見出し画像

ポール・ピアースは、いつだって"残り時間"を知っていた。

この記事をベースに訳したり脚色したりしました。

・・・・・

2010年のプレーオフ、マイアミ・ヒートとの1回戦、Game3。ホームで2連勝して敵地に乗り込んだこの試合は、試合残り10秒、同点という局面を迎えていた。

ボールはポール・ピアースの手にあり、アリーナは緊張に包まれる。誰もが彼の「やること」を知っている。エルボーの延長線上、21フィートの位置。彼のスウィートスポットからの、プルアップジャンパーだ。

「試合」は究極の形でそこにあり、その命運は彼に握られていた。

ピアースが動き始める。ゆっくりと。遅すぎるくらいに、ゆっくりと。

「もう、時間が…」報道席の記者の誰かがそう呟く。

ピアースはついに、行った。彼のスポットへ。そしてクロックに1秒たりとも残さず、21フィートのジャンパーを放ち、沈めた。場内は打ちのめされ、ピアースは胸を張り、コートの真ん中を駆け、チームメイトにもみくちゃにされた。記者たちは口を揃えて言う。「待ちすぎだと思ったのに!」

https://m.youtube.com/watch?v=T7fAW6Qz23M

・・・

ポール・ピアースは、いつだって残り時間を知っていた。試合終了のブザーまであと何秒残されているか、完璧に把握していた。彼は常に自分のスピード、自分のリズムでプレーする。彼は決して焦らず、最後のコンマ1秒まで使い切る。そうすることで、めいっぱい味わわせてやるのだ。ブザービーターと、それによる敗北を。ブザーが鳴るのと同時にどれだけ彼が相手の望みを打ち砕いてきたか、彼のキャリアハイライトを振り返れば分かるだろう。

・・・

ポール・ピアースは、いつだって残り時間を知っていた。
2013年、ニューヨーク・ニックスとのシリーズに敗れたピアースは、TDガーデンのトンネルを歩きながら、ああ、これがセルティックとしての最後の試合かもしれない、そう感じていた。
『史上最悪のトレード』との悪名も高い、2013年のブルックリン・ネッツとのディールについてピアースは最近こう語っている。「ビッグベイビーがいなくなって、パークもいなくなって…… フロント陣の動きは見てたし、ダニー(エインジ)とミーティングしたのも覚えてる。だからニックスに敗れた時点で、ある程度心の準備はできてたんだと思う」

もちろんピアース自身も、全世界のNBAファンと同じように、彼がボストン・セルティックのまま引退すると思っていた。
「でも、身の回りの物事がどう動くのかを見てるうちに、頭の奥底では気付いてたのかもしれない。これがボストンでの最後の試合かもって」

・・・

ポール・ピアースは、いつだって残り時間を知っていた。
2015年、アトランタ・ホークスとのGame3。ワシントン・ウィザーズの一員となっていたピアースは、残り6秒同点の場面で、ボールを受けた。エルボーの延長線上、21フィートの位置。ピアースはいつものように、時が熟すのを待つ。残り2.1秒、ついに動く。左に1つドリブルを突き、ステップバック。3人のホークスの選手のチェックもお構いなく、残り1.3秒でボールは手から放たれた。残り0.0秒。1度ボードに当たったボールは、ブザーと完璧に同時に、ネットに吸い込まれた。
ショットと同時に倒れこんだピアースは、両手を広げ、チームメイトからの祝福を歓迎した。

https://m.youtube.com/watch?v=KGnTSu0orgc

ブルックリンからワシントン、そして故郷のロサンゼルスへと移籍したピアース。ボストンから離れるほどに、彼という人間、彼のビッグショット、彼の過去のチームメイトや対戦相手をこき下ろす率直なインタビュー、彼の(下手くそな)ソーシャルメディアは、ボストン以外の人々からも愛されていった。プレーヤーとしての力はほとんど残っていない中、それでもピアースはアメリカ中の人々の記憶に焼き付くことをやめなかった。

だが、人々がポール・ピアースを思い出す時、真っ先に浮かぶのは緑のユニフォームを着た15年間のことだろう。1997年に10位でドラフトされた。俺を見送った9の球団を見返してやると決めてNBAに飛び込んだ。リック・ピティーノとアントワン・ウォーカーの時代があった。勝てない時期があった。ドック・リバースとの初期の軋轢もあった。トレードの噂もあった。そして、ケビン・ガーネットとレイ・アレンが加わり、再び強豪に返り咲いたことがあった。

2002年のカンファレンスファイナルGame3、ネッツ相手に26点差を逆転したことがあった。ピアースはスコアラーテーブルに飛び乗り、狂乱する観客たちと一体になった。それは若いファンーーレッドやラッセルやハブリチェック、バードといったレジェンドを見ることなく育った世代のファンーーが、初めて自分たちの目で"伝説"が生まれるのを目撃した、最高の瞬間だった。
ポール・ピアースは、彼らにとってのラリー・バードになった。バードの方が素晴らしいキャリアを送ったと古くからのファンは否定するかもしれないが、若い世代のファンにとって重要なのはそこではない。ピアースはレブロン・ジェームズと伝説的な闘いを繰り広げ、ロサンゼルス・レイカーズを破り、優勝した。彼らには彼らの"伝説"が欲しかったのだ。

セルティックスの歴代プレーヤーをランキングにするとしたら、偉大すぎるほどの先人たちの中でピアースが何位にランクインするかは議論の余地があるだろう。ただ、誰にも否定できないこともある。15年の日々を通して、ピアースがセルティックスファミリーの一員となったことだ。ピアースが移籍後初めてTDガーデンに帰ってきた試合、そこには心からの涙があった。そしてそれ以降の凱旋でも、旧友との再会のような雰囲気があった。

・・・

ポール・ピアースは、いつだって残り時間を知っていた。
2016年9月26日、Players' Tribuneにて、ピアースは2016-17シーズン限りでの引退を表明した。あと1シーズン、それが彼に残された時間であることを、ピアースは知っていた。

2017年2月5日、彼がNBAで残した数々の素晴らしいモーメントの、最後を締めくくる瞬間がやってきた。寄せ木細工のコートで彼が最後に放ったスリーは、もちろん入った。その時すでに試合は決していた。そこにはポール・ピアースが、彼のベストを尽くす姿だけがあった。彼はゆっくりと後ろに下がり、手を高く挙げ、この上ない拍手喝采を受けた。上を向き、胸を張って、彼は笑った。

https://m.youtube.com/watch?v=WXh88gMM6fU

おかえり。