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悔しいけどおもろいってことについて

今更ながらキルラキルを全部見た。今日最終話を見て泣いた、めちゃくちゃ面白かった。
でも声を大にして面白かったー!とは言いたくないし人に勧めたりも絶対しない。なぜならジェンダー観おしまい表現がたくさんあるから。こういう表現を肯定していると思われたくないし加担したくもない。

私はもともとアニメ好きだけど、アニメと言えば大体ジェンダー観が終わっている。
ジェンダー観が終わっていても面白いと感じてしまうの、本当に悔しい。(ジェンダーに限らず特定の属性やマイノリティを踏む表現があるコンテンツに対して面白いと感じてしまうことがあり、悔しい)
終わっているけど私はアニメを見続けるし、ファンでありながら批判的でありたいというか、そうあることしかできない、それしかできることがない。

キルラキルに今更ネタバレもないと思うので少し感想も書いておく。
少年誌によくある、実はラスボスが男主人公の父親でしたパターンで、強い男の象徴である父親を超えたり倒したりするアレを娘×母親バージョンでやっている、というのはあまり見たことないなと思った。
大体「敵が親でした」パターンは父親で、その父親は親であることを放棄していて平気で息子を裏切ったり力で支配したり利用したり殺そうとしてきたりすると思うんだけど、それが母親であるってパターンはあまり見ないなって。母親であることをこれだけ平気で堂々と放棄している母親が描かれることって珍しいのでは。
もし母親が悪として描かれていたとしても、それって大体よそで違う男を作っていたとか、ブランド品を買い込んでお金にだらしないとか、とにかく世間の母親像から離れていて育児を放棄していて母親を全うしていないというところで悪として表現されていることが多いなと思う。もしくは性的な魅力で男をたぶらかす悪女として表現されていたりとか。(悪女という言葉本当に無理ィ〜)
その点キルラキルの鬼龍院羅暁は完全に暴力や権力で自分の子供やそれ以外の人間も支配してこようとする。その暴力的な行動を糾弾されることはあっても、「それでも母親か!」とか「自分で腹を痛めて産んだ子供になんてことを!」みたいな、母親を放棄している点で糾弾されるシーンがなくてびっくりした。製作側が意図的にそうしているのかは知らないけど、母であるという役割を一ミリも気にかけていない鬼龍院羅暁のことを私は普通に好きだった。
そういえばここまで書いて思ったけど、父親の悪行としてよく描かれるのは、仕事ばっかりして家に帰ってこない、ギャンブル三昧で借金を作る、とかなんだよな。
母といい父といい、悪としての描かれ方にもジェンダーロールが色濃く反映されているんだな。

あとエロとしての女の子の表現が多くてウワーーと思ってはいたけど、最終話にもなると性別関係なくみんな平気ですっぽんぽんで、そうかあまあ普通に生まれ持った体でそこにあるのが当然のものだしね、特別な意味とかないもんね裸に、みたいな気持ちになったのでまあ見られた。

あとはめちゃくちゃエヴァっぽさのする表現が多かった。実際米山さんや鶴巻さんが参加しているのもあるのかな。この辺調べるといくらでも考察とかあるんだろうな。


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