泣いたが、卒業式が無い、入学式が無い、そんな事はやっと音楽と自由に向き合えると思うとどうでも良かった。今では考えられないが入学準備の課題に文句を言いつつこのリストが成されていくのにワクワクした。

まず最初に変わってしまったのは5月頃、思い描いていた大学生活とは大きく異なった在宅オンライン授業という形がどうしても自分に合わなかった。最初から上手く向き合えては居なかったが5月頃にはもう八方塞がりの状態でどう授業と向き合って課題を消化すれば良いか分からなくなった。縋るような思いで病院に行って、8月には色々な病名が付いた。9月には後期休学を決め、2年生になるタイミングで退学を決めた。

『Hab ein Lied auf den Lippen,
verlier nie den Mut,
hab Sonne im Herzen,

くちびるに歌を持て、心に太陽を持て』

合唱を嗜んだ人間には王道すぎるがこの一節がずっと好きで、何かにつけて思い出してきた気がする。ただこの時の私はそんな余裕はなくてひたすらに自己嫌悪と戦っていた。

当時の情勢が悪いとか、環境がとか言う人もいたけど、幼少期から私の周りでは何かと事件が起こってしょっちゅう先生に呼び出されたり、高校生の時に発症しかけていた適応障害だったり、今も尚改善されないどころか変化し続けている事から外的要因ではなく内的要因のものなんだなあ、と、生涯向き合っていくものなんだなあ、と前向きな諦めのような感情でいる。

話を戻すと、みんなが2年生になる時期から今までずっと自分は何がしたいのか、何なら頑張れるのか、上手く向き合えるか、色々と模索しながら過ごしてきた。
一時は就職もしたけど散々な結果だった、たくさんの人に迷惑をかけたしなにより自分自身かなり落ち込んだ。
その後は少し荒れた生活をしてしまった。

ようやく方向性が固まって他人に話せるようになったのは結構最近で、大胆に見えて慎重な私が他人に話せているから結構本気なんだと思う。
みんなの就職とは少し遅れちゃうけど、大学院生の事を思って焦らず夢に向かえたらなーとじっくり準備中🫰

少し前向きになった今、同期からのお誘いもあって高校の部活に参加してみた。約3年半ぶりに音楽に触れるのは結構不安だったけど、当時と変わらず私は音楽が好きだった。ろくに歌える状態じゃなかったけど歌うのは楽しかった。
練習に誘ってくれた同期君、軽い気持ちだったとは思うけど私の中では大きくて嬉しかった、本当に感謝してる。ありがとう!

傍から見ると謎でしかない4年間だけどこう書くとかなり単純、だからこそ書いて明確にしちゃおうかなーって安易な動機でここまで書いちゃった。謎に包まれた状態で仲良くしてくれた中学高校のみんなありがとう、1歩引いて見守ってくれている周りの大人の皆さんありがとうございます。

自己満足だけどこれを私の節目とします、今後も不器用なりに少しづつでも進んで行きたいな、読んで頂きありがとうございました!


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