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日本書紀と異なるもう一つの王朝史(蘇我氏系天皇記)

日本古代史書研究(関根淳著)を読んで:
先日、税込み1万円超という価格の高さで買うかどうか躊躇っていた本書だが、結局ポチることになり、さっそく届いて読み始めたら一気に読み通した。
そもそも本書に興味をもったきっかけは、朝日新聞の書評にあり、そこでは大体以下のようなことが書かれていた。
日本の最初の歴史書として有名な日本書紀の以前に、往時の王朝が編纂した歴史書があり、それは蘇我氏系歴史書であるというようなことである。
 
蘇我氏といえば、乙巳の変で中大兄皇子(後の天智天皇)に滅ぼされた、かって大臣(おほまえつきみ)を独占した蘇我一族である。その一族がかかわった歴史書となれば、今我々が目にしている日本書紀らとは違っていて、おそらく別の王朝史が書かれているのでは?というようなことが想起される。そう思うと居てもたってもいられなくなったのである。
 
さてここではその内容に関して多少紹介しようと思う。
一般に、プロの書評家以外が書評をブログやSNSなどで取り上げる場合、①ポジティブな評価をなす、②ネタバレや結論には基本ふれない、③本書を読みたくなるように書く、というのが不文律のひとつだろう。これは書評に限らず、劇評でも映画評でも同じである。ポジティブに書けないものは取り上げないというものだろう。政治家に関しては別であるが。
ここでもその律に従うが、やや内容に踏み込んで紹介をしようと思う。それは本書が高額すぎ、そのことがかえって余計な期待や詮索を生む可能性があるし、当たり前だが図書館で入手ができない(私の近隣のふたつの区の図書館では無理だった)状況下では本当に読みたい人に届けることも大事と思うからである。
 
さて、もし日本書紀の以前に日本に歴史書があったかどうかであるが、それは具体的に言えば、例えば以下のようなことがポイントとなろう。
1 本当に日本書紀以前に日本に歴史書があったのか?
2 あったとすれば、その内容(あるいは概要)はどんなものか?
3 具体的文章が一部でもいいので再現されるか?
 
今述べた3点に触れる前に、本書のテーマの背景事情として確認される古代史の最近の成果を確認しておこう。そこでは以下のように言われている。2点あげておこう。
・古代における政権のあり様。
5世紀以前の王朝は、大王(天皇)と奈良を本拠とした豪族の連合政権であり、大王を支える豪族は歴史の経過とともに変化している。これは近年、考古学分野の研究の成果で、従来古墳のような顕著な遺跡だけに着目していたが、都城(王家の邸宅や都市遺跡)の発見と研究によってその変遷が明らかにされつつある。ただし、これを万世一系との関係で、後援(パトロネージュ)する豪族が変わり、大王(天皇)は同一の系統にあると考えるか、大王の系譜自体が変遷したのか?そこまでは多くの考古学者は踏み込んではいない。というか考古学だけだは踏み込めないだろう。
・古代における天皇(大王)の系譜
大王の系譜という点で異例な出自から大王になった継体天皇であるが、この天皇は男系でみれば、元別れした応神天皇の5世孫であるが、女系でみると、つまり后には先の王朝の系譜である仁賢天皇の娘を選んでいて(先の王朝の娘を后とするのは、安閑天皇、宣化天皇と3代続く)、連綿としたつながりがあることになる(このことは古代における王朝系譜問題を考える際に記憶すべき材料である)
ということはすでに通説となりつつあることで、このような大きな枠で歴史的発見があるわけではない。もちろん本書でもその成果を前提に書き進めらていて、また内容はより深く踏み込んでいる部分も多いし、学ぶことは多くある。
 
そもそも古代史の研究書ではなく、古代史書の研究書であるから当然だが、一般に地味に思われる古代史書研究がいかに内容が豊富でインパクトある研究をしているか?そのことが明らかにするところが、本書が新聞書評にも上る要因であろうし、本書はその点で大きな成功を収めている。
 
さきにあげたに日本書紀以前に日本に歴史書があったか?に纏わる3点である。
1 本当に日本書紀以前に日本に歴史書があったのか?
これはあったのである。この点は本書を俟つまでもなく、古くから指摘されてきたことで日本書記や現在に伝わる古書に多く記されている。帝紀、旧辞などの書物で日本書紀が編纂された7世紀以前から大王や貴族(豪族)に伝えられた古書の類である。また、天皇記や国記という書物を編纂されたことは日本書記に書かれている。しかし、これらの歴史書は紛失していて、史実にのみ残されているだけで内容は不明とされてきた。ここからが本書が明らかにしていく領域である。

2 あったとすれば、その内容(あるいは概要)はどんなものか?
先に上げた天皇記、これは日本書記以前に編纂された、具体的に名前の残る唯一の歴史書で日本書紀にその名が出てくるが、そこには推古朝時代に、蘇我馬子と聖徳太子が編纂に関わったという記事がある。そこからスタートして、各種の古代史書や当時の政治状況、国際環境などの史実も視野に入れて、日本書記以前の歴史書である天皇記の内容を推察し、実証していく。ここからが本書の醍醐味である。本書では、天皇記は、神代から推古朝までを扱った歴史書であり、全三巻というのが結論である。編纂は当時の推古朝と蘇我氏の合作としている。
3 具体的文章が一部でもいいので再現されるか?
天皇記をはじめ多くの帝紀は紛失して現代には残っていないが、おそらく天皇記や帝紀から収録したであろう内容を現存の歴史書の中で渉猟し、そして、ついにその候補を明らかにする。紛失したであろう天皇記、帝紀の一文が読めるのである。そしてそれは蘇我系の帝紀(つまり逸失した天皇記の一文)だった。
 
本書は学会発表や論文上梓などで一線で活躍している研究者の名著である。内容は極めて実証的で、古文書探索に終わらない、考古学や中国、朝鮮の研究を踏まえた、視野の広い研究書だ。同時に、失われた古代史書を数々の事実から組み立て、再現する様は、一級の推理小説をこえた、高揚と驚きがある。
また稲荷山鉄剣の銘文を帝紀、旧辞の関係で読み解く辺りは、刮目する論稿である。

そして、結論までを読み終えた私は、やはり昨今の天皇の系譜、王家の在り方や今後、さらには移民や日本人をめぐる論争、日本のアイデンティティをめぐる論争に、一石を投じる内容であることに大きな衝撃を得ている。優れて現代を考えさせる本である。
 

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