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瞑想難民とその弊害についての考察

あるがまま、今の様子、(時間はなく)今だけ、とか、いろいろ言われている。

自分には分からないから、と、どんなものかアレコレと想像する。

ありがちなのが(?)、今この瞬間に意識を集中するとか、今に留まろうとするとか。

集中という行為には(今に)向かって行く、留まろうとする行為には(今に)置かれていく、という動き、距離ができる。

放っておく、も方便にすぎない(放っておくという動きがある)。

で、どうすればいいんだとなるんだけど、だから何もしない。

何もしなくても、いろんなものに勝手になる。

その時々の因果に応じて、相対的な関係性において、(今の在り様は)必ず一義的に定まる。

きっちり、かっちり、正にこの瞬間においては、それにしか(なれ)ない(一つの状態しか取り得ない)。

坐ったまま立てない。

お茶を飲んでいるとき、お茶以外の味はしない。

正に、今の状態、心身で感じているモノ、思ったモノ、以外は絶対に在り得ない

だから何もしていなくても、その状態がそのままで、あるがまま、今の様子、etc・・、にもう既になっている。

余計なことは何一つする必要はない。

誤った方法、理解の仕方で、何かになろう、何かをしよう、としてしまうと、思わぬ弊害が出てしまうことがある。

所謂、「禅病」、「離人症」、「無気力」、「虚無感」、「無関心」などなど。

瞑想難民について、だったけど課題出しだけで長くなったのでまた続きます。


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