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ローマ人は「ハンニバルが来たぞ」といって子供をおどかしたか?

ハンニバルがローマ人にとってどれほど脅威だったかが語られるとき、次のような話をよく目にします。 「後々、ローマ人は言うことを聞かない子供を「ハンニバルが来たぞ」といっておどかしたという」 古いものから新しいものまで様々な文献において馴染みのある話であり、さらりと読み流してしまいそうになりますが、どうにも引っかかりを覚えて目を止めてしまいます。 はて、そういえば、古代史料でこの話が記されている箇所に思い当たる節がないな…と。 1 ハンニバル・アド・ポルタス 「ハンニ

    • 管矢と弓戦の話 〜ビザンツ帝国と中東〜

      1 十字軍と管矢1250年、ルイ9世の下で第7回十字軍に従軍したジャン・ド・ジョアンヴィルがエジプトのマンスーラの戦いで体験した逸話は、当時の弓矢の威力を語る際によく引き合いに出されます。 多数の矢を射かけられた彼は、偶然みつけたサラセン人のギャンベゾンを盾にしたこともあり、彼自身は5箇所、馬は15箇所の傷を負いながらも大事には至りませんでした。 その夜、彼と騎士たちは傷のせいでホーバーク(鎖帷子)を着ることができず、敵襲に備えて王に助けを求めざるをえなくなりました。

      • 中東における装甲弓騎兵を中心とした戦闘様式について 〜Eduard Alofsによる「イラン的伝統」モデルの紹介〜

        1 「イラン的伝統」モデルとは?中世における中東やビザンツ帝国の戦争術は、後期ローマ帝国やササン朝ペルシアなどの古代国家以来の伝統を引き継ぎ、連続した共通の土壌に立っていました。 とりわけ、中央アジアから進出してくる遊牧民と戦火を交えつつ発展した騎射を用いる装甲騎兵の伝統は、この時代の戦争様式を知るうえで重要な主題だと思います。 もちろん、時代や国・地域により実情がかなり異なるのは当然なのですが、その特徴をある程度イメージできるような概説書を探していたときに非常に興味深く

        • 雑感:古代の騎槍(コントゥス)をめぐる鐙と操法の問題について

          【本文】1〜2世紀、サルマタイ人の騎兵は3.6m、時に4.5mにもなる長槍を主に両手で持って使用しました。 強い印象を受けたローマ人はこの騎槍(コントゥスcontus)を導入し、トラヤヌス帝の頃には槍騎兵部隊が編制されていたことが確認されています。 パルティア人やササン朝ペルシアなどを含めた装甲騎兵の装備としても普及していました。 M. Mielczarek(pp.44-47)は、装甲騎兵の騎槍の持ち方として2種類を推測しています。 まず、対騎兵用として、馬首を横切っ

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        • 管矢と弓戦の話 〜ビザンツ帝国と中東〜

        • 中東における装甲弓騎兵を中心とした戦闘様式について 〜Eduard Alofsによる「イラン的伝統」モデルの紹介〜

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          ビザンツ帝国の弓術とニケフォロス・ブリュエンニオスのアポロンの弓

          1 序アンナ・コムネナは、自著『アレクシアス』(10. 9. 8)において、夫であるニケフォロス・ブリュエンニオスのひときわ優れた弓の腕前を弓矢の神であるアポロンに擬えています。 ホメロスの『イリアス』に登場する英雄を引き合いに出し、詩句を引用したうえで、夫はそれを上回る神々しい弓の使い手だと称賛するのです。 古典を引用した修辞的な表現であるのはもちろんなのですが、単なる美文ではない意味があるように思われ、勝手ながら少し考察してみました。 当時のビザンツ帝国における具体的な弓

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          雑感:ポンペイウスの戦略とイタリア戦役

          https://twitter.com/cuniculicavum00/status/1374671518240677888?s=20 1 冬季作戦であることに注目かつてモムゼン(p.326; 336)は、開戦が春まで延びていれば、ポンペイウスの方が攻勢に出てイタリアとスペインからガリアを挟撃しただろうと推測しました。 Veith(1906, pp.233-235; p.246)は、それがポンペイウスの最初の作戦計画であって軍事的にも常道だとし、カエサルが真冬の来る前に侵

          雑感:ポンペイウスの戦略とイタリア戦役