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哲学者と哲学研究者

過去の哲学者にとても詳しい人がいる。
これ見よ、とばかりに先人の言葉を借りてぼくに攻め入ってくる。

たしかに、過去の哲学に詳しくあることは有用だ。
しかしそれは、自分の哲学を肉付けする限りにおいてである。
偉人の名言を振りかざし、「わたしはこんなにも哲学に詳しいのだ!思い知ったか!」という態度を取る人物を哲学者と呼んでよいものか。

過去のことを事細かに学び、それに解釈を加えるのは歴史である。
しかし、哲学は歴史ではない。
哲学とは、自分の結論を用意することである。
過去についての知識が豊富なことと哲学とは無関係だ。

もちろん、哲学が歴史より優れている、というわけではない。
当然その逆も違う。
両者は比較すべきものではないのだ。

過去の哲学に詳しいだけの者は哲学者とは違う。
この者は哲学研究者だ。

過去の哲学を参照することは大いに結構。
重要なことは、そこから自分の結論へと到達することなのだから。

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過去の名著を読んだ量が少ないからといって恐縮せずともよい。
「○○を読んでいないなんて、哲学者失格だ!」という批判には聞く耳を持つ必要なし。
その批判は哲学を誤解している。
哲学者と哲学研究とは異なるのだ。
哲学とは、虎の威を借る狐になることではなかろう。

知識だけで判断するとは、哲学者失格である。
知識だけを振りかざしてくる者には、ソクラテスの鉄槌をお見舞いして差し上げようではないか。

哲学者は自分の結論を導く強さを持っている。
哲学者は自分の結論を信じる情熱を持っている。
自分の思考で勝負をするのだ。
哲学者は安易に偉人の言葉を借り、虚勢を張ることはしない。

哲学者よ、強くあれ!

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