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笑止

「俺はそこらへんの客とは違うから嫌だと思うことは絶対しないよ」

と言いながら長年ご来店いただいていたお客様が盗撮をした。長年自分を晒すような場所で働いているとどの角度で携帯を向けられどのような空気感の人間が盗撮をしているか分かるようになる。撮られるような格好をしていたから悪いんだ。見られるような仕事だから覚悟しろ。と上司にも第三者にも言われたことがある、のでそんなことは今更喚くつもりは一切ない。

 「ごめんね。してないのわかってるんだけど携帯を向けられたら一旦画像フォルダ見せてもらう約束なの。上司に報告したくないから確認だけしてもいい?」

今までの私なら撮られていることを確信していても、絶対に口にしなかった。そういうこと込み込みでこの仕事をしているのだ「消費されるべき仕事なのだ」と半ば諦め死んでいた部分を折りたくないと思った。なぜなら私は今日で24歳になったから₍ ᐢ. ̫ .ᐢ ₎🌟NEW34ちゃんだから。

言わなければお客様のプライドは守れる。お客様はそんな事実を無かったことにできてしまえる。

そうやって角を立てずこれからも関係を続けていける。私はの方もなんとなく続けてあげている気になってしまう。でも、それってとても不誠実なのではないか?怠慢では?今までがずっとそうだったから、そういう仕事をしているから「余程の」事がない限り別に写真くらいいいや〜。と考える自分にふと疑問が湧いて出た。そして気持ちに答えがついた。そんな関係本当は嫌だと。

(誠実さに欠いているのでは?実は逆にとっても失礼なことをしているのでは?)

そうやってモヤモヤして募ったものが重くのしかり自分の何かが安くなるような気がして、大切な何かを踏みにじってしまったような気がして関係が嘘になったみたいな気がして、悔しくて悲しくて泣いた夜を思い出した。言わなければ相手が嫌な気持ちにならなくて済む。でも言わなければまたあんな夜を過ごさなければならないかもしれない。でも、でも。とうじうじしながら。でも言わなければ何も変わらない。そもそも盗撮は悪い事なのだ。罪の意識を植え付けたいわけではないが、悪事を働いたあなたのせいでこびりついた汚れた気持ちで誰かを恨みたくない。言ってしまえ。と誕生日パワーが働いた。

そしてここからが本題だ。

「ごめんな、撮ってしまってた。裏切ってしまった。俺のこときらいになったよな。もう店には来ません!」とお客様が投げやりに言ったのだ。もう、本当にーーーーー!!!!!言葉にならない思いとともに強烈なフラッシュバック。

昨晩私のとても仲のいい友達が「誕生日の前の日なのにごめんね、彼氏が浮気してるかも」と泣きじゃくりながら連絡をしてきた。私は彼女にめっぽう甘い。何度か図々しいと思いながら彼女の時々の交際相手との話し合いに口を出してしまっている。

「そんなに何回も図星ついてダサイって繰り返さなくてもわかってるから!俺が悪いのわかってるから!もうしんよ!!」

内容はざっくり割愛するが、私が問題点を伝えると彼女の交際相手も今日のお客様とおんなじように投げやりに言葉を吐き捨てた。イライラしているとの感情も吐露していた。聞いてねぇよ。聞くけど。

お客様なら店に来る来ないの話はそもそもしていない。問題は隠れて写真を撮ったことを隠したことだ。彼女の交際相手なら浮気の証拠を押さえられたこと、やましい秘事があったことが問題なのであってこれからするかしないかはそもそも論点ではないのだ。

笑止。

何が問題か、小学生でもきっと分かるように伝えているのになぜ問題から論点をずらし極論に持ち込むのか。全く理解ができない。そして彼らは決まって自分が痛いところを突かれたことで一番傷ついたみたいな顔をして言葉を吐くのだ。時に攻撃的に。は?

本来なら嫌な確信になんて迫りたくない。少なくとも好意があった彼女は間違いなくそうだっただろう。そしてその彼女に代わり確信を突き詰めていく作業をする私もまた彼女の苦しみが伝染してちょっと痛かった。もう慣れてしまったが。(彼女が読んだときに勘違いされたくないので補足だが誰かの代わりに矢面に立たされること、一人で背負い込むくらいならとしゃしゃり出てしまう性質なので多少の傷は受けて然るべきだと思っている。病みはしないので安心してクレオパトラ)

そもそも私は血の気の多い女なので、ぶっ飛んだことをベラベラと吐き散らかす彼らの無様に苛立ちの方が勝ってしまっていた。呆れてすらいた。そして現状もずっとだ。

なぜ今問題となっている自分の行動から目を背けていられるのか。まず問題に対して向き合って嘘でもいいから一度謝ることすらできないのか。なんて小さな人間なんだろう。なぜ自分の話しかしないんだろうこの人たちは。そうやって遠くの方からこの馬鹿馬鹿しいなんの結果も生み出さない小競り合いをじっと見つめる私がいた。

23年間を怒涛に駆け抜けてきて少し大人になった私はきちんと心と頭で理解したことがある。器のデカさとかそんなふんわりしたものでなくて、知性と感性にはレベル差があるのだと。個性ではない、明確にレベルの上下差が存在する。軽蔑でも侮蔑でもない。人間性としてたしかに個々にただ存在するのだ。最近流行の異世界もののようにステータスが数値として表示されるわけではない。だからこそ見せかけの言葉や体で誤魔化している人間が上手いこと生きていたりする。一定数。ややこしい世の中だこと。

問題から目を背け自分のお城に篭りきりのくせに外に出る時だけ張りぼて姿で闊歩して我が振り返ることのできない人間に「私は」なりたくない。間違うことはあっても我が振り返りながら反省しながら状態異常を正しながらきちんと過ごしたい。中身を詰め込みたいのだ。ちゃんと見つめながら生きてたい。実感しながら生きていくのはしんどいけれど誰かを小狡く化かすくらいなら自分を刺している方がマシじゃない?刺されてる方がいいじゃない。そんなに守る価値ある?己に。

自分が一番大事でもいい。もちろん大前提だしそれは正常な感覚だ。だけど自分が大切にしないといけないものを切り売り簡単にできてしまうのはなぜ?そんなにプライドが高そうなのにそんなに簡単にプライドを捨ててしまうの?だから、お前つまらんのやないの?誰かを傷つけてまで守らなければならない己なんて存在するの?おえげろ理論。

そして、暴論を喚き散らかして自分を守るために何が問題かすら見つめ直せない、指摘されたときに飲み込めない人間とはそもそも合わないのだと気がついた。成長。レベルアップ♡それに加えて私自身も人から指導があった際には一度綺麗に全部飲み込もうと改めて思った。自戒しながら生きてないと私もまた彼らと同じように誰かにこんな悲しい思いをさせてしまうかもしれないからだ。

正しく傷つけない人間に人の傷を語る資格はないと思います。また正しく傷つけない人間なのに自分の傷をひけらかすことはとっても見ていられない。深傷を負う前に気付ける人との出会いや出来事と巡りあえるといいですね。ま。知らんけど。私、誰かにこんな思いさせてないかな。大丈夫かな。素直な気持ちで温かい気持ちだけで一緒にいられる人と一緒にいなさいと教えてもらった言葉を思い返す。

襟元正し、常に謙虚さを失わないこと。そして自律しようと思った。当たり前のことなんて何もないのだから大切にしていく。濁流の中から少しでも岸辺に近づけるようにしたい。ね。とっても悲しくなってしまっているそんな気分で書き連ねました。24歳もよろしく、世界。

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