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宗教やスピになぜ嵌り易いかの考察

ある情報が入っている限定された世界を「情報源」とすると、情報量(情報エントロピー)が大きいほど、その世界で得られる情報の価値は高い。

単純に2つの事象からのみなる情報源を考えた場合、ある事象の起こる確率が1/2(50%)のとき、情報量(情報エントロピー)は最大になる。

ある事象を「お金持ちになる」として、お金持ちになるか、ならないか、確率が50%の時、これから得られる情報の価値は最も高くなる。

※意中の異性が振り向いてくれるとか

例えば、宝くじを買って当たる確率が50%の時、「宝くじを”今日”買えば当たりが出る」という情報の価値は高い。

これが、「宝くじを”今日”買えば当たりが出る」と既に知っていた 場合 (確率100%) 、同じ情報(宝くじを”今日”買えば当たりが出るよ)が新たに得られたとしても、そんなことは知ってるよと思う(情報の価値は低い)。

先が見えてくるほど、新たに得られる情報の価値は下がる。今更どうしたって結果は変わらないし、人生を見切りはじめる。

情報エントロピーは低く、世界の新鮮味は失われ、面白みも減る。

大人になって、知識や経験が増え、残された時間が少なくなるほど、選択肢は限定され、未来の可能性も閉ざされて感じる。

人生の意味は0か1に近づき、周りは彩のない、つまらない世界に感じられる。

そうなると、自身の興味・関心を、別の情報源へ鞍替えしはじめ、その世界で生きるようになる。

自身の置かれている環境や能力、残された時間に応じた、居心地の良い世界に没入しはじめる(実現できるか、出来ないか、可能性が半々の世界が良い)。

世界を大きく出来た場合、生きがいや成長を感じ、新鮮味や可能性に溢れた、魅力のある世界に感じる。

身の丈に合うよう小さくせざるを得なかった場合でも、(新しい世界の)エントロピーが高ければそれなりに満足する。

何れにしても0か1の(相対的な)世界だから苦しみは生じる。思考は絶えず、新しい情報源(世界)へ興味・関心を切り替えているだけで、入れ子状態の構造は変わらない。

悟りを開く(1)、開かない(0)、の二択の世界は、自身が確かめるしかない、答えが出そうで、でない、手が届きそうで、届かない、エントロピーが絶妙に最大の世界と言えるかも。

そこに費やす「努力」や「時間」すらも否定されることがある(1に0にも近づけない)。宗教やスピリチュアルはある意味麻薬、最強の執着、嵌る人はとことん嵌る。

あるのか、ないのか。

世界の真相が「はっきり (100%)」 したらどうなるか ・・。

エントロピーは下がるのか。

それともそんな世界は超えている・・?

※可能性に満ちた子どもの世界のエントロピーは高い。


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