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Never Again(二度と繰り返さない)と伝え続ける




 10年以上前のことですが、アメリカ人の学生とこんな会話がありました。その学生は日本語を学び、日本を訪れたときに広島の原爆記念館を訪ねたそうです。そこで日本人が「こんなことをしたアメリカ人は絶対に許せない」と言っていたのを聞き、それに反感を覚えたと話しました。

 「アメリカがあのタイミングで原爆投下して、どれだけ破壊力があるかを世界中に知らしめられたことで、冷戦中の核兵器使用が防がれた。世界の滅亡を避けられたじゃないか。大体、日本は被害者なのか。ユダヤ人大虐殺をしたドイツと連盟を組んで、他のアジアの国にもひどいことをしたじゃないか。それでいて第二次世界大戦といったら原爆投下の被害ばかり語るのっておかしくない? そもそも戦争中っていろんな国がめちゃくちゃひどいことをしたわけだから、日本が、日本が、って核兵器についてばかり言うのはおかしいと思う」

 その場にいた日本人は私ひとりだったので、とても孤独な状況でしたが、私は勇気を出してこう発言しました。

 「日本が他国にした酷いことはもっと語られなければならない。戦時中、日本国政府が日本国民に発したメッセージの問題に対しても、もっと学ばなければいけないことはたくさんある。日本国政府が当時、国際政治の中でのよくない判断があったことも間違いない」

 さらに続けてこう言いました。

 「でも、それでも私は、日本から『Never Again(二度と繰り返さない)』というメッセージは発し続けなければならないと思う。

 誰かの責任だということは簡単だけど、それだけが注目されるべき問題ではない。核戦争や核兵器についての議論が『冷戦での使用を防ぐための投下』というような、『理論的には』と、実体験から隔離された机上の空論のように語られることは良くないことだと思う。実際、原爆投下後のヒロシマやナガサキでどれだけの人がどのように亡くなったのか……。 投下とともに熱波で瞬間的に消えてしまった命、爆風にとばされた人、ガラスのかけらが体中に刺さった人、皮膚がとけ落ちてしまった人、ひどい火傷で川に飛び込んで亡くなった人、白血病で血を吐きながら亡くなった人、親を亡くした子どもたち……。もっともっと様々な生き様がそこにあり、その人々のストーリーなしには核兵器は語られるべきではない。それがNever Againに繋がると思う」

日本に好意もってやってきている海外の方がたくさんいらっしゃいます。

いろんな場面で仲良くなれるチャンスもあります。
文化やアイデンティティの違いなども語り合うこともありますよね。

その方たちに
ノーモアー広島 ノーモアー長崎を
ちゃんと伝えられるようになりたいですね。

核戦争の愚かさや恐怖
その後の後遺症
人間だけでなく
その土地に自然にあらゆる生態系にまで
長く悪影響を与え続ける行為であることを
知ること。

ただの兵器ではない。
敵や味方の区別なく
地球自身を滅ぼす物を
競い合いながら作り
牽制しながら保持していることを
しっかり認識して

その上で私たちが何を学び
未来へ何を選びとるのかと
問い続けること

とても大切なことと想います。

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