見出し画像

空や海月や氷とさよちどり雲より波にこえ迷ふなり

いつもより高い所から見知った街を見下ろしてみた。向かいに見えるオフィスビルからはせわしなく働く人が、少し目をおとすと商店街を歩く人々が見えた。

私は一体どこにいるのだろうと見下げた浮遊感に吐き気を覚えた。正しく日差しはさしていて、足場のない自分が浮き彫りになったようで無性に泣きたくなってしまった。

それぞれの場所での自分。取り巻く環境や人間関係の差異が激しいが故の息苦しさを感じる。求められる自分でいたいと思う反面、私という存在のありのままの濃度が薄くなっていくような感覚に囚われる。

枝を広げれば広げるほど実った果実を啄むように羽を休める小鳥たちが集まる。啄んでおきながら果実を足蹴にするような鳥たちの飛び立つための小休憩の場になることにも慣れてしまった。

いつからだろう。かけられる好意を素直に受け止められなくなったのは。言葉の力を信じているはずなのに言葉を発する人間の内側に懐疑心を覚えるようになったのは。

汚されたくない。汚れたくない。汚したくない。だから今日もドレスコードを守るように向かう先に則ったペルソナを被るのだ。

表層にあった様々な問題を自分なりに時に養親に手伝ってもらいながら整理して見つめ直した。今まで目を向けることも出来なかった深層が見えたとき畏怖を覚えた。

剥き出しにするには脆すぎて。けれども純粋な欲求に気がついて、なんだか怖くなってしまった。二極化された己の乖離を以前から指摘されまた自覚していたのだが、どう扱っていいのか分からず言語化の出来ないままでいる。砂利を飲んでいるようなそんな感覚に鳥肌がたつ。

価値をつけてくださる人がいる。今まで生きてきてこんなにたくさんの人から内面についての評価を直接的にいただいたことがないという程の言葉をかけていただけるようになった。ありがたいことだ。

清廉潔白に歩みを進めてきたわけではない。私と時が重なった人全員に対して100%の善人でいられたわけではない。見ざる、聞かざる、言わざる。私は誰かの人生に記憶に大きな爪痕を残したくない。誰も傷つけてしまいたくない。立ち居振る舞いが粗雑になってしまっていないか、いつだって、怖いのだ。

誰かの傷になることが。ただ純粋に側にいたいと願う時、その純粋なだけの願いをぞんざいに扱われてきた。

ペルソナを被っていないと、もう息すら苦しい。胸の内に秘める不可侵領域に向き合った今、これまでにないくらい素敵な人たちが周りにいるのに途端に誰も知らない、自分すらも目を向ける余裕のないままに足蹴にしてしまっていた己の姿に狼狽する。

素直な気持ちを話すこと、誰かを頼ること等々、文字にすると本当にちっぽけな、裏垢に誰かが一度は書いたことがあるようなこと、そんなこと。

そんなことくらいで歩みを止めていられなかった。私を取り巻く人が環境が全てが激動していて飲み込まれないように必死だった。大切にしたい心は絶対に売らないように、けれども相手に都合のいいように扱えるよう切り売りだけして保ってきた体裁。

きっと少し疲れてしまったのだと思う。すり減ったヒールに目を落とした時まだ履き慣らす前から闊歩していた足が血に塗れていることに気がついてしまったのだ。

それでも、ヒールを履いてドレスを纏いペルソナを被り価値のある自分で誰かと関わっていたい。素足で寄り添っては怖くなって連絡すら躊躇い関係を断絶してしまうような確かめ方をもう、したくない。けれども脱ぎ切ることはできない。

そんな事を露知らずの誰かが、察知した誰かが、私の背中を支え頭を撫でてくれるから今日も背筋を伸ばして歩くことができるのだ。

言語化しないと、吐き出さないと苦しかったので無理やり文章に起こしてみた。書きながら適切な言葉が見つからずに頭を抱えたのは初めてのことだ。きっとこの先まだたくさん学びがあるのだろう。後ろめたいことのないよう、なるべく綺麗なまま時間が過ごせることを願う。

己の義理堅く人情味に溢れると評価される性分だけは絶対に曲げないようにしようと思う。大切な人の大切な何かを大切にできるだけで万々歳だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?