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#120 cultbooks collections - デューラーの素描

1994年刊、前川誠郎によるデューラーの素描を集めた画集です。

アルブレヒト・デューラーはダビンチなどと同時代の銅版画家であり、当時の習わしに則ってあえて旅に出るなど画家としての研鑽を重ねましたが若い頃から著名であったと言います。

デューラーの素描を購入したのは、アメリカの女流画家ベティ・エドワーズの著作のなかで、デューラーのスケッチを逆さまに描き写すトレーニングが紹介されていたことがきっかけでした。

ベティ・エドワーズは対象物を逆さまにデッサンすることで人間を対象物への思い込みから自由にするメソッドを開発しました。

エドワーズの本には他にもピカソの素描も引用されますが、僕はデューラーの刻み込むような素描の魅力から目を離せなくなりました。

絵が上手いとはどういうことか、芸術論は様々存在しますが、個人的には優れた画家とは対象を描写するとき自己の観念から自由に在れる、そしてまずそこから絵画を始められる才能と技量を言うのではないかと思います。

もとより私たち人間は観念を捨てて生活することはできません。道路は硬く、あの人は冷たい。あらゆる思い込みが私たちの世界を規定している、それが故に生活できる正の側面に頼って生きているのです。

ただこの観念の負の側面として、例えば一人の個人を評価するとき百人いれば百通りの表現が現れます。子供が車を直線と円だけで表現するのもこの作用の現れです。換言すれば私たちは生まれてから死ぬまで全く裸の世界を見ていないのだとも言えます。

それがために優れた画家の、特にその人の素描は私たちの世界に対する観念、思い込みの愚鈍さを抉り出します。

私たちが絵画に、そして素描に惹かれるサブコンシャスネスな理由がそこにあります。

と同時に鑑賞者は、その時間に長く止まり続けることの危うさも感じとります。そのような裸の視線を持って世界を過ごすというのは、柔らかな狂気に他ならないからです。

私たちは思い込みの中で生まれ、思い込みの中で朽ちていくことを受け入れています。そして時に優れた芸術家の視点に触れることで我に返るのです。

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