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鞭と毒蛇

映画『セッション』(原題:Whiplash)を観ただろうか。

(※今回のブログでは『セッション』の内容(一部ネタバレ?)を含みます、が、多少内容を知ったところで面白さが損なわれるほど『セッション』は浅い映画ではなく、むしろ観てみたくなるような文章に仕上げたという自負もあるので、観てない人も気にせず読んでください)

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『セッション』は、マイルス・テラー演じる名門音楽校に通う「偉大になりたい」ドラマーの青年ニーマンと、J.K.シモンズ演じる鬼教官フレッチャーの"セッション"を描いた映画だが、その"セッション"が物凄い。
鬼教官フレッチャーは"完璧"を追い求める。ほんの少しのリズムの早取りや遅れも許さない。納得が行くまで何百回でも、何時間でもやり直しを強要する。できない奏者に一切の容赦はなく、口汚く罵ったり、頬を叩いたり、パイプ椅子を投げつけまでする。
一方のニーマンはニーマンで、"偉大になること"にとてつもない執着心を燃やしている。彼は"偉大"になるために、血が滲むまで(比喩ではない、本当に)練習を重ね、あらゆるものーー友人や恋人、家族でさえもーーを犠牲にする。
最初こそフレッチャーの指導に気圧されていたが、実力をメキメキ伸ばすにつれフレッチャーの理不尽にも屈しなくなり、フレッチャーの方もニーマンの実力を認めはじめる。
2人が求めるものの先にあるのは……?という内容。

余談だが、原題『Whiplash』はジャズのある名曲のタイトルであり、作中でも演奏される。Whiplashという単語自体には「鞭打ち」という意味があり、こんなにこの映画にふさわしいタイトルはない。なのに何故変えてしまったのか……

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さて、『セッション』を観た人間は2種類のタイプに分けられる。

1つはこの映画を「狂気の沙汰」として、あるいは「インスピレーショナルな作り話」として、はたまた「行き過ぎた指導についての議論のタネ」として捉える人間。何を感じ何が胸に残るかは人それぞれだが、要するにこの映画を映画として、「物語」として観る人間だ。

もう1つは、この映画に共感する人間。共鳴、と言った方が正確かもしれない。ニーマンやフレッチャーと同じ狂気を持ち、彼らに自己を重ねる人間。

カイリー・アービングは間違いなく後者の人間だ。

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前置きが長くなったが、今回語りたいのはカイリーのメンタリティについてだ。彼のメンタリティを語る上で『セッション』の話は避けて通れなかった。

『セッション』はカイリーのお気に入りの映画だ。自身のスナップチャットで「今までの映画で1番好き」とまで言っている。
2014-15シーズンの終盤に『セッション』を初めて観たカイリーは、その年のプレーオフからシューズの踵のソール部分に"Whiplash"と書くようになった。その習慣は今も続いている。

彼がどれだけ『セッション』に心酔しているかまだ知りたければ、シグネチャーシューズ『Kyrie 3』のCMも観るといい。

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カイリーがここまで『セッション』に惚れ込んだのも、彼のプレースタイルを知っていれば頷けるだろう。

アレン・アイバーソンが負けを認めるほどのハンドリング力。フィンガーロールやダブルクラッチ、フローターを器用に使い分ける、史上最高とも評されるフィニッシュ力。もちろん外からも決められる。カイリーの秀でた能力は、良かれ悪かれ、しばしばオフェンスを1人で完結させてしまう。

彼のプレーを見ていると、ふと個人競技を見ているかのような錯覚に陥ることがある。彼にとっては、相手の存在すら頭にはないのかもしれない。どれだけ素晴らしいディフェンスを掻い潜れるか、どれだけ困難なシチュエーションからシュートを決められるか。彼は相手ではなく、自分に課したノルマと闘っているのではないか?
「自分が大活躍したものの僅差で及ばなかった試合」と「自分は絶不調で役に立つどころか足を引っ張ったが、勝った試合」だったら、彼はどちらの方をより悔やむだろうーーーそんなことまで思わせてしまう危うさもある。

今年のプレーオフのカイリーは、『Caravan』でソロを演奏するニーマンさながらだった。特にカンファレンスファイナルGame4、及びファイナルGame3と4。I cue youと言わんばかりに、果敢にアイソレーションを仕掛け、狂ったようなタフショットを次々に沈め続けた。「偉大になること」しか頭にない男が、「偉大」を体現する姿がそこにあった。

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カイリー・アービングのメンタリティについて語る上で、『セッション』の他に欠かせない要素がもう1つある。

コービー・ブライアントだ。

若き日のカイリーにとって、バスケをやる上で憧れの人物は2人いた。1人は彼の父親で、もう1人はコービーだった。ロンドン五輪を前にしたキャンプで、コービーに1on1 をしつこくねだる様子を見ても、カイリーがコービーにどれだけ憧れているか伺うことができる。

実は『セッション』も、コービーの影響で観たのだった。コービーは自身のインタビューで『セッション』を観たかと聞かれ、「もちろん。あれは俺だ」と答えている。

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コービーの精神性(マンバ・メンタリティなんて呼ばれたりもする)を簡潔に表すとすれば、fearlessとrelentless。恐れ知らずで、情け容赦なし。今さら説明のために例を挙げるまでもないだろう。コービーが失敗を全く恐れていないことも、毒蛇さながらに獲物を冷徹に"殺し"にかかる様も、我々は十分すぎるほど知っている。

そういった性質を、カイリーの中にも感じることができる。最たる例はもちろん、クリーブランドに悲願の優勝をもたらしたあのスリーポイントだ。ファイナル第7戦の、同点で4Q残り53秒の、両チームの得点が3分半以上動いていなかったあの状況で、失敗を恐れる人間があのスリーを打てるだろうか?情けのある人間があのスリーを決められるだろうか?

歴史に残る名勝負の後、カイリーは試合前の2日間あまりよく寝られなかったこと、色々な想いが脳内を駆け巡りすぎて試合開始直後は落ち着けなかったことをメディアに打ち明けた。そして続けてこう語った。

「2Qの終わりくらいにやっと『よし、俺は大丈夫だ』ってなったんだ。そこから俺の頭の中にあったのはひとつだけ。マンバ・メンタリティだ」

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「偉大」への鞭打つような衝動と、毒蛇のような冷徹さ。

カイリー・アービングの"ソロ"は、まだまだ続く。