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外観は「デザイン」じゃなくて「スタイル」

前回、私が研究テーマとして「デザイン」に着目した理由について、その背景を書いた。今回はデザインという語義と、現代のデザイン概念が形成されてきた経緯について、整理してみたい。

デザインというのは誰でも知っている言葉であるが、おそらく使う人によって解釈が異なっている。行政の施策でも、色や形のデザインを戦略的に利用しようとしていた時期から、デザイン力そのものを海外に発信しようとする時期を経て、「デザイン経営」が宣言されていたり、現在では高度デザイン人材の重要性を説いていたりする。
デザインという言葉の意味が時代背景や、使われる文脈によって変化していることは見て取れるが、さて「ほんとうの」デザインについて理解されたうえで、活用されているのか。少なくとも非デザイナーである私には理解しきれていない。行政の報告書やガイドを読んでも、わかったような気になって終わっているのが本当のところだ。

研究領域をここに置こうと決めてから3ヶ月、この間いろいろ文献や先行研究をあたってきた。一旦ここで、棚卸しの意味でも情報を整理していきたいと思う。
今回はデザインという語義と、現代のデザイン概念が形成されてきた経緯については各分野での議論の中で、工学、経営学、服飾・美術学の分野からまとめた。
(今後の論文のたたき台としたい意図がありますが、原著まで確認できていない部分もまだまだあります。この辺りは随時読み進めていく予定です。はぁ、たくさんある…)

「デザイン」の語義に関する議論

青木(2014)によると、デザインの語源はラテン語のde+signareまで遡り、区分する、印をつける、という意味がある。わざわざ区分し、印をつけるには何らかの意図、つまり「企み」が感じられ、デザインの企画や構想といった意味が発生したことも語源から知ることができる。16世紀になると、「絵画や彫刻の下図、建物や機器の設計」という意味で用いられるようになる。これは、近代社会が展開されつつある段階で、ものごとの実現に至るプロセスが明確になったことで、言葉が進化してきたものと考えられる。ただし、この段階では画家のデッサンも、エンジニアが設計図を書くこともdesignだったという。

蘆田(2016)は、デザイン史家のエイドリアン・フォーティーと、デザイナーのヴィクター・パパネック、美術家のブルーノ・ムナーリのデザイン感から、デザインという語の用法について考察している。
フォーティーは、デザインという言葉に「外観」と「仕様の準備=製品をどのようなものにするか考え、企画・設計すること」のふたつの意味を持つことを認めたうえで、「外観」は「仕様の準備」の結果として生まれたものとしている。
パパネックは、「計画的な人間の行為全て」をデザインだとし、机の引き出しを整理することも、アップルパイを焼くこともデザインだと言う。同様にムナーリは、デザインは「企画」と同じ行為だとする。
そのうえで、デザインの語源とされるイタリア語のdisegnoに関する美術史家の若桑みどりの「ディセーニョとは、今日さまざまに分化しているいくつもの造形上の用語−デザイン、意匠、設計、デッサン、ときには具体的な形をとらないヴィジョン一般−をすべて含んでいたということができる」との説から、デザインとはパパネックの説よりも広範な意味を持つ概念であったとする。
しかしながら、現代においてものの外観を示す「意匠」と言う言葉について、明治期までは「構想」を意味する言葉として用いられていたとするデザイン史家の樋口孝之の指摘を紹介、「意匠」が英語のdesignの訳語として使われていたことに鑑みれば、デザインはものの外観をあらわす言葉ではなく、パパネックやムナーリの用法が本来的なものであるとする。

モダンデザインの確立まで

産業革命の時代には、多くの人に受け入れられる大量生産とその製品の市場を拡大必要性の高まりに対し、工業デザインという言葉が当てはめられるようになる。クリッペンドルフ(2006)は、「デザイナーは大量生産の必要性に従属し、工業の影の下で生きるようになった」と言う。この間については青木(2014)、八重樫(2010)に詳しい。

産業革命後の社会では、著しく進展した技術を背景に大量に生産されるものを不特定多数に販売することに成功する。不特定多数の消費者に購買によって享受できる生活をイメージできるように、製品に形を与えることが求められていく。それらの機械化による量産生産品を醜いと捉え、警鐘を鳴らしたのがウィリアム・モリスである。モリスは、醜悪な製品に囲まれていることによる一般の人々の生活環境の悪化を問題視し、中世のギルド社会を理想として「美を以て生活を改善していこう」とするアーツ・アンド・クラフツ運動を展開する。当時は、時代に逆行するものとして批判もあったが、今日では日常生活において美的価値を根付かせようとした側面に対する評価がされている。
アーツ・アンド・クラフツ運動は、フランスにおけるアール・ヌーヴォーなど、各国や地域で生活のための芸術という志向を重視した運動として展開されていく。ドイツにおいては、1919年、ワイマールにヴァルター・グロビウスによって造形教育機関であるバウハウスが設立され、「審美的な視点から、機械で生産されるものに新しい形を与えることで、労働者階級の生活文化を作る」運動として発展、今日的なモダンデザインのイデオロギーとデザイナーの社会的使命が確立されたとする。

バウハウスの活動は1933年の閉校まで14年間という短い期間存続したが、その中でも理念や具体的活動の変遷が見られる。とくに初期の予備課程を担当したヨハネス・イッテンは、芸術至上主義、神秘主義的な傾向が強く、個人単独に対する芸術教育を志向した。この際実践された、色相などの色彩論、テクスチャー研究などの造形研究は、のちの日本をはじめとした各国の造形教育に大きな影響を与えている。
その後、創始者のグロビウスが、「芸術と工業技術-新しい統一」を掲げ、芸術と工業技術を生活様式の結合という点で統一していくとの見解を示したことで、イッテンはバウハウスを去ることになる。この見解により、手工芸から離れた工業的大量生産のための技術教育が明確化され、デザインは芸術と近代機械産業を結合させるものと捉えられることとなる。

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インダストリアルデザインの誕生

モリスやバウハウスの思想は、社会が急速に発展、変質をしていく中で、「あるべき姿」を模索していた時代において、目指すべき社会イメージを描き、新しく登場してきた科学技術に形を与えることによって理想を実現するという、一部知識人によるものという見方もできる。それに対し、デザインが成し遂げてきた成果は、提供する側だけではなく、使用していく側からも含めて自然発生的に現れたと考えることも可能である。

1908年、ヘンリーフォードは「T型フォード」を開発、一つのモデルに絞り、部品の標準化、流れ作業などの効率化の追及など、大量生産のメリットを最大限に生かした大衆車を世に送り出すことにより大成功を収める。一方、GMのアルフレッド・スローンは「他人とは違う自動車が欲しい」という消費者の欲求に対し柔軟に対応、多様な車種を取り揃えるという戦略を打ち出す。1927年には「アート・アンド・カラー部門」を発足させ、スタイリングを重視するとともに、毎年イヤーモデルを発売することで消費者の需要を喚起した。
これは自動車に、移動手段としての使用価値に加え、記号的な意味合いを統合したことになる。加えて、今あるものを翌年には古いものとして新しいものへの購買を促す、計画的陳腐化がデザインに利用されるようになったことを示している。
これは、機能面は変わらずに、表面のスタイルだけを変え、それまでのスタイルを意図的に古いものへと追いやるものであり、消費者の需要を喚起しようとするものであり、販売促進のために外観を整えていくこととなる。八重樫(2010)は、ここで物質的な側面と記号的側面が分離され、インダストリアルデザインは記号的側面を担うものとして確立したとする。

一方で、工業的に大量に生産されるものを使いやすく、役に立つ商品へと導き、製造者や提供者と使用者の利益を一致させる方法論として、インダストリアルデザイナーという職能が確立したとの見方もある。
ヘンリー・ドレフュスは、電話会社ベルの依頼を受け、代表作ともなる「ベル5500型」を開発している。彼は「インダストリアルデザインのための基準」として①効用と安全性、②維持、③コスト、④セールスアピール、⑤外観、を挙げている。ここでは外観はいちばん最後にくるものとされており、製造者や提供者と使用者それぞれに有用性や利益などの便益をもたらすことが先としている。
青木(2014)は、外観のみを変えることがインダストリアルデザインに求められているのではなく、製品やシステムの機能を最大限に生かした設計を創造することが求められる、とするIDSA(The Industrial Designiners Society of America)の定義を紹介している。

近代社会におけるデザイン概念

上記の経緯を踏まえ、八重樫(2010)は、「デザインはカタチを伴う製品としてのものであり、美術系の大学でのデザインとは形と機能を持つ狭い領域」と一部の経営学で前提とされていることへに考察を、現代社会のデザイン概念を3点に整理したうえで行なっている。

① 大衆の日常生活環境に向けて美的価値を根付かせようとする視点を持つ(モリスの視点)
② 芸術と近代機械産業との結合として捉える(バウハウスの視点)
③ 機械と大衆を結びつける視点に市場経済原理が強く関わり、物質的な側面と記号的側面が分離され、主にその記号的操作を行う行為として捉える(インダストリアルデザイン)

特にインダストリアルデザインにおいて、経営とデザインの関係が見出され、デザインとスタイリングを同一視する見方が経営において浸透し、「カタチを伴う製品としてのデザイン」という認識が行われるようになったとする。また、ここではモリスの思想や、語源からデザインを人間的行為としたパパネックの解釈は検討されていないことを指摘し、このことがデザイン側から経営層、消費者に対する説明不足であることの一つとする。

青木(2014)は、日本のデザイナーは「思想レベルでは社会主義、その実践はまごうことなき資本主義的方法」とし、存在論的矛盾を指摘する。その要因として、日本のデザインを導いた先駆者たちが、インダストリアルデザイナーの系譜によるものではなく、バウハウスの思想に基づく知識階級であったことを挙げ、物質的な豊かさとそれを導くものとしてのデザインに距離を置いたとしている。このことが、経営がわかるデザイナーが少なく、企業経営者との間に断絶を生み、デザインに対する理解がなされていない要因とする。

まとめ

今回は、デザインの語義と、現代のデザイン概念の形成過程について考察した。
デザインの語源からはデザインとは外観を指すことではなく、人間の計画的な行為すべてと解釈することができる。
「カタチを伴う製品としてのデザイン」という概念については、製品の記号的操作を行う行為として捉えるインダストリアルデザインの考え方から、デザインとスタイリングを同一視する見方が経営において浸透したことと、デザイナー側の不作為がその概念をもたらした要因とし、本来のデザインはカタチを伴う製品としてのものだけではない、ことが明らかにされている。

デザイナーとしての教育を受けた人には当たり前のことかもしれないが、だいぶ時間をかけて、このように整理した。私自身も、「カタチを伴う製品としてのデザイン」という概念から思考をスタートさせてしまう人間であるが、これからは少なくとも製品の外観はデザインではなくて、スタイルと言った方が「ただしい」のかな?

Wikipediaを簡単に参照すれば「審美性を根源にもつ計画的行為の全般を指すものである。意匠。設計。創意工夫。英語のdesignには本項の意味より幅広く、日本語ではデザインと呼ばない設計全般を含む。日本語のデザインに相当する英語での用語はstyleである。」となり、ここでも語義と実態としての用法が混在していることも見て取れる。
デザインという誰でも知っている言葉であるからこそ、使う人によって解釈が異なっている多義性に注意する必要がある。次回以降、経営学におけるデザインの扱われ方、政策におけるデザインの扱われ方についてまとめてみたいと思う。

【参考文献】
青木史郎『インダストリアルデザイン講義』,2014,東京大学出版会
蘆田裕史「言葉と衣服Ⅰ」『新潮』、113(6),2016,pp228-246
ヴィクター・パパネック(阿部公正訳)『生きのびるためのデザイン』,1974,晶文社
エイドリアン・フォーティ(高島平吾訳)「欲望のオブジェ:デザインと社会1750年以後」2010,鹿島出版会
クラウス・クリッペンドルフ(小林昭世他訳)『意味論的回転−デザインの新しい基礎理論』,2009,エスアイビー・アクセス
ブルーノ・ムナーリ(萱野有美訳)『モノからモノが生まれる』,2007,みすず書房
八重樫文「経営分野におけるデザイン概念に関する考察」『立命館経済学』,48(6),2010,pp43-62
若桑みどり「ディセーニョの系譜−ルネサンスからバロックまで」『季刊みづゑ』,923,1982,p44


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