Diving into the painted sea

38億年前、地球上最初の生命は海で生まれた。
当時、地上は火山活動と紫外線のコンビネーションを誇り、生命が誕生するにはあまりに過酷な環境だったからだ。

生命が陸に上がるまでに、そこから数十億年を費やした。
植物の繁栄は大気に飽和するほどの酸素を齎し、それが紫外線を防ぐオゾン層を形成するようになって、漸く生命は上陸を遂げた。

その後、なんやかんやあって、人類は地上に誕生したーーーー。



現代バスケのメインストリームの1つに、ポジションレスという概念がある。
ポジションという概念がない、と言ってもいい。
リバウンド、ボール運び、パス、ポストアップ、スリー。これらを選手がポジションに関係なくこなしているのが現代バスケだ。全部を1人でこなす選手も少なくない。

ポジションごとの役割がそんな感じで曖昧になっている昨今なので、「ポジション」という概念そのものも当然曖昧なものになりつつある。

例えばGSW。彼らのポジションを役割によって厳密に区別できるか?
できないし、試みる必要もない。
コート上の5人がそれぞれ何のポジションかなんて、もはやどうでもよくなっているのが現状だ。

今回僕が語るのは、ポジションなる概念が死滅しつつある世界における、たった1つの例外について。

センターだ。

他の4人はどうあれ、常に誰か1人はセンターというポジションとしてコートに立つ必要があると思っている。

身体を張る。ポジションを取る。スクリーンをかける。ロールする。ダイブする。接触を受けながらも、決める。
リバウンドに飛び込む。ボックスアウトをする。リバウンドを弾く。取る。取ったボールは下げない。素早く正確なアウトレットパスを捌く。
リムを守る。指示を出す。ディフェンスのアンカーとなる。

一言に纏めよう。

「ペイントで闘う」
それがセンターの役割であり、勝利の鍵だ。
勝つためには誰かがこの「鍵当番」の役割を担う必要がある。

鍵を預かることができる選手は減ったと思う。

鍵を預かる、即ちセンターとしてインサイドで闘い続けることは容易なことではない。
ペイント内で体をぶつけ続けることは、外のプレーヤーが想像する以上にタフな仕事だ。

現代バスケは多くの選手をその「タフな仕事」から逃がしてしまった。「フロアスペーシング」という免罪符を与えて。

現代バスケはフロアを広く使うことを重要視する。
そのためにしばしば4番や5番の選手も3Pラインの外まで出てきてボールを繋ぎ、スリーを打ちさえする。
それ自体は立派な戦略で、事実多くのチームがそれによって成功している。

だが、一度外のプレーを覚えたセンターは、ペイント内でセンターとしての職務を果たすことを、意識的あるいは無意識的に避けるようになってしまう。

接触を受けるよりも受けない方が楽に決まっている。
ロールよりポップの方が、ダンクよりスリーの方が、リバウンドよりセーフティの方が、楽に決まってる。

そうして選手は、体を犠牲にすることを忘れる。



人類のルーツは海にあるが、人類はもう海に戻れない。

陸上での生命活動を選び、陸上に適応できるように進化を遂げたからである。

時折海に潜ることはあっても、海に棲み、海に生きることはもうできないのだ。



「海」=「ペイント」のアナロジーに成る程と思ってくれた読者がいたら申し訳ないが、実は両者の間には重大な違いがある。

全ての選手はペイントで闘うようには生まれていない。むしろそれは、指導によって後天的に身につく性質だ。

選手がペイントで闘うためには、選手をペイントの海に投げ込み、浮いてこようものなら沈め……なんかとてもバイオレンスな表現になってしまったが、とにかく海中に留める第三者の指導が不可欠なのである。

最高のセンターは最高の指導者抜きには生まれない。そのようにして選手はペイントで闘えるようになり、センターとして育ち、センターで有り続けられるのだから。



もしもあなたが、ペイントの海から逃げようとしているチームメイトを見かけたら。あるいは、あなたの息子が陸地の旨みを覚え始めていたら。

そっと彼らを海辺まで連れて行って、「頑張れ」の言葉と共に、優しく突き飛ばしてあげてほしいのである。

それが僕からの、ペイントで生きられなくなった者からの、心からの願いだ。