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実家で体調を崩す

宿題のために六本木ヒルズ&麻布台ヒルズに撮影に行ったからなのか、筋トレクラスに行ったからなのか、クリスマスから年末にかけて、私は体調を崩した。といっても、1日寝ていたのは1日だけで、半日寝て、人には会う、という生活を1週間ほど続けた。のどは痛くないのにせきだけが長く続き、完全に収まったのは、ぶるぶるに戻ってきてからだった。
気力もないし休むしかない状態になり、1週間、人に会う以外は寝ていた。
勉強したくなかったし、ぶるぶるで大変で疲れていて休みが必要だったけれど、こうでもなければ休めなかったので、よかったと思う。


留学している間は体調を崩さないのに、実家に帰った途端に体調を崩すのは、あるあるである。アメリカ留学中の夏、帰国したときに、やはり風邪を引いていた。気が張っているんだね、という結論だった。
年末年始に体調を崩すのも、あるあるなのである。うちの父は年末、弟は年始に体調を崩すところがあって、今や年始に数日しか帰省しない弟は、帰省中ずっと寝ていて、しかも年末年始だから病院も開いていなくて、友達にも会えず初詣にも行けず、何のために帰ってきたねん!?となっていたことがあった。

人口密度、というものもあると思う。日本は密度が高い。病院に行くほど体調を崩したのは、本当に久しぶりであった。皆がマスクをするようになってから、一切体調を崩さなかった。
ベルギーでは医療費が高いとかいうことはないけれど、行ってから保険に入るので、それまでは保険がなく(とはいえ、旅行保険はあるのだけど)。結構長いこと咳が続いていたけれど、それでも病院に行こうとは思わなかった。思えば、防腐剤の入っていないジュース&シードルを飲んで、飲むたびにお腹を壊していたときも(気がついて捨てたら調子が良くなった)、病院に行こうとは思わなかった。
そういえば、アメリカで友達のhouse partyに行き、その後2週間ほど体調を崩したときも、行こうとは思わなかった。学生のinsuranceがあったし、学校内にclinicもあったから、行って問題なかったのだけど、すぐにclinicに行くか薬を買ってなんとかするかは、cultureでもあるような気がする。

ぶるぶるで気温が下がったときに、ずっとせきをしていたことはあったけれど、寝込んだのは2020年以来人がマスクをするようになってからなかったので、なんだか自分がとても弱ってしまったように感じた。
自分が体調を崩すかもしれない、ということを生活の前提に置いていなかった。それは災害時の備えも同じことで、水もなければ普段の食事以上の蓄えもない。とはいえ、16人の家に住んでいるので、体調が悪くなれば誰かに買い物を頼むことはできる。
おかゆとか、持って帰ってもいいのかもしれない。帰りのsuitcaseは、がらがらだしなあ…
今後の目標としては、普段気張らないように、ゆるむこと。気が付かないうちに気が張っているから、こうして体調を崩すのだ。たまにはいいけどね。

長距離フライトは辛すぎる

そうして寝ていて何もできないときに、飛行機の乗り物酔いも辛かったなあ…と思い出し、色々調べた(余計に辛かった)。
私は昔からとても乗り物酔いをするタイプで、酔い止めは毎回飲むし、compression calf sleevesも履く。それでも食欲はなくなるし、headphonesで頭も痛くなるし、温めた機内食のにおいで、まるでつわりのように気持ち悪くなって全然食べられない。まわりに機内食が配られているので、においは避けられない上に、長距離ともなるとカップヌードルをリクエストできるのだが、このにおいも気持ち悪くなる。
なのに、私はしばらく食べないと胃が痛くなるタイプで、胃薬を飲まないと何か食べた途端に痛くなってしまい、そのあとは薬を飲んでも効かない。だから胃薬も酔い止めも持って飛行機に乗るという、なんともなHSPである。
こんな状況下でも食べられるものといえば、フルーツとポテチくらいなので、アメリカから帰国するときは、honey crisp applesとchipsを入れて行った。すべてがフルーツのmealがあったら頼みたいくらい。

ちなみに、今回の帰国便では、no lactose mealというのをリクエストして、冷菜多めの1食目をそれなりに食べたところ、降りた後の調子が抜群に良く、回復に時間がかからなかった。となりの席が空いていたので、使わせてもらって横になっていたけれど、foot hammockを使ってもなお、足が痛くて休めず、2食目は気持ち悪くてフルーツしか食べられなかった。
そして、なんとも苦しいわ…と思っていたら、食べられないときには胃が痛くなっていたけれど、食べたからにはトイレに行くことになるし、重力が弱まってガスが抜けずにとんでも苦しくなることがわかった。
と、そんなことを色々調べた結果、胃薬に加えて、probioticsを飲み、持って飛行機に乗ることになった。今回はオークションでupgradeができるairlineで、これだけの苦悩を考えたら、数万円出してupgradeしていいのではないかと思った。

このあとに乗った乗り慣れている国内便では、往復共にけっこう辛い思いをした。ぶるぶるに帰る便は、なんとがらがらで、3シート1列使って横になることができ、最高!だった。

寝ながら頭をよぎったこと

寝ている間はやる気も起きず、聞いたり、見たり、楽しくて負担にならないことしかできなかった。帰省中にほぼすべての締め切りが来るので、すべて片付けて戻ることができるけれど、それにしてもやることが多く、時間はそもそも足りているのか…きちんと時間をかけて理解して、納得できるものを作りたい反面、面倒でやりたくない…と板挟みだった。
こういう状態にならなければ、休むことはできなかった。

急激に体調が悪くなったと知らない母は、自分で薬買いに行けば?とか、ワイン飲む?飲まない?とか言っていた(Eveだったので)。弟が例によって体調を崩したときにも、薬局まで遠い距離を歩かせたそうで、まだ根に持っていると思う、とのことだった。
私ならもっと介抱するけれど、それは個人差で、腹も立たなくなった。
しょうがない、母にはわからないんだもの。

祈るだけでいい

母の愛を受け取り、つながりを実感した記事を書いていたそばから体調を崩し、ぶるぶるで疲れた感覚はまだあり、なんだか…な状況になってしまった。

頭痛に悩まされながら、いろんなことが頭をよぎった。
会うべきな人なんだ、というmessageを受け取る出来事があり、会った人がいた。好きなものがあって、ワクワクすることがあって、それを追っているうちに人生が変わってしまった、という人だった。私にとってそんなものがあっただろうか?私はそういうタイプではない、でいいのだろうか?と、考え続けた。
合わないcohortのこと、共感してもらえないことがとても気になること、最近group projectであった小さいはずの嫌なことがずっと頭にあること、最近私のprogramを辞めてしまった元cohortのこともよぎった。
ぶるぶるは大変だった、と認めてしまうと、戻りたくなくなってしまうかもしれない…本音はそっちなんじゃないか、という不安もあった。

そして、帰省して会った人たちのことも、思った。
3カ月で人生そんなに変わらない、と思っていれば、問題山積みだった後輩が、いつの間にとても合う人を見つけて電撃結婚することになっていた。
同じく、もったいないcareerになっていて心配だなあ…と思っていた先輩が、実は満足して幸せに暮らしていることもわかった。
私はこの人たちを救いたいと思っていたけれど、私に救われる必要なく、大丈夫になっていた。とはいえ、幸せになってほしいなあ、と私が本気で願っていたことは、無関係ではないのだろうと思った。本気で願うことにそれほどの力があるとすれば、自分に使うことはできないのだろうか。どうして私はpartnerに出会えないのだろう?

ひとりで心理学を読んで向き合っている私が、内に籠りすぎているような気がした。外に出れば物事はそんなに難しいことなく動くのに、一体私は何をしていたのか…ま、考えて向き合うことが、好きなんだけど。

Breakthrough

考え続けることで、いつも答えが出たり、何かを思いついたりするわけではないけれど、そうして色々めぐり、感情を受け入れているうちに、今回はたどり着き、決心することになった。

確かにベルギーはつまらない。それは非常に残念ではある。
だけど私は、そんな小さいことや、小さい世界を突き抜けていきたい。

そう決めると、finalsの山も、どうにでもなるな、大したこっちゃないな、と思えた。最悪resit/追試に回してもいいっちゃいいか…と後ろ向きに思っていたのが、回したいものは積極的に回そう!ある時間でなんとでもなるだろう!と思えるようになった。Summer internshipや、2年目のことなんかももうじき動き出すことになるのだが、動き出すことへの怖さも、不思議とこうして寝ながら考えているうちに、なんだか大丈夫になった。
自分を肯定するしかない。すべて。

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