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たかが人生なんかのために

最後にnoteを更新したのは2年前。
今日28歳になった私は(爆誕おめでとう⭐️)夜職にも戻ったし役職を貰っていた昼職は辞めてしまったし演劇は相変わらず続けている。ODはやめたけれど自傷癖は相変わらずでそれでも頻度は減ったしお酒の量も減った。偉い〜〜(えらい)

流行病前にお酒を辞めなければいけない病気が全快(自己判断)したので業種を変えた。可愛い服が着たかったしノルマに追われるのが疲れてしまった。新しい場所での出会いは新鮮だった。けれど、男性オーナーに雑に抱かれたりホストに依存して体も心も切り売りする可愛い女の子達を自分の手でせめて守れたらと思って自分でお店を出したりもした。

依存的に心を麻痺させて生きていく女の子達には幸せは辛く努力は無駄に感じさせてしまうばかりの2年間だったように思う。私自身がまだまだ未熟で抱えられる容量もないのに差し出がましく手を伸ばしてしまってごめんねと後悔ばかり。そして、異性からでしか満たせない少女達の何かを私には埋めてあげることの出来ないまま、恨み辛みで刺されることも多かった。

私が起因でないにしろ、死に向かう女の子たちを何度も見送った。ネットの海にはまだ当時の写真や彼女達の心の吐露が残っているのにもう彼女たちの言葉が更新されるのとは二度とない。毎日死にたいと嘆いていた女の子たちがいなくなってしまった時不謹慎だけれどもうその命で心で抱えきれないくらいに傷ついたのだから、救われていればいいなと悲しみを飲み込む作業をしたりもした。この世の事はこの世でかたがつく、けれど全てを受け止めるにはあまりに世界が辛いみたいなこともあるよね。きっと。

そして私はずっとこんな人生早く終わってしまえと思いながら何処か図太くて、なんだか生きながらえてしまっている。一緒に終わらせてしまおうねと約束していた人達は先にきちんと終わらせているのに。嘘つきでごめんね。別に私より大切な人たちや出来事の方が多くあったのは知っているし常にどこかでお酒を飲んでいた私は捕まえやすくて、寂しい夜を紛らすために一緒にお酒を飲んだだけかもしれないけれど、私なりに愛していたよ。

絶望してばかりいたけれどこの2年で私を愛してくれる人たちも増えたしずっと愛してくれている人もいてしまって、なんだか砂を飲みながら泥を吐いてその泥をかき集めてまた飲み込んでいる。

私の世界はとてつもない憎悪と嫌悪とそれでもやめられないくらいに人が好きで尊む偽善的な思いで成り立っているね。世界のことがとても嫌いでとても好き。暴力的でごめんね。それでも角を優しく削ってくれて乱暴に信じてくれてありがとう。

私は何者にもなれないけれどそれでも私の手の届く範囲で勝手に好きな人や物を好きで居続けるね。今年のお誕生日おめでとうのメッセージは生まれてきてくれてありがとうとか生きててくれてありがとうって言葉がとても多くて、生かしてくれてありがとうと思っている。

過去の点と点が繋がって現在になる実感を再会から得たりして、なんやかんや、生きてます。

たかが人生なんかのために泣いたり笑ったり数奇ではありますが、28歳も少しでも美しく汚れず傷つけず、一方的に愛しながら鼓動が止まる瞬間まで余生を楽しませてください。

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