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囲碁史記 第51回 林元美の著書


 家元林家の十一世林元美は博識と言われ、棋譜などの出版にも積極的で、多くの著作が残されている。

一 碁経衆妙(四巻)
二 碁経精妙(四巻)
三 碁経連珠(四巻) 古碁百局
四 紅甲珍艦(一帖) 詰碁、布石(両面図)
五 掌中碁箋(一帖) 詰碁(紅甲珍艦と同じ)
六 爛柯堂棋話(原本の冊数不明)
七 碁経衆妙後編(近刻)(冊数不明)

  その他日記、随筆、書簡等々もある。

『碁経衆妙』

 『碁経衆妙』は元美の代表的な著作で文化九年(一八一二)に成立した。『発揚論』と並び日本の最も代表的な詰碁の古典である。実戦にも現れそうな基本的な手筋が多いのが特徴で、昔から『玄玄碁経』と共にプロだけでなくアマチュアにも読まれてきた詰碁集である。

『碁経連珠』

 『碁経連珠』は古碁が一〇〇局収録されているもので、現在でも知られる棋譜が多い。

『爛柯堂棋話』

 『爛柯堂棋話』は囲碁の史話、説話、随筆を集めたもので、本能寺における三コウの話や、日蓮と弟子日朗の棋譜、武田信玄や真田父子の棋譜も紹介されている。しかし、これらは後世の作で、文才にあふれる元美がおもしろおかしく創作した話であるというのが現在の定説である。

源頼朝御前碁会(歌川国芳)

 『爛柯堂棋話』に創作のはなしが多いという一例として「佐々木と工藤、遺恨の話」がある。鎌倉時代初期、源頼朝が催した碁会において頼朝と佐々木盛綱の対局を皆が観戦していたところ、遅れてやってきた工藤祐経が自分が観戦するため座って見ていた盛綱の息子信実をいきなり抱え上げ、後ろにどかして座り込んだ。あまりの侮辱的行為に激怒した信実は傍らにあった碁笥を持って工藤に殴りかかったという事件を紹介したもの。この話は歴史書「吾妻鏡」にもあり史実のようだが、それは双六の会での出来事となっている。もちろん、長い年月を経て碁会での話という風に変化していった可能性もあるが、今のところ『爛柯堂棋話』以外に碁会の出来事としている書物は見つからず、元美自身が設定を変えた可能性が高い。なお、この碁会dwの場面を描いた歌川国芳の浮世絵があるが、国芳は元美と同年代であり、浮世絵は『爛柯堂棋話』の影響を受けたものと考えられる。
 元美はこういった話を仕入れてくるのが好きだったようで、小松快禅のもとを訪れた幽霊の話なども載せている。
 この頃元美は、牛込の家を引き払い湯島聖堂に程近い本郷御弓町に新居を構えている。創作に集中するためであろうか。ちなみに「爛柯堂」は元美の号(ペンネーム)である。
 以前は『爛柯堂棋話』も明治の『坐隠談叢』と並ぶ一級の史料と考えられていた。その内容が史実のようにして伝えられ、そう思っている人も多かったことから、多くの内容が林元美の創作したいわば小説のようなものということが浸透していなかったようだ。

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