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Ace/Grace/Asexuality

アメリカでは、知らない人にも褒められるし、モテた。
初対面で5分話せば、”電話番号を教えてよ、今度コーヒー飲みに行こうよ(=2人でお茶でも、デートしましょう)”と言ってくる。Networking eventでも、house partyでも、行けば必ず1人は連絡先を聞いてきた。別に私が特別モテたわけではなく、日本人だからでもなく、普通に起こることだった。(ちなみにNepalでも、何人か電話番号をくれた。"困ったことがあったら、いつでも僕に電話してね!"と言って去っていく。最初から誘ってこない、奥手なところがよかった。もちろん電話することはなかったけれど。)

その度に思ったものだ。”失礼な!私がどういう人かも知らないで!見た目がタイプで話した感じも悪くない、ぐらいで!だいたい国籍も年齢も常に間違われるのに(Chinese? Korean?そのあとはどんどん南の方へ行っていた。大学院を卒業したあとで1年生?と聞かれた)、そんな状態で'この子とつきあってもいいかも~'って思うなんて!信じられん!”と。

もちろん、この段階では相手もぜひつきあってくれ!とは思っていなくて、実際coffeeを飲んで話してみて、合うと思ったらデートを重ね、つきあう、となるわけだけど。私はそのcoffeeすらも、つきあうかもしれない前提で会うということ自体気が進まなかったし、なんというか労力を費やしたくなかった。だってそんなのすごいプレッシャーじゃないか。そんなすぐに、この人と恋愛できるかなんて、わからないじゃないか。だけどcoffeeに行った時点で、気があると思われて、勘違いで攻められたら嫌じゃないか!

というわけで、共通の友達がいようが(=いわゆる初対面の変な?人ではなかろうが)、こういった申出は一切断るか、断り切れなくて連絡先を教えてもそのあと返事をせずに流してきた。これまで相手が声をかけてきたことをきっかけにデートに行ったことは一度もない。
と言うともったいない気がしてくるので、次誘われたら行くぞ!と思ったこともあるのだけど、やはり気が進まない。

というのも、私の恋愛は、こんな始まり方はしないからだ。
出会って、数か月たって、いいかも、となる。そして自分のペースで攻めて、たいていは1度のデートで終わる。たまにタイミングがあって、つきあうこともある。これが私のやり方なんだから、しょうがないじゃないか。それが私の恋愛だから、とにかく、眼中にない人から、誘われるのが苦手なのだ。元彼だって最初に誘われた時は断ったよ?

私はこれを、”文化の違い”だと思っていた。出会って5分で連絡先を聞いてくるよ!と言えば、日本の人はみんな驚いてくれた。だけど、Chineseの友達と話したときに、
「そうは言っても、あなたのことを知るチャンスを、相手にあげないとだめよ」と言われ、これってもしかして文化由来じゃないのかな?と思ったのが、Sexualityを調べるきっかけだった。


Am I demisexual?

調べてたどりついたのは、Demisexualだった。好きになるまでに時間がかかる、という意味では、しっくりくると思った。きちんと名前がついて、自分の経験を認められたことが嬉しかった。しかし、”いつも友達からつきあう”に関しては、どうかなあ。相手は友達と思っているのかもしれないが、私は違った。ひとめぼれは、どうだろう。ひとめぼれはするけれど気づくのに時間がかかるのか?それとも一切しないのか。
思い出すのは高校の時、summer campで会っていいなと思った子のこと。そのときは2週間の間に、いいな~とは思っていた。あれってひとめぼれだったんだろうか。

私の恋愛はいつも

知り合ってしばらくは無意識の状態が続く。
会って話したりするうちに、会っていないときにもその人のことを考えている自分に気づく。
そして、あ、これって恋なんだな、と思う。その人が近くにくれば嬉しいし、話していれば楽しいと思う。

—そこまで、なのだ。2人で何をしたいとか(だって何を?出かけてどうするのよ?)、触れたい…とか、思ったことなんてない。想像は壁ドンで止まる。それ以上の想像は、想像するぞ!と思わないと、自然にはできない。笑
2人で何をしたいと言われてもわからない、と友達に言ったら、「何をしたいかじゃなくて、何もしなくても一緒にいたいんでしょ?」と言われた。
そういうもんなのかなと思った。

好き→つきあう、にはどうやって行くの?

好きだ、と思ったところで、好き→つきあうにどうやって至るのかも、まったくわからなかったので、長いこと告白するか、何もしないかの二択だった。参考にならない少女漫画が原因だ(だって告白したらあとは待ってれば相手は好きになってくれるって展開じゃない?)、親が教えてくれなかったからだ、まわりにrole modelがいなかったからだ、と思ったこともあったが、やはり根本的に、私には”わからない”ことだったのだと思う。どうやら告白の前に2人で出かけたりするらしい、その前に話しかけて仲良くなったりするらしい、そして、触ることで好意を伝えるらしい…

そして、家庭環境&転校が原因で、とてつもなく自信のない子供だったので、”私と2人で時間を過ごしたい、一緒にいて楽しいと思ってくれる人なんているわけがない”と思い込んでおり、紆余曲折あって”思うほど自分がだめなやつではないのでは?”に行き当たるまでは、自分から相手を誘うこともできなかった。

私がつきあいたかった理由

恋愛やつきあうことや、人が順番に経験するであろうことに、興味はあった。初彼ができるまでは、つきあったことがないので、つきあうことがどういうことなのか、わからないな~残念だな~と思っていた。私は人に興味があるので、わからないことがcomplexだった。

どうしてつきあいたいと思っていたのかといえば、行き着くのは常に家庭環境である。うちは毒親系で、家族からは、ありのままでいいのよとか、私は何が好きで・得意で・どういう性格であるかとか、そういう跳ね返しをほとんど受けてこなかったのだった。親も、その親も、もしかしたらそのまた親も、このスキルは身に着けていないのかもしれない。

父親=男性の印象を決めるものであろうけれど、あまり家にいなかったし、単身赴任の時期もあったし、加えて”あまり大切にしてくれない”、”期待させることを言うのに行動が伴わない”人であったため、とにかく私が欠けている、欲している愛を得るには、だれかとつきあうことなんだ、と子供の解釈をしたのだろう。そうすれば相手はいつも私のことを考えてくれる。支えてくれる。だから、つきあう人が必要だ!と。

家族のこととは、その後向き合い手放し、今はとてもいい関係です。家にいなくて大事にしてくれなかったと感じていた父親は、今ではいいやつじゃん!私、愛されてるじゃん!と思っています。

家族のことと向き合うようになり、相手に頼らず、自立してhealthyでいられるようになるにつれて、これまでのつきあいたかった理由はなくなり、つきあうって何のために?と思うようになった。

そもそも私に恋愛感情ってあったんだろうか

いままで恋愛だと思っていたものは、自分もこうなりたいなーという憧れだったり、ちょっと共通点があって親近感を感じたとか、その程度のものだったんじゃないか。タイプだってあってないようなもんで、どんどん広がっていくじゃないか。つまり私には、恋愛感情はないんだろうか。これからそういう感覚を持つこともないのかもしれない。

と言いつつ、私が誰を好きそうというのは様子を見ていればわかるらしいので、好意はあるのだと思う。人間としておもしろいとは思う。興味を引かれる(私は好奇心旺盛だ)。だけど、つきあいたいと思うこと=romantic attractionとするならば、子供っぽいし話を聞いてくれないし価値観が合わないところもあって面倒くさそうなので、つきあいたいとは思っていない。友達になって定期的に会いたいとすら、思っていない。そういう人もいる。

また、見た目は素敵だとは思って、話してみたけれども、実際は価値観が全然合わないことがわかり、恋愛してもうまくいかないだろうな、と思って何もせずに終わる人もいる。そう言ったら、冷静だね、と言われたことがある。
これについては、私はaesthetic attractionはある、ということだと思っている。かっこいい、素敵だ、と感じることはある。そういう相手の前で緊張したり、嬉しくなったりはする。ただ、その人たちとつきあいたいとか、触れたいとは思わない。

Exs

こうして調べながら、自分はどうなんだろうと思っているうちに、恋をしなくなった。きゃー!ときめき!は、数年ないし、もう恋をすることはできないんだろうと思っている。

今までの彼はどうだっただろう。初彼は、私をありのままで受け入れて愛してくれた存在で、その感謝というか、歓喜!絶対の信頼!だったと思う。彼が私を好きで、私が受け入れた形で始まったので、私としてはときめき&ドキドキはなく、次につきあうなら自分が先に好きになった相手を、攻めて落とそうと思ったものだ。

次の相手、いまのところ最後に恋愛感情を持った相手は、とてもツボだったが、”彼はらいおんハートを歌っていた”と聞いたら冷めそうだったし、話していて楽しいけれど、手をつなごうという気にはならない!という存在だった。相手は何か(告白とかね)しようとしていたと思うのだけれど、いろいろあって冷めてしまった。

次のpartnerにはときめきがなく、結構年上でもあり、本当にこの人でいいのか?このまま進んでいいのか?とかなり迷った。将来の目標とも相容れない人なので、いずれ別れるんだろう、でもだからって今楽しんじゃいけないわけじゃないし(Have funと言えば、楽しくつきあったり恋愛したりする、という意味で使うこともある)、ていうかもうつきあってるようなもんで、何も劇的に変わらないじゃん、平気だよ。
それに、相手が誰であれ、もう恋愛感情は持てないかもしれないじゃん…!
そう思って進めたものの、この人とはすぐに自然消滅し、きちんと別れた。3日は泣いたが、そのあとはすっきりして、1カ月経つ頃には、そんなこともあったっけ?という状態だった。

性欲を向けられたときの不思議

Sexual attraction=この人と寝たい!と思うことだとしたら、私は元彼含め、今まで誰にも、そういった感情を持ったことがないことになる。そうなるとdemisexualではなく、asexualでは?Demiではないけれど、grey/graceなのでは?を経て、思ったよりもasexualであるということで、Aceに落ち着いている。
”性欲が人に向かない”(サバティカル/中村航)と聞くとナルシストのようだが、矢印にはMaleと書いてあるのだけど(straightではあるけれど)、それが特定の人に向けられることはなく、その矢印を持ったまま私は立ち尽くしている、というかんじ。身体機能は正常だし、行為が嫌!必要ない!興味ない!というわけでもない(そういう人もいるけれど)。

そして、誰かがsexualな目を私に向けてきたときにも、非常にわからない。私は誰にでも普通にしているつもりなんだけど。人間的な興味から話をしているんだけど。ただ感じよくしているだけなのに、どうして好きだと勘違いする?別にsexyな恰好をしているわけじゃないのに、どうしてそういう目で見る?場合によっては太ももを叩いてくる?
だけど胸元を見てきたり、太ももを叩いてくるのは、日本のおっさんのみだった。ほかの人は、正当な恋愛としての興味であれば電話番号を聞いてくる。でもおっさんたちはそうじゃなく、あくまで性的な対象として見てくる。これには憤りを感じるし、頼むから自分のpartnerに満たしてもらってよ?と思う。長年のテーマである。

こういう、sex appealなるものがわからないのも、aceだからだと思う。あくまでideaだけれど、世の中がみんなaceだったら、触られるセクハラはなくなる気がする。不倫もないと思う。それは、無宗教の集まりだったら宗教対立はないじゃない、と言っているのと同じことかもしれない。
Aceの社会は平和で安泰かといえば、ほかのdiscrimination/biasesについては、社会的なものだから、変わらない気もする。

選んでこうなったわけじゃない

ぶるぶるに来てみると、Onlineでいろんな人と会い、相手を知る一環で寝ている(けれどその後つきあうわけではない)という人たちを、間近で見るようになった。"今年寝た相手のレビューをお披露目する会"なんてのもやっていて、私は参加しないスポーツを見ている気分だった。
1年じゃなくて、一生で作り続けている人もいて、性格と、ルックスと、キスのうまさと…って、★★★☆☆評価してるわけですよ!

私はPartnerを探すときにcoming outする必要性は感じないのだけれど、ぶるぶるでは、友達には適当にcoming outするようにもなった。Cool, と言って受け入れてくれて、意味を説明する必要もなかった。
とはいえ、人のことをhotnessで判断して、"この人超カッコいい!この写真素敵!"と言っている人たちを見ていると、私はそういう価値観で生きていないんだよな…と感じることも多く、あるきっかけで、震えながら、泣きながらcoming outをする、ということになった。
「選んでこうなったわけじゃないのに、ほかの人にはあるであろうものが私にはなくて、人とつながることができない」
まるで、建物の奥の奥の暗い扉が開いて、誰かが出てきてしまったようだった。Coming outはまあまあしていたので、この状況になったことが驚きだったのだが、なるべくしてなったことだと思う。これがきっかけで、「選んだわけじゃないのに、私は変わっている」と自分が感じていることを受け入れて、罪悪感を感じることも少なくなった。

自分でも、よくわからない

心理学を追ってきて、楽になったことは多々あれど、Asexualityはうまく扱ってもらえていないと思っている。
恋愛に悩む人はごまんといる。そうして、それに対したアドバイスができる人もたくさんいる。「そうでない人が、相手の状況を想像して理解する」という点において、gay/biで相手の性別が違うくらいであれば、あてはまることは多いんだろうと思う。Transgenderであることも、苦悩は多けれど、それがどういう状態か普通の人が想像して理解することは、Aceよりも難しくないと思う。
愛がいらない…と言われたこともあるけれど、それはaceではなく、psychopathだと思う。パートナーがいらなくてひとりで生きていきたいのね…なんて、そんな簡単な話でもない。

というか、Rainbowな場に行っても、"speed dating"なんてのが行われているくらいで、行為をしないと思われているAceは、LGBTQIA+な中でも異質らしい。
「通常の人にあるattractionがない」と定義されているがゆえに、"ない状態"が当たり前の人たちにとって、自分でも自分のことがわからない。
そんな中で、自分って何か、何がいいのか、どうしていくのかfigure outしていくことは、やっぱり簡単じゃない。とはいえ私はぶるぶるに来て、もうpartnerをいつ見つけてもいい状態になったので、会いたい!どうすれば出会えるのか!と、葛藤していたこともある。

にしても。
HSPは人口の10%はいる。絶対音感も、2-5%だけど、まわりに何人もいる。Aceは1%で、まわりに何人かはいるけれど、共感してもらえるタイプはいない。
HSP×絶対音感×Ace×国際派…って、私、相当minorityじゃない?

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