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囲碁史記 第73回 新聞碁の始まり


日本初の新聞碁

 現在では大手新聞各紙に囲碁の棋譜が普通に掲載されている。新聞社自らがタイトル戦の主催者となり対局結果を掲載している場合も多い。その新聞碁の始まりは、明治十一年四月一日の「郵便報知新聞」といわれている。
 日本では江戸時代初期より、大事件などが起きた際に木版で摺られた瓦版が発行されていたが、新聞と名付けられたものが発行されるようになったのは幕末で、一八七〇年には日本初の日刊紙『横浜毎日新聞』が創刊されている。そして読者獲得のための企画として囲碁の棋譜が掲載されるようになったのである。
 日本初の新聞碁は、社主、小西敬義宅で行われた中川亀三郎と高橋杵三郎の対局で、掲載の三日前に開始されて打掛けとなり、そこまでの棋譜が最初の掲載となった。対局はその後、二回打継いで中川が勝っている。
 以下がその経緯である。

三月二十九日  小西社主宅
       中川亀三郎(六段)
先々先 先番 高橋杵三郎(五段)
  八十一手打掛、掲載:四月一日
四月七日    打継、六十手(計一四一手)
         掲載:四月十一日
五月三日   打切、計二一九手迄
         白八目勝 五月十一日 揭載

 この他、明治十一年に、「郵便報知新聞」では林秀栄、井上松本因碩らの三局の対局が掲載されている。
 以前は、明治十二年に掲載された棋譜が日本初といわれていた。村瀬秀甫が方円社設立に向けて東京へ戻り、中川亀三郎と対局したときのものである。当時は土屋百三郎が本因坊継承者に内定していることは公表されていなかったようで、秀甫が戻ったのは本因坊決定の話し合いといわれていた。

明治十二年二月掲載の新聞碁

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